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2007年05月27日
辻仁成『ピアニシモ・ピアニシモ』は、20年前のデビュー作『ピアニシモ』が現代に蘇る!ということなんだけど、続編という扱いでもなくテーマが共通してるわけでもなく『ピアニシモ』とはあまり関係しない。まったく別の作品です。それなのに登場人物の設定は前作読んでないとよく分からないという、面倒な話。
実体のない絆、信頼してよいのかどうか迷いながらもそのラインだけが頼り、という装置として『ピアニシモ』では「伝言ダイヤル」が使われてたんだけれども、今作ではそれが「チャット」になってます。誰かと繋がりたいという想いを託して・・・という部分には前作との接線があります。
twitterをチャットと呼ぶのかどうか分かりませんが、そういう「繋がりツール」は次々出てきますね。
ブログも「繋がるよ、繋がれるよ」って宣伝したわりにはあんまり繋がらなかった。αブロガーだかなんだかコメントもトラバもどっさり集まる人たちはごく一部で、ほとんどの人のブログにはリアクションなんて一切付かない。寂しい。
じゃもっと密接に繋がれるとかいうSNSだ。ってことで入っても、そこでも状況は同じ、リアル友達同士でしゃべってる人達を横から眺めるだけで、新たな繋がりなんてうまれない。寂しい。
だったらもっと気軽に声を掛け合うような仕組みを作りましょう、というのがtwitterをはじめとするミニブログ系ですか。僕はまだ手を出してないけど、きっと寂しいよ。本来的に。
自分はひとりじゃない!と確認したかったのに、逆に、ひとりを突きつけられてしまうのがIT社会というものですか。たぶんね、繋がれるよって言いながら「繋がれないよぅ」って嘆く人を量産しようとしてるんですよ。他人の「寂しい」を金に変えようとしてる人達がいるわけですよ。寂しいことですね。
この記事へのコメント
とっても「その通り!」なんだけど、「それを言っちゃあお終い」なことを言い当てている気がします。慧眼だと思います。
それから、最近読んだ斉藤環の『生き延びるためのラカン』に出てきた「言葉(=記号)はものごとを切り取る(分節化する)、文脈はものごとを繋げる」というフレーズを思い出しました。
投稿者 ほんのしおり / 2007年06月01日 02:07
「それを言っちゃあお終い」なことをよく言ってしまうので
気まずい想いをすることが多々あります。
投稿者 芝田 / 2007年06月02日 12:28
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