失われたトキ、見出されたトキ(2ページ)

旅行記

2001年10月7日の続き

3時、仰せどおりに佐和田で乗り換え相川へ到着。前述どおり武家文化の町で、佐渡金山のベースタウンとなる。この辺で宿を取りたいなと思い、観光案内所で聞いてみる。「連休でどこもいっぱいで、さっきも別のお客さんに断ったんだけれど、ちょうど今ひと部屋空いたという情報が入ったのよ」と詐欺師のような口調でおばさんが旅館のパンフを差し出す。どこでもよかったので「ここにします」と言い、予約を入れてもらう。

さて、日暮れまでの時間でこの町を歩くつもりで出ようとすると、「尖閣湾は見た?」と引き止められる。いや、見てない。「路線バスの旅?」と言う。「路線バスの旅」だってさ!と僕は思ったけれど、黙って頷いた。「15:45にバスが出るからそれに乗って、尖閣湾前に16:03着。それから17:07発のバスでここまで戻ってきたら17:25。ほらちょうどいい時間だわよ」なんてバス時刻表を取り出してマーカーを引きながらアドバイスしてくれる。尖閣湾というのは切り立った断崖が海に映える景勝地で、まぁ行って悪いところではないはずなので、行ってみることにする。旅先で人のすすめに従うのは大嫌いなのだが、それも宿手配の手数料の一部と考えて割り切る。

まだ話は終わらない。「明日の予定は? 明日も佐渡に泊るの?」と聞くので、明日中に東京まで戻るのだがどこを見て回るのかはまだ全然決めていないと答える。「路線バスの旅でしょ? 北へぐるっと回ったらいいわよ」と言ってバス時刻表にどんどんマーカーを塗ってゆく。「相川9:50分発、尖閣湾は今日これから行くから通過して、終点岩屋口に11:00着、11:10のバスに乗り継いで・・・あらこの路線明後日から冬季運休だわ、ラッキーよあなた、それで大野亀11:32着、ここから二ツ亀まで歩いてください、景色いいところですからね、二ツ亀13:07発のバスで鷲崎13:17着、13:30のバスに連絡、これが両津埠頭に14:25に着く、15:10の新潟行きフェリーにちょうど乗れるからとにかくもうばっちりじゃない」と、あっというまに明日のスケジュールが引かれてしまった。びっくりだ。

ムッとしてるのが悟られないように相槌を打ちながらもよっぽど途中で遮ろうかと思ったのだが、快活にしてなお威圧的な口調で入る隙がなく、聞き流すので精一杯。「小木は遠いですかね?」とまったく逆方向の地名を出してささやかな抵抗を試みてもみたのだが、「遠すぎていけないわよ。北に行きなさい」と一蹴。もう「そのコースだけは絶対行かない」と決める。スケジュールはあくまで僕が立てるのだ。明日の予定という聖域には何人たりとも入れさせないのだよ。そもそも「路線バスの旅」ってなんなのだ。徒歩か路線バスしか移動の足はないので言葉としては間違ってないのだろうが、一日中バスを乗り継いで喜ぶ趣味はない。今日の予定がピンク、明日は黄色でマーカーされたバス時刻表を持たされてどっと疲れながら観光案内所を出る。そして、尖閣湾ゆきのバスに乗りこんだのである。

尖閣湾を一望できる展望台がある。海の水はすごくきれい。断崖に波が打ち付ける。風景として完成されている。びょうびょうと風が吹く。記念撮影しながら焼きイカが食えたりする。「君の名は」の舞台だそうで、ロケ風景を展示した資料館もある。小さな水族館もある。団体客が多い。展望台に向かうには500円の入場料が必要なのだが、受け付けの前には「500円の価値があるんやろか」と入ろか止めよか考え中なおじさんグループ。見てきた僕には答えることが出来るのだがやめた。価値はあなた次第。

宿に入る。考えてみたら、まともな旅館に一人で泊るのは(仕事を除けば)初めてだ。温泉でないのが残念だけれど大浴場に浸かり、サウナでビール渇望度を高めてから夕食。カニやイカ、海の幸たっぷりの豪勢なものだが、一人で食べるものではないな。こういうのは「これなにかな?」と相方と話しながら食べなければならない種類のものだから。もらったバス時刻表を改めて見ながら検討すると、あのおばさんの提示したルートは実際、よくできている。これしかないって気もしはじめた。面倒なので朝の気分で決めることにして、眠る。

2001年10月8日(3日目) いいつけを守らず

朝。天気予報でも見ようかとテレビをつけたら「報復開始」のニュース一色。大変なことになっている。佐渡なんかにいる場合ではないが、なにができるわけでもないので相川の町を歩くことにする。

金山のベースキャンプにあたり、江戸時代に大いに賑わった名残がそこかしこにある。小さな寺が立ち並び、道を曲がるとどこへ続くのか分からない坂道に石段が突然現れる、弾む息を押さえながら坂道で振り返ると海が見える。という印象としては尾道的。京都や大阪からやって来た商人たちが軒を連ねたという京町通りはいまでは静かな住宅地であるし、400人を越える遊女が詰めたという巨大な遊郭も碑が立つのみだが、往時の喧騒が聞こえて来るよう。

外で遊んでいた小学生の姉弟がカメラをぶら下げた僕に走り寄ってきて、「写真撮ってんのー?」と言いながらしばらくついてくる。素朴な町の素朴な子供たち。

現在発掘・再現工事中の佐渡奉行所跡へ。奉行所の建物を見学できる。お白州なんかもあり、ノリ性のおじさんが白州のゴザに正座して苦渋の表情を浮かべては、仲間内の失笑を買ったりしている。

そこで裁かれた者を収監したのか牢獄の跡などもあり、慰霊の花がいまでも手向けられていて、そこから伸びる坂は「地獄坂」という名前だったりする。ゆっくり史跡巡りできる味のある町だな、町歩きで正解だ、と昨日のおばさん考案ルートに逆らってバスに乗らなかった自分に言い訳したりしつつ。

この町のメイン観光スポットは当然「佐渡金山」になるわけだが、リアルな人形が穴掘ってたりするのは見たくないので行かない。

温泉施設があったので入ってみる。「ワイドブルーあいかわ」。なにか足りないような気にさせる小粋な名前だ。ジャグジーや打たせ湯、ミストサウナなんかも完備したきれいなところ。温泉プールもある。窓から海を眺めながらゆっくり浸かる。よく分からないのだがミストサウナってこういうものなのか。温かい小雨が降っている小部屋なのだが。脱衣場にはテレビが置いてあり、当然テロ報復のニュースをやっている。すっぱだかのおっさんが(僕のことではない)呆然と見入ったりしている。

温泉に付随した食事処で昼食をとり、両津行きのバスに乗る。

途中、可愛い女性二人組みが降りたところでつられて降りる。観光マップを引っ張り出して確認すると黒木御所跡というみどころがある。ここへ流されてきた順徳上皇の仮宮の跡だ。ほかに上皇の持仏(?)を祭る本光寺、同様に流されてきた世阿弥が腰掛けた岩(?)が残る正法寺など。まぁこんなものかなとバス停へ戻る。

いま多分2時半ごろだろうからともうすぐ来るはずの両津行きのバスを待っていると、柿野浦行きというバスがやってくる。バス時刻表と照らしてみると、両津行きがちょうど出たばかりの時刻であることが判明。(時計を持ち歩かない旅だとこういう回りくどい方法でしか時刻が分からないのだ。)1時間後の次のバスをただ待つのもなんなので一つ先のバス停まで歩いてみることにした。島内で1本しかない国道沿いなので交通量はそれなりにあるが、交わる砂利道がまっすぐに大佐渡山脈まで伸びてたり、突如地蔵が立ってたりするので退屈はしない。スーパーに併設して「本・CDお売りください」な古本屋があったので立ち寄る。こういう店の言う「本」ってのは漫画のことなんだよな、とそれほど期待せずに入ったのだがなかなか充実している。欲しかった絶版本を100円コーナーで見つけて喜ぶ。恐らく喜んでいるうちに1本バスが通り過ぎたであろう、バス停そばに座っていつかやってくるはずのバスを待った。

両津港に戻り次の船のチケットを買おうとすると満席。しようがなくもう一本先の船を買い、港周辺を見て歩く。加茂湖のほとりで船上、網を修繕しているおじさんの手さばき。魚の干物を店先で作っているおばさんの影。早くも陽が傾き始めた港町で、ああ旅が終わらなければいいのにな、と思いながら歩きつかれた足を引きずったのである。(了)

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