花咲く頃にはまだ早くても岡山(3ページ)

旅行記

2007年3月8日(5日目) 城下町続きで備中高梁

紺屋川美観地区を歩く
紺屋川美観地区を歩く

新見まわりにも見るべきところがないわけじゃないんですが、すぐに発つことにして。伯備線を山陽方面へ30分、備中高梁に来ました。小京都とも言われる美しさのある町ですね。

町の中央にある紺屋川美観地区は桜の開花時にはよりいっそう雅に華やぐ……はずなんですけど、やはり来る時期を間違えてしまったかもですね。まぁ、桜のピークだったとしたら人が多くてイラっとしたりするかもしれんのでどっちもどっちですけど。

紺屋川筋には明治期の建物がそのまま残るキリスト教会や藩校跡があります。静かな流れと、遊ぶ水鳥と、硬いつぼみと。

頼久寺庭園。手前が鶴
頼久寺庭園。手前が鶴

周辺には小京都のゆえんたる寺院が並んでまして、城郭みたいな石垣の上にあるのは頼久寺。小堀遠州による枯山水の庭園がみもの。庭を見ようと縁に立つと案内テープが流れて驚かされます。要約すると「小堀遠州だよ。すごいよね」としか言ってなくてまた驚かされます。鶴亀の座を置いた借景の庭です。

紺屋川の西、「石火矢町ふるさと村」というエリアは往時には武士の居住区なんかであったところです。一般公開されている武家屋敷がいくつかあります。

武家屋敷館。人形が怖い
武家屋敷館。人形が怖い

武家屋敷館に入ると玄関で正座して深々と頭を下げる主人がいました。人形です。ただの人形かと思ったら電動で動いたりします。なかに入ると親子の講義風景?がこれまた人形で再現されてる。この手の展示は妙にリアルでいつも怖いです。なぜか、世の観光施設のなかでも「武家屋敷」の人形配置率は高いような気がするんですよね。なぜなんでしょ。

武士の邸としては平均的というところでしょうか、書院造りの母屋や簡素な庭などが見学できます。

コンビニも見当たらず雑貨屋で昼食にとパンを買って、備中松山城まで歩くことにします。山の上に城があるんですよ。「麓から歩いて登ると大変よぅ。1時間半はかかるわよ。タクシーで行きなさい」と観光案内所の方に言われてたんですが、まぁ、大丈夫かなと思って。

備中松山城へ。追手門
備中松山城へ。追手門

山道。あっという間に息があがってヘバヘバです。やっぱりだめなのか? 猿が出るので注意!って看板を見ながら倒木に腰掛けてパンを食べてひと休みして。天守閣のある山城としては最も標高の高いところにある松山城。休日にはバスもあるようなんですが、平日は車以外の選択肢はありえないんでしょうか。車でも駐車場から20分ほどは山を登ることになるみたいです。

ぜいぜい言いながら本当に1時間以上かけて登頂。だんだん城郭らしい風景が見えてきます。ところどころにある説明板の前に立つと山に響き渡る大音量でガイダンスが始まって、思わず周りを見回してしまいます。また道中「もうすこしじゃ」「よう来られた」と城主からのメッセージが立札になって立ってて、これ面白いつもりなの?って疲れてるからやや癇に障ったりもして。

備中松山城本丸。撮るならこの角度
備中松山城本丸。撮るならこの角度

何度かの改修を経て現代を生きる天守閣。基礎から積みなおすほどの大改修をしてても「近代天守が今に残る」と言っていいのかどうかはよく分かりませんが、しっかり往時を伝える建築で、籠城戦のために天守閣内部に囲炉裏があったり、へぇと思う仕掛けはいくつかありました。

明治の廃城令、城を壊せという政府の命を無視して、壊すのにもお金掛かるからなぁってごまかして放置した結果が「貴重な遺構」なわけです。何か示唆的ではありますねぇ。法律違反してくれてありがとう!って後世に言われるわけでしょ。やらないかんよねぇ。

少なくとも、苦労してやってきたぶんだけのありがたみが感じられるような感慨をどこかで見出そうとしながら。

なにこのがらくた(隠)
なにこのがらくた(隠)

山を降りて、「郷土資料館」に入ってみました。江戸から昭和にかけての生活用具などを展示してます。あまりにも雑多すぎて散漫になっちゃってるような内容でした。

建物は旧尋常小学校の校舎を利用したもので、木造二階建て。「天井みてください」「わ。びっくりした」「染みがいくつか付いてるの分かりますか?」「ああ、はい」「子供達が雑巾を天井にぶつけて遊んだ跡なんです」「はぁ」

退屈しのぎなのかなんなのか、館長がずっと後ろについてくるんです。「いわゆる赤紙、召集令状ですよ。実物見たことありましたか? 写真撮ってもいいんですよ。……もういいんですか?」。客の少ない資料館、史料館系ではたまにこういうメにあいます。最後にはお茶まで出そうとしてて、もったいのうございます、って辞退しました。

倉敷チボリ公園の灯りが見える
倉敷チボリ公園の灯りが見える

戦国ファンなら立ち寄りたい山中鹿之助の墓所も高梁にはあるんですが、遠かったんで行けませんでした。知ってますか山中鹿之助。尼子家再興のために尽くした武将で「我に七難八苦を与えたまえ」と祈ったら本当に七難八苦にあっちゃったという。

そういう行けなかったところもありつつ、まぁだいたいのポイントは押さえたんで駅へ戻り列車に乗って、倉敷に出ました。

駅ビルのホテルに部屋を取ります。窓越しに輝く一帯があって何かと思ったら倉敷チボリ公園でした。チボリ公園ってまだやってたんだっけ?とか思いながら。

そんなところで、今日の話は終了です。続編を待て。(了)

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