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福山城
福山で宿をとった私は翌朝、福山城を訪ねた。江戸期になってから築城された新しい城で、このくらい浅い歴史の遺物には関心の薄い私ではあるが、駅至近にして立ち寄りやすいがため朝の散歩にと出かけてみたのである。
天守閣からは福山の市街が見渡せた。駅周辺の再開発に伴って発掘された遺構が次々と破壊されているのだとも聞く。悲しいことである。

尾道の坂を上る
そして、私は尾道へやってきた。石畳と坂の町、林芙美子に志賀直哉らの文学の町、大林宣彦氏の映画の町と様々な顔で知られる町であるが、私に言わせれば尾道は巨石の町なのである。
巨石の話は後段へ譲るとして、まずは観光客として町を案内してみたい。山の斜面に張り付くように横に広がるのが尾道だ。それゆえ始終坂を上り下りすることになる。私もまだまだ若いつもりであるが少々息が切れる。潮風に背を押されるようにして歩いた。細い路地をくねるように石畳が続く。

天寧寺の五百羅漢
そして、そこかしこに建つ寺院。尾道を歩くとは、寺院を訪ね歩くということに他ならない。駅前で頂戴した観光地図を開くまでもなく、分かれ道には案内板が整備されており迷うようなことはない。案内どおりに寺院を順に見て歩くのが最善である。
なかでも天寧寺にある羅漢堂に並ぶ五百羅漢像は印象深いものであった。五百羅漢というとき、一般には質素な石仏を想像される方が多いのではないか。こちらは彩色鮮やかな木造仏(塑像もある)である。

尾道の猫
ああ、尾道とはなんと表情の多いものであるか。ここは猫の町でもあったのである。角を折れると猫、山門をくぐると猫、地図を見ていると足元に猫と、そこかしこに猫が我が物顔で闊歩していた。巨石の次に猫が好きな私である。近年習得した猫語を駆使して彼らと交感しあった。
文学の町? この文章は「旅と現代文学。」というサイトに載るのだと? そんなものはどうでもよいではないか。「招き猫美術館」なるものもここにはあるというではないか。ヴーニャ ミャーニャ ニャミャーミャ?
(中略)

千光寺
筆が走りすぎたようで申し訳ない。巨石の話だ。尾道の巨石を見たい方は、ロープウェイに乗って千光寺へと行ってみるとよい。観光客の多い寺院でもあるが、そんなところに堂々と巨石は鎮座しているのである。より正確に言えば、巨石のパワーを頂くために巨石に寄り添う堂宇を建てたのが千光寺の由来なのである。

千光寺の玉の岩
本堂の背面に、というより全体に岩肌の山なのであるが、気になる巨石は山とある。目を引くのは写真にあるとおり突端に小さな玉を頂く巨石「玉の岩」である。現在は普通の「玉を乗せた岩」であるが、その昔は光る玉が乗っていたと伝わる。「灯りを入れ灯台の役目を果たしていた」ではない。目的も素材も原理も分からない「光る玉」なのである。これがいかにミステリアスな伝承かご理解いただけるであろうか。
ほかにも夫婦岩や鼓岩、鏡岩など不可思議な謂れをもつ巨石が集中している。まぎれもなく尾道観光のハイライトである。
再びロープウェイを使って山を下り、すぐそばにある艮神社へも立ち寄ってきた。ロープウェイの真下に見える社だ。境内で空を見上げるとロープウェイからの落下防止用ネットが掛っているという神社は世にそう多くはない。

艮神社の巨石
艮神社本堂のすぐ左手に、注連縄を冠する御神体としての巨石がある。写真でお分かりになるだろうか、下部が石垣にめり込んでいるように見える。もちろん岩がまずありそこに石垣を作りつけたものであろうが、この転げ出さんばかりのエネルギーはいかばかりか。すぐ左に見える鳥居と比べるとその巨きさが分かろうかと思う。
艮は丑寅、北東の鬼門を守護する社ということであるが、では何を守護した社かと南西に目を向ければ向島がある。向島も多数の巨石があると知られるところである。艮の意については定説のないところではあるが。

西國寺
さて、少しく腹が減ってきた。尾道の食といえば尾道ラーメンである。巨石と猫の次にラーメンが好きな私である。全国区の知名度を誇る朱華園がすぐそばであったので訪ねてみると果たして長蛇の列であった。泣き濡れてほかの店で昼食とした。
千光寺からさらに東へ歩いていくのが観光コースである。草履の仁王門があるのは西國寺だ。国宝の多宝塔の立つ浄土寺まで行けば、尾道のみどころのほとんどを網羅したことになる。市内を周遊しているレトロバスに乗って駅へと戻ることにした。観光案内もしてくれ、なかなかにファンシーなものだ。
その後は広島市へ向かい、「お好み焼き旨ぇ〜」の旅人となったわけだが、それは巨石を巡る旅とはまた別の話である。