南紀をまわって三重へ。夜行列車乗り継ぎ
行程
- 1995-03-14
- 七尾―纒向―王寺―和歌山―
- 1995-03-15
- ―新宮―松阪―奥津―津―草津―
- 1995-03-16
- ―東京
旅行記
1995-03-14(1日目/火曜日)
天皇陵など奈良を歩いて
実家でしばらくただ飯を喰らったあと、東京へ向かう復路です。前回迷子になったのにも懲りず、再び奈良方面、纒向エリアへ。まずは桜井線の柳本で降りて崇神・景行天皇陵へ。古事記によると崇神は168歳、景行は137歳まで生きたそうです。スゴイね。日本に限らず神話世界の住人は長寿が多い。例えばノアの方舟のノアも長生きした(950歳)ことになってます。事実その時代には人類という種は長生きする生物だったのかもしれないと考えてみるのも楽しい。まぁ関係ないけど。
天皇陵。発掘調査が許されない、というのは何度も言うけど残念。何か凄いものが埋まってそうだ。掘ってみたい。僕が掘りたい。
長岳寺で石仏巡りをして、日本の歴史に残る最古の道「山の辺の道」をしばし感じる。
ひと区間だけバスに乗って(僕しか乗ってなかった)長谷寺方面、箸墓古墳へ。卑弥呼の墓だとか、いや卑弥呼の妹だとか、諸説ありますが、いずれにしても考古学的に興味深いものです。
さて、巻向から再び電車に乗って桜井でまた下車。ゲームセンターで時間を潰したりしながら、なんで時間を潰す必要があるのかと自問します。ウォークマンが突然壊れてしまいました。
王寺でカツ丼を食し、和歌山市をたらたら歩き、新宮夜行に乗りこみます。数少ない普通列車の夜行ですね。ボックスシートを占有し、ゆっくり横になって眠ることができました。
1995-03-15(2日目/水曜日)
名松線に乗りたいだけの旅程
早朝の新宮は、魚屋、豆腐屋などが開店準備で早くも忙しく働いていて、いい生活臭だ。列車ではしっかり眠れたし、気持ちのいい朝です。駅前をぐるっとひと歩きしてまた駅へ。
松阪まで出る。松阪城に猿がいるのはなぜでしょう。檻の中を走り回る猿たち。町並みを見下ろしながら往時に思いを馳せるのだろうに、なぜ猿なのだ。城跡自体は平凡。隣の本居宣長記念館も、まぁ、こんなもんか。
名松線に乗って美杉方面。終着の奥津まで行ったのは8人で、そのうち半分は鉄道マニアっぽい。30分後の降り返し列車に乗っちゃうんだから。僕もだけれど。春の陽射しの中、菓子パンな昼食。自然に囲まれたいいところだねぇ。ぶらぶら歩いていると、道に絵葉書が3枚投げ捨てられてました。無粋なことですけど興味を抑えきれず拾ってみました。3人の友人に娘が生まれたことを報告する女性の文面です。史香と命名、いい名前ですね。彼女はなぜこの葉書を道端に捨てたんでしょうか? 「落とした」風ではなく、捨てられたような印象だったんですよね。史香は無事なんでしょうか。いや、無事なんでしょうけどね。
県庁所在地だけあって津は大きな街です。城跡というには小さすぎる津城跡と、水戸偕楽園とは似つかぬ狭さの津偕楽公園。味わいのないビル群なども実に県庁所在地的。写真は(多分)津偕楽公園のほうで、武将の持つ太刀が太陽できらきら光っているところを撮りたかったものです。うまく撮れてはないですが。
草津で夕食。駅前再開発の工事中で、どれ程リトル・トーキョー化するものか、楽しみではあります。
大垣夜行はなんとか座れました。やっぱり混んでます。
1995-03-16(3日目/木曜日)
青春18切符でまだ遊べるけど
朝、横浜から横浜線で八王子のアパートまで戻り、風呂に入って荷物を置いて、今日の分の青春18切符を使い倒そうと思ってたんですが、雨になりそうだったのでやめて眠ることにします。(了)