萩・津和野、山陰の小京都を訪ねて
行程
- 1998-09-23
- 東京―松江
- 1998-09-24
- 松江―出雲―出雲大社―出雲―温泉津―益田
- 1998-09-25
- 益田―萩―長門湯本温泉―長門
- 1998-09-26
- 長門―津和野―山口
- 1998-09-27
- 山口―東京
旅行記
1998-09-23(1日目/水曜日・祝日)
周遊きっぷを買って旅立とう
ちょっと遅い夏休み。午後になって出発したので移動日です。雨でした。列車が遅れるほどの正統派本格的大雨です。全国的に雨の予報だったから、どこでもいいやと中国地方を選んだんですが、結果的にはなんのことはない全国でももっとも雨の降った地域のひとつです。
津和野・秋芳・萩のゾーン周遊きっぷを使っています。お徳かどうかは別にして、乗り降り自由ってことが好きなので。
新幹線と特急を乗り継いで、夜、松江まできて宿泊。
1998-09-24(2日目/木曜日)
雨の中、出雲に温泉津
松江から移動して出雲駅から出雲大社へ。出雲大社は大粒の雨。学生時代にも出雲を目指したことがあるのですが、松江まで来て台風のため断念した経緯があります。こなくそ!といいつつ来てみれば、雨脚はますます強まり、服はますます肌にはりつき、リュックの中で時刻表はますますよれていきました。伊勢が好きだと公言している僕は、出雲の神々から嫌われているのかもしれない。荒ぶる神という言葉も頭をよぎります。
ざんざん降りのなかをそそくさ参拝。
出雲駅からさらに列車にゆられ、温泉津温泉へ。こう見ると結構まぬけな名前だな。そんなに温泉温泉いうこともないだろうに。ゆのつおんせん、と読みます。
JRの駅からバスも出ていますが、港など眺めながら20分も歩けば温泉街に着きます。静かな温泉街の風情です。外湯は元湯と藤乃湯の2軒。どちらも観光客向けというよりは地元の人達の日常ユーズと見えます。まず元湯に入りました。こっそり撮ろうと思ったらあせっていたのかフラッシュをたいてしまい、思いきりにらまれました。
浴槽はぬるい湯・熱い湯と分かれているんですが、ぬるい湯からして相当熱い(推定43度)。熱いほうは推定48度。地元の方はどうしているかというと、タイルの上に座って談笑している。そんで時折思い出したように桶で湯をかぶる。流れ者の僕には真似できない地元の味。
2軒目、藤乃湯に入ります。おじいさんが2人、それぞれ片足だけ浴槽に浸ける形でなまめかしく横になっておられたので(タオルくらいかけなよ)内部撮影不可。
お湯は(元湯もだけど)少々鉄クサイ。温泉成分のせいなのか、配管が錆びてるみたいなことなのかわかりませんでしたが、古びたお風呂です。
雨はますます強くなり、線路点検のため三保三隅駅で列車は完全に止まってしまいました。「迎えにきてもらいますわー」とそう遠くないところに住んでいるらしい何人かが降りていきました。周遊きっぷのゾーンにさえまだ入っていない、こんなところで僕は何をしているのでしょうか。バッグに詰めてきた4冊の本はここで読みきってしまい、もう何もすることがありません。
結局1時間24分停車後、運行は復旧しました。終点益田で宿をとることにします。
1998-09-25(3日目/金曜日)
萩・城下町サイクリング
翌日は一転、すばらしい晴れになりました。嬉しい! 萩へやってきました。
晴れた喜びに満ち溢れ自転車。駅前に何軒もレンタサイクルの店があります。観光地がまとまってるエリアだとよく使うんですよね、自転車。気楽じゃないですか。歌いながら自転車をこぎます。興奮ぎみに萩の町を飛ばします。
萩城。指月公園として整備されています。天守は残ってなくて、城跡としての公園です。しかし、「城」よりも「城下町の町並み」のほうがより整備されているのはなぜなんでしょうか。ここに限らずときどき思うんですが、立派な城下町を保存してるのに、城がしょぼいってのはどうなんでしょうか。
大丈夫、生きてます。猫を見るとどうしても寄っていってしまう。どちらかというと犬好きなんですが、カメラ写りのいいのは猫のほうですね。右腕がちょっといろっぽい。
萩の中心部、城下町エリア。ガイドマップを見ながらあちこち歩いてみます。高杉晋作・木戸孝允など明治維新の方々が住んだところ。その旧宅が保存されています。わりと自然。倉敷のような「作り物っぽさ」はない。いいことですね。
写真の、蔵造り風なのはまだアレとしても、名士の方々の「旧宅」はほんとにただの田舎民家なんですよね。看板が立ってなかったら足も止めないような。建物自体も小さいので絵としては面白みにかけるのですが、往時を偲ばせる風情です。
東萩駅。次の列車まで30分あるなと思ってコンビニで立ち読みしてたら、乗り遅れてしまいました。次は1時間後。今度は駅近くの本屋で3分おきに時計を見ながら時間を潰しました。つうか1時間あったら観光でもしなさいよ。
長門湯本温泉へ。実は東萩駅からぐるっと回ってます。山陰本線で下関まで出て、厚狭から美祢線を北上。列車に乗ってるのが好きなんですよ。やばいかな。
温泉街へは駅から徒歩10分くらい。川が流れ、柳があり、温泉場という雰囲気でいい。外湯が2軒、ここは恩湯。湯はぬるい。口に含むとようやく分かる程度のほのかな硫黄臭あります。
恩湯から少し坂を上って礼湯。例によって風呂内は撮れなかったので脱衣場にて。管理人の苦労が偲ばれます。風呂は普通の銭湯という感じで、もう少し風情があってもいいと思います。
長門湯本駅。今日はどうしたことか、東萩に続いて列車に遅れること2敗目。20時23分のものに乗ろうとしたのですが、夜道に迷うというアクシデントもあり、駅に着いたら24分でした。見えるでしょうか。次の列車は22時45分(最終)。温泉後に走ったおかげで汗だくです。この辺は温泉宿ばかりのようだし、ビジネスホテルに泊るにはやはり長門市駅までは出たい。なぜビジネスホテルにこだわっているのかも分かりませんが。
タクシーに乗るか迷ったあげく、2時間座って待つことにしました。本でも読んでりゃすぐだ。あ、写真の18時あたりにいるのはカマキリです。
夜遅くに長門について宿泊。
1998-09-26(4日目/土曜日)
乙女チックな津和野散歩
長門を朝出て、次は津和野へやってきました。ここでもやはりレンタサイクルを借りました。乙女峠マリア聖堂へ。もちろん見目麗しい乙女との運命的な出逢いを求めて行くわけですが、うまく行かないもんですな。おばはんばかりでしたな。
聖堂はすごく小さい。四畳半くらい。
さらに津和野は太鼓谷稲成神社。京都伏見稲荷と同じ趣向、鳥居の道。でもキツネになにかを願うという心理がいまだにわかりません。
「稲成」と書くのは全国でここだけ。「成就」にかかっているため、参拝者はいろいろ祈ります。
あまりいい趣味とは言えませんが、人の絵馬を見るのが好きです。さすがに写真は撮りませんが。こんなのがありました。「山下雄三 21歳 03-****-**** 電話してね」(仮名にしました)……ここまで神仏をなめきる覚悟は僕にはまだありません。他には「MAXのLiveに行けますように Kinkiのコンサートに行けますように」というのも。願いがかなうといいですね。あとは「美奈と一緒になれますように 和也と一緒になれますように 和也&美奈」というタイプもよく見かけますね。はよ一緒になったらええやないかい。
津和野らしい景観といえば掘割。鯉が泳いでいます。団体客が多すぎて少々つらい。「この鯉見えますかー。これ。金色のやつ、ね。これ、マッチ。近藤真彦。見えますかー。金のやつ。マッチ。ギンギラギンにさりげなく、ね」なんてことを拡声器でしゃべるのはやめてほしい。旅情という言葉は遥か彼方に吹き飛びます。
あ、また雨が降り出したようです。列車で山口駅まで行って宿泊。
1998-09-27(5日目/日曜日)
山口で大内文化に触れる散策
山口を観光しよう。まず山口サビエル記念聖堂へ。最近改装し、新しくなったばかりです。ミサの最中とかで中には入れませんでした。ミサといえば聖飢魔II。大教典、小教典。なんてことが頭によぎるばかりのどうしようもない旅人です。あとは「サビエル」なのか「ザビエル」なのかどっちよというのも頭をよぎります。
さらに瑠璃光寺五重塔。全体的に京都っぽいです。
要するに京都のマネをすることがいかしてたわけですね、この当時の時代には。ルーズソックスが全国に広がっていったように、京文化は田舎にも大いに伝達したわけですね。まぁ「京文化を輸入する人」の腕によって大いにその様相は変わるのですが、ここ山口ではそれは成功してます。
いや単純にいいお寺だと思いますよ。
というところで帰ります。ま、こんなとこでしょう。新幹線でビールを飲みながら帰ります。こういう写真を車内で撮るのはかなり恥ずかしい。
今回読んだ本。列車で旅する最大の利点は本がゆっくり読めることですね。言い訳が必要な本も多少ありますが、別にいいでしょう。それではまた。(了)