瀬戸内の町々。宮島まで鹿に会いに
行程
- 1998-12-26
- 東京―広島
- 1998-12-27
- 広島―防府―徳山
- 1998-12-28
- 徳山―岩国―柳井
- 1998-12-29
- 柳井―宮島―姫路
- 1998-12-30
- 姫路―京都―七尾
旅行記
1998-12-26(1日目/土曜日)
広島まで新幹線の移動日
僕の実家は能登なんですが、正月帰省の寄り道(というか回り道)としてどこかぶらつくのが常になっています。青春18切符を使って気ままな旅程。今年は山陽を選んでみました。1日目(26日)は18切符を温存し、新幹線で東京から広島まで直行。ただの移動日でした。
1998-12-27(2日目/日曜日)
師走の防府天満宮へ
2日目。広島で泊まったのは翌日宮島へ行こうと思ったからなんですが、雨が降っていたのでちょっと列車に乗って西へ進んでみることにしました。広島県から山口県に入って、防府で晴れてきたので下車します。
防府天満宮へ。京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮と並んで日本三大天神と呼ばれます。菅原道真の怨霊が鎮められているわけですね。初詣客の受け入れ準備で皆走り回っている。そのせいかどうか、厳かさに欠ける。
境内には当然のように鳩がいました。なぜなんでしょうね、神社仏閣に鳩がいるという風俗形態は。浅草寺なんてすごいですよね。昔行った時には両肩に鳩がとまったものでした。庶民的な味を出そうという寺社側のコンセプトがあるのでしょうか。あるいは「首を振らずには歩けない」ということが何かの説法的な意味合いにでもなっているのか。
防府は猫の町なんでしょうか。町中猫だらけでした(言い過ぎだけど)。それでいて警戒心が強いので写真は撮らせてもらえませんでした。残念。
少し歩くと周防国分寺があります。多くの国分寺が石碑だけになってたりする中、ここは現役の寺です。が、改修工事中でした。残念。
さらに歩いて毛利博物館、毛利氏庭園へ。毛利氏の邸宅跡ですね。池を配した庭は結構綺麗ですよ。邸宅は資料館となってて、歴史のお勉強ができます。それからぶらぶらと時間をつぶしつつ徳山まで戻りビジネスホテルへ。
1998-12-28(3日目/月曜日)
岩国のシロヘビは見れず
3日目。徳山は港のそばだったのでしばし海を眺めつつ、ガイドブックも広げて、今日の行き先を考える。
徳山から一駅、新南陽駅で降りてみました。建咲院というお寺に。観光客が来るようなお寺ではないんでしょうかね、特に何があるというわけでもなさそう。地図で見つけてなかなかよさそうな名前だったから来てみただけです。
それから岩国へ出る。岩国観光のハイライト(というかここしか見所はないんだけど)錦帯橋へ。アーチ状の5連橋が美しい。なんですか、車で乗りこんだ暴走族に壊されてしばし改修工事をやってたって噂を聞いたんですが、本当ですか? この時にはキチンとなってました。河原から見上げる形がベストビューのようですね。
錦帯橋の向こうは岩国城を中心として吉川氏の拠点だった場所。城はロープウエーで登った山頂にあるのですが、面倒だったので行きませんでした。ただ麓をぶらついてただけ。資料館や寺社が集まってて退屈はしませんね。写真は吉川氏の菩提寺、洞泉寺。そもそも吉川氏って誰だ。毛利元就の子・吉川元春ならかろうじて知ってるけど、それより幾代も後のものだからねぇ。
この案内板はちょっとないんじゃないでしょうか。シロヘビって。ええ、確かにいるんですよシロヘビ。せめて「シロヘビ鑑賞施設」くらい言いましょうよ。難しいことを言えば白色変種なんですが、代々遺伝するのは学術的に珍しいってことらしいです。昔の人は「神の使いだ」って畏怖したわけですね。
岩国歴史美術館です。いや、マックショップの向こうが。「歴史の香る吉香公園の景観にふさわしく城郭風の建物」としたらしいのですが、歴史というより林檎の香りがします。中は鎧など武具が充実している。柳井へ移動し宿泊。
1998-12-29(4日目/火曜日)
宮島は干潮だった
柳井は江戸時代に商業都市として栄えたそうで、古い町並みが保存されています。保存地区のメインストリートも観光的面構えをしているのですが、細い路地を入ってみてもなかなか味があります。
味があるというか、これは保存地区として整備したものなので、「裏路地まで見られることを意識している」ということですよね。それは良いことか悪いことか。
近くにある湘江庵には「柳井」の由来となった柳と井戸があります。
さて宮島です。もともと今回の旅は宮島へ行きたいと思ってたんでした。旅程で言うと、西へ進んだり東へ戻ったり、あんまり効率的には動いてないんですがまぁ気分で。フェリーに乗って、宮島到着、厳島神社へとやってきました。有名な海中の鳥居はちょうど干潮時で、歩いていける状態でした。満潮まで待ってその写真も収めようかとも思ったのですが、どのくらい待てばいいのかも分からないのでやめます。
島には鹿が山ほどいます。「宮島口行きフェリー発船時刻」の看板をじっと眺めたりしている鹿、鹿。鳥居が遠くに見えます。この鳥居、なぜ海中にあるのか、ということが謎なんですよね。珍しいねって写真撮ってるだけじゃなく、そこんとこを突き詰めなきゃ夜も眠れない。結局よくわからないですけどね。
厳島神社からちょっと登ったところにある大聖院。悪くないんだけど、アンパンマンの石像とかが置いてあって、ファニーな印象。由緒あるお寺、弥山の山頂まで境内とする寺院ですけど、そんなんでいいのでしょうか。
厳島神社に侍る五重塔。なんだかもう疲れてきて言葉少なになってきてるな。鳥居とセットで宮島のイメージですね。そして姫路宿泊。
1998-12-30(5日目/水曜日)
東寺で仏像たちを鑑賞
五重塔が続きます。こちらは打って変わって京都・東寺です。はい、5日目です。朝、姫路を出て、この日のうちに実家へと入る予定で、ちょっとだけ京都で途中下車しました。ぶらぶら歩きながらやってきた東寺。どうしても逆光になってしまったので、外側から撮ったものを使いました。やっぱり美しいです。
東寺金堂。横の講堂とともに、貴重な仏像てんこもりです。いくらか修理しているみたいですけどね。日光・月光の渋みなんて修学旅行で来たってわかりっこないんですよね。それでいて、「行ったことがある」という記憶だけ残るからやっかいなんです。修学旅行で行ったことがある場所を、あとで改めて訪ねてみると、発見がいっぱいです。
僕の実家、石川県は七尾です。郷愁という意味でモノクロームにしてみました。わざわざ田舎っぽいところを選んで撮ったわけではなく、これ家の前です。はは。なーんにもない。こんな風景の中、高校までを過ごしたわけですよ。その人格形成に与える影響はいかばかりか。ま、こんな風にして1998年は暮れて行きましたとさ。
おまけです。正月明け、1枚残してる青春18きっぷで鈍行を乗り継いで東京まで出る予定。途中の大糸線、南小谷の風景です。のんきに写真撮ってますけど、このあと、鈍行に疲れて特急で帰ろうと思い直し、スーパーあずさに乗り込みます。そうしたらば、そのスーパーあずさが途中事故で5時間停車。最寄り駅にも着けず、閉じ込められました。照明電源も落ちて、怒号渦巻く真っ暗な車内。そんな不運な年明けだったのでした。(了)