佐渡紀行、失われたトキ、見出されたトキ

行程

[新潟/新潟、両津、相川] 佐渡へ。阿部和重『ニッポニアニッポン』を読んでトキに会いたくなったんです。写真データが壊れてしまったので後半の写真はありません。
「佐渡紀行、失われたトキ、見出されたトキ」地図
2001-10-06
東京―新潟
2001-10-07
新潟―両津―真野―相川
2001-10-08
相川―両津―新潟―東京

旅行記

2001-10-06(1日目/土曜日)
ある日佐渡へ行きたくなり

新潟駅
新潟駅

今回はトキを訪ねての佐渡一人旅です。しかし、デジカメのデータがふっとんでしまい、新潟市の数枚のみ救出できたのみで、佐渡部分全滅。前回の函館ではデジカメ自体を紛失し、今回はこれかよーって。しようがないので、使うつもりもなかった写真も全部使って(といっても3点です)、後半は文章だけになるけれど、勘弁してください。

さて。気をとりなおして。3連休に佐渡へ行ってきました。前日の夜、ベッドで横になりながらどっか行きたいなと考えてたんですけど、不意にトキが見たくなって、ついでに「失われたトキ、見出されたトキ」というタイトルも一緒に思い浮かんで、ひとりで大笑いしながら(実は内輪ウケ狙いでまったく意味はないんだけれど)よし佐渡にしようと。そういうよく分からない動機に突き動かされつつ、翌朝、のんびりしてたら出発が昼になったんだけども、新幹線に乗り込んだのでした。

そういったらアホっぽいのでフォローさせてもらえば、最近読んだ阿部和重『ニッポニアニッポン』で佐渡が舞台になるんですよね。トキが重要な役割を担う小説でね。これが前提にありつつの、佐渡。小説内では新潟ゆきの新幹線でひとつの出会いがあるんですが、そんなこともあるはずもなく新潟へ入ります。

万代橋
万代橋

新潟駅に到着すると午後3時。今から佐渡へ渡ると宿入って寝るだけになるけれど、小旅館しかないはずの佐渡でこの連休に宿なんてとれるのかしらんと、ひとまず駅前の観光案内所で入手したパンフレットに載ってた旅館に電話してみました。満室だと断られ、くじけ、佐渡へ渡るのは明日にして、今日は新潟宿泊にします。

新潟の街を歩きましょう。新潟は学生時代に訪れた折に主なみどころは見てしまっているので、今日は北上、海を目指してとりあえず歩くことにしました。駅前の通りをまっすぐに、橋を渡り、新潟旧市街を抜け、ドッペリ坂(不意にドイツ語)を登り、森を越え、なぜかロードレース中の給水地点を邪魔にならないように急ぎ足で過ぎると日本海に出ます。

日本海を眺めて
日本海を眺めて

海辺へ降り、右手にはカップルが座っていたので左手へ歩いて腰をおろします。陽が傾きかけた海を、防波堤に座ってぼんやりと眺める。海を見るのは好きですね。波が地を叩くどうんという音も好きです。特に何もするでもなく、時を失ってゆくという実感が心を癒してくれます。時間が無駄に流れてゆくという実感だけが、どこにも隙間のない会社仕事の気ぜわしさから解放してくれます。まぁ、仕事に疲れてるってことですね。旅に出るのはその疲れを癒やすためで、そのためには時間を無駄に費やすことが一番なんですよね。

それでも1時間ばかり座っていると寒くなってきたので(風邪が治りかけってところでもあるので)戻り、ソバ屋へ。今日のゴルフのできばえやキャディの質について延々語っている中年グループの隣で、静かに蕎麦をビールで流しこみました。

駅前のビジネスホテルを取って泊まります。夜中、部活の試合が明日あるらしい(という会話が嫌でも聞こえてくる)高校生男女が廊下を走り回っては青春していて、なかなか眠れない。

2001-10-07(2日目/日曜日)
トキはどこにいるの?

朝、港へ向かい、ジェットフォイルで佐渡へ渡ります。「水面を浮くように走る」船。飛行機のようなシートになっていて、ベルトを締めて乗ります。佐渡観光マップを眺めているうちに約1時間で佐渡、両津港に到着します。

とりあえず、今回の目的である、トキを見にいくことにします。路線バスでは行けないようだったのでタクシーで。佐渡が初めてだと聞くと運転手が「右に見えてるのが加茂湖。昔は淡水だったんだけど、船入れるために割ったから今は海水が入ってるんだ」などと観光案内をしてくれました。「帰りの足はどうするの? メーター降ろして待ってようか?」と提案してくれる親切な人で。バス路線のある通りまでここからは2キロほどなので「歩くのでいいです」と辞退して、トキ保護センターへ向かいます。

さすがに観光スポットらしく、観光バスでやってきたらしいツアー客がたくさん。公園の入口にはトキのぬいぐるみなんかを売っている出店があったり、トキを見せてトキを売る施設。

まず、手前に資料展示館があります。トキの生態、世界分布などの展示。その奥にトキのケージがあるみたいですね。で……全然見えない。遠すぎるんですよ。トキを驚かさないようにという配慮のもと、人が入れるエリアのずーっと向こうにケージがあるんですよね。ユウユウが入っているらしいところは最深部で、米粒ほどにも見えない。もう少し手前にシンシンだかアイアイだかがいるんですが、カメラのズームを最大にしてファインダーを覗くとなんとか「トキである」ことが確認できる程度です。それを観光客たちは東京タワーの展望台にあるような望遠鏡で覗くという。しかも、何羽もいて。お前らは誰だ? 絶滅が危惧される種にしてはいやに賑やかなトキ籠。

『ニッポニアニッポン』で主人公がここを訪れ、ああなってこうなるのだな(読んでない人のために自粛)。そのなかでも「遠い」ことは触れられてたんですが、「こんなに大勢いらっしゃる」とは知りませんでした。

早々に施設を出て歩く。新穂の田園風景。小川が流れ、遠く山裾に民家が点々と見えます。この辺りの風景はうちの田舎に似ていて懐かしい感じです。同じ日本海の農村だから似ててもおかしくないですね。歩いていると牛の匂いがしてきて、この感じもますます懐かしい。道端にあった牛小屋を覗くと、2頭がじっとこちらを見つめていました。

しばらく行くと、太鼓の音が聞こえてきました。祭りでもやってるんでしょうか。その音に引き寄せられるように歩くと、「鬼太鼓inにいぼ」というフェスのようです。舞台で鬼が太鼓を叩いてます。佐渡の郷土芸能で獅子舞の一種ということらしいですね。たまたま年に一度のその日だった模様、ラッキー。露店もいっぱい出ていて賑やかなお祭り。こういう、「牛の匂いがする、どこだ?」とか、「太鼓の音がするぞ、行ってみよう」とか、こういう身軽さがやっぱり旅の醍醐味で、それを味わうために事前に予定はなるべく立てないで歩くようにしてます。

さて、そこからバスに乗って、真野のほうへ向かいます。観光パンフレットの受け売りでいえば、佐渡には三つの文化の流れがあります。まず流人がもたらした貴族文化。そして金山を管轄した武家文化。さらに千石船を中心とする商人の文化。それぞれ真野・相川・小木という町が中心となってまして、その真野。すなわち貴族文化、寺社が並ぶエリアとなっています。観光マップで見て、いいかもしれんとやってきたわけですね。

バス停竹田橋で降りてまずは能舞台の残る大膳神社へ。緑のなか、人の気配のまったくないなかでぽつんと立つ舞台は「なんでここに?」という不思議な印象になってますが、民衆のなかで育まれた能文化という世界はなかなかソソるものはあります。その先の妙宣寺には県内唯一の五重塔があります。優美なフォルム。都の文化人が流されてきた歴史がなければ存在しないはずのもので、複雑な時代のうごめきにしばし見とれてしまいます。さらにアップダウンある山道を歩くと国分寺がありまして、現在堂宇のある国分寺に、まだ発掘調査中の当時の国分寺跡が並んでいました。想像が広がるという意味で、「跡」のほうが好きですね。草の上に座って、リュックからペットボトルのお茶を取り出して飲み、あくまで青い空を見上げる。主要道からかなり離れているからか誰も来ません。車もまったく通りません。

真野の市街地まで歩くと、「まのワクワクまつり」という幟が立っていました。どうやら今日真野公園で開催されているらしいもの。どんな祭りなのかまったく想像できず(ワクワクするんでしょうね)、見にいきたい衝動にも駆られますが、真野公園がどこにあるのか分からず断念。お腹がすいたけど食事処も見当たらないので、何か食べるもの買おうかと雑貨屋に入って、時計を見るともう2時です。見たこともないようなローカルブランドのパンを2つ3つ買う。「相川へバスで行きたいんですけど、この辺にバス停あります?」とお店のおばあさんに尋ねる。「向こうの(といって表まで出て指差す)バス停から佐和田ゆきがあるよ」と言うおばあさんに何度か問い返し、佐和田まで行って乗り換えるのだと判明。承知して、バス停ベンチに座ってパンを食べます。真野公園の場所を聞けばよかったとあとで思いましたが、野良猫にパンを投げ与えたりしてるうちにバスが来たので乗ります。

3時、仰せどおりに佐和田で乗り換え相川へ到着。前述どおり武家文化の町で、佐渡金山のベースタウンとなります。この辺で宿を取りたいなと思い、観光案内所で聞いてみることにしました。「連休でどこもいっぱいで、さっきも別のお客さんに断ったんだけれど、ちょうど今ひと部屋空いたという情報が入ったのよ」とやや怪しい口調でおばさんが旅館のパンフレットを差し出してきます。どこでもよかったので「ここにします」と言って、予約を入れてもらいました。

さて、日暮れまでの時間でこの町を歩くつもりで出ようとすると、「尖閣湾は見た?」と引き止められました。いや、見てません。「路線バスの旅?」と言う。路線バスの旅!なんだそれは?と思いましたが、黙って頷いてみます。「15:45にバスが出るからそれに乗って、尖閣湾前に16:03着。それから17:07発のバスでここまで戻ってきたら17:25。ほらちょうどいい時間だわよ」なんてバス時刻表を取り出してマーカーを引きながらアドバイスしてくれます。尖閣湾というのは切り立った断崖が海に映える景勝地で、周辺の見所のひとつなので、行ってみることにしようかなと思います。自分の行き先を人に決められるのはあまり好きではないんですが、宿の手配をしてくれた親切な方です。

しかし、まだ話は終わりません。「明日の予定は? 明日も佐渡に泊るの?」と聞くので、明日中に東京まで戻りたいのだがどこを見て回るのかはまだ全然決めていないと正直に答えます。「路線バスの旅でしょ? 北へぐるっと回ったらいいわよ」と言ってバス時刻表にどんどんマーカーを塗ってゆきます。「相川9:50分発、尖閣湾は今日これから行くから通過して、終点岩屋口に11:00着、11:10のバスに乗り継いで……あらこの路線明後日から冬季運休だわ、ラッキーよあなた、それで大野亀11:32着、ここから二ツ亀まで歩いてください、景色いいところですからね、二ツ亀13:07発のバスで鷲崎13:17着、13:30のバスに連絡、これが両津埠頭に14:25に着く、15:10の新潟行きフェリーにちょうど乗れるからとにかくもうばっちりじゃない」と、あっというまに明日のスケジュールが引かれてしまいました。びっくりしました。

ムッとしてるのが悟られないように相槌を打ちながらも、よっぽど途中で遮ろうかと思ったんですが、快活にしてなお威圧的な口調で入る隙がなく、聞き流すので精一杯でした。「小木は遠いですかね?」とまったく逆方向の地名を出してささやかな抵抗を試みてもみたんですが、「遠すぎていけないわよ。北に行きなさい」と一蹴。明日のスケジュールはあくまでも僕が決めるのであって、それが楽しみなのであって、その楽しみを奪わないでほしいのですよ。そもそも「路線バスの旅」ってなんですか。徒歩か路線バスしか移動の足はないので言葉としては間違ってないんでしょうけど、「バスに乗るのが趣味」ではないので……。今日の予定がピンク、明日は黄色でマーカーされたバス時刻表を持たされて、どっと疲れながら観光案内所を後にします。そして、尖閣湾ゆきのバスに乗りこんだのですね。

尖閣湾を一望できる展望台があります。海の水はすごくきれいで、びょうびょうと風が吹いて、断崖に波が打ち付ける風景も完成された景勝地。記念撮影しながら焼きイカが食べられたりします。「君の名は」の舞台だそうで、ロケ風景を展示した資料館もありました。小さな水族館も。団体客が多くきてました。展望台に向かうには500円の入場料が必要なんですが、受け付けの前には「500円の価値があるんやろか」と入ろか止めよか考え中なおじさんグループたちが。価値はあなた次第です。

宿に入ります。考えてみたら、まともな旅館に一人で泊るのは(仕事を除けば)初めてです。温泉でないのが残念だけれど大浴場に浸かって、サウナでビール渇望度を高めてから夕食。カニやイカ、海の幸たっぷりの豪勢なもので、「これなにかな?」と相方と話しながら食べたい種類の料理でした。もらったバス時刻表を改めて見ながら明日の旅程を検討すると、あのおばさんから提示されたルートは実際、よくできています。これしかないって気もしはじめました。面倒なので朝の気分で決めることにして、寝ることにします。

2001-10-08(3日目/月曜日・祝日)
バス旅をやめてゆるゆる歩き

朝。天気予報でも見ようかとテレビをつけたら「報復開始」のニュース一色。戦争が始まります。大変なことになっている。「路線バスの旅」どころではないので、昨日の観光案内所のおばさんのルートは行かないことにして、ひとまず相川の町を歩くことにしました。

金山のベースキャンプにあたり、江戸時代に大いに賑わった名残がそこかしこにあります。小さな寺が立ち並び、道を曲がるとどこへ続くのか分からない坂道に石段が突然現れる、弾む息を押さえながら坂道で振り返ると海が見える……という印象としては尾道的。京都や大阪からやって来た商人たちが軒を連ねたという京町通りはいまでは静かな住宅地となってますし、400人を越える遊女が詰めたという巨大な遊郭も碑が立つのみですが、往時の喧騒が聞こえて来るようです。

外で遊んでいた小学生の姉弟がカメラをぶら下げた僕に走り寄ってきて、「写真撮ってんのー?」と言いながらしばらくついてくる。東南アジアですかここは。素朴な町の素朴な子供たち。

現在発掘・再現工事中の佐渡奉行所跡へ。奉行所の建物を見学できます。お白州なんかもあり、観光に来た一団、ノリ性のおじさんが白州のゴザに正座して苦渋の表情を浮かべては、仲間内の失笑を買ったりしていました。

そこで裁かれた者を収監したのか牢獄の跡などもあり、慰霊の花がいまでも手向けられていました。そこから伸びる坂は「地獄坂」という名前だったりして……。ゆっくり史跡巡りできる味のある町ですね、バス旅やめて町歩きで正解でした。

この町のメイン観光スポットは当然「佐渡金山」になるわけですが、リアルな人形が穴掘ってたりするのは行かなくても想像つくので、入らないことにします。

温泉施設があったので入ってみました。「ワイドブルーあいかわ」。なにか足りてないような気にさせる小粋な名前ですね。ジャグジーや打たせ湯、ミストサウナなんかも完備したきれいなところ。温泉プールもあります。窓から海を眺めながらゆっくり浸かります。よく分からないんですがミストサウナってこれであってます? 温かい小雨が降っている小部屋なのですが。脱衣場に置いてあるテレビでは当然テロ報復のニュースをずっとやっています。すっぱだかのおっさんが(僕のことではない)呆然と見入ったりしていました。

温泉に付随した食事処で昼食をとり、両津行きのバスに乗ります。

途中、可愛い女性2人組みが降りたところでつられて降ります。観光マップを引っ張り出して確認すると黒木御所跡というみどころがあるようです。ここへ流されてきた順徳上皇の仮宮の跡ということですね。ほかに上皇の持仏(?)を祭る本光寺、同様に流されてきた世阿弥が腰掛けた岩(?)が残る正法寺など。ぐるりと歩いてバス停へ戻ります。

いま多分2時半ごろだろうからともうすぐ来るはずの両津行きのバスを待っていると、柿野浦行きというバスがやってきました。バス時刻表と照らしてみると、両津行きがちょうど出たばかりの時刻であるようです(時計を持ち歩かない旅だとこういう回りくどい方法でしか時刻が分からないのです)。1時間後の次のバスをただ待つのもなんなので一つ先のバス停まで歩いてみることにしました。島内で1本しかない国道沿いなので交通量はそれなりにあるんですが、交わる砂利道がまっすぐに大佐渡山脈まで伸びてたり、突如地蔵が立ってたりするので退屈はしない道です。スーパーに併設して「本・CDお売りください」な古本屋があったので立ち寄ってみます。こういう店の言う「本」ってのはたいてい漫画のことなんだよね、とそれほど期待せずに入ったんですがなかなか充実してました。欲しかった絶版本を100円コーナーで見つけて喜ぶ。恐らく喜んでいるうちに1本バスが通り過ぎたであろう、バス停そばに座って次のバスを待ちます。

両津港に戻って次の船のチケットを買おうとすると満席。しようがなくもう一本先の船を買って、港周辺を見て歩きます。加茂湖のほとりで船上、網を修繕しているおじさんの手さばきや、魚の干物を店先で作っているおばさんの影、早くも陽が傾き始めた港町で、ああ旅が終わらなければいいのにな、と思いながら疲れた足をひきずって歩いたのでした。(了)