2000年1~3月

近況報告

増殖する自意識

村上龍の新作『共生虫』、インターネットをやる人間(つまりこのページを読んでいる人間)なら興味深く読めると思います。ある男の手記で、「自意識の増殖にネットでのコミュニケーションは耐えることができませんから病気の芽を持っている人間はすぐに病気になります」と言わせています。ネットという匿名性の中で膨張する悪意。クラッカーも、ネットアイドルも、みんな病気ですからね。彼らを被害者と同情する気はありませんが、そうならない皆は立派だな思いますね。実際、危険な場だと思いますし。現代的なテーマを常に書き記してきた彼らしい作品です。

もう一方(?)のテーマとして「引きこもり」というこれまた現代的な要素を取りこんでいるのですが、ホームページにMLなどネット世代の問題のほうがリアルに感じます。それはすでに病気なのかもしれません。あなたは大丈夫ですか? へたなことやってると殺されますよ。

ロックンロールミシン

鈴木清剛、デビュー作の『ラジオ デイズ』はピンと来なかったんですが、『ロックンロールミシン』面白いじゃないですか。「理解不能なヤツだけど、俺は共感するね」っていうスタンスは前作と共通のものですが、より強化されてます。「共感している主人公」に共感することを許してます。終局の盛り上げ方とラストシーンの爽やかさがそつなくも心地よいです。あまりバカな若者を持ち上げるとますますバカになっていくのでやめたいんですけどね。

交通標語というものは

椎名誠の新宿赤マントシリーズ、2冊続けて読んでました。まぁ、相変わらずですけども。その中で「日本の交通標語はなんて無意味なのだ」という類の話があるのですが、実にそのとおり。僕がかねがね疑問に思ってたのはですね(椎名誠と論点は違ってしまうのですが)、「なぜあれは5・7・5なんだ?」ということなんです。「手をあげて指差し確認よい運転」ですね。日本人に馴染むリズムなのかもしれないんですが、逆に頭を素通りするだけではないかと思うのです。「運転中によそ見したら死ぬぞ」などと書いたほうが(5・7・5でないので)注意喚起力は圧倒的に高い。つまり、くだらない駄洒落などをべたべた貼りつけて自己満足してる輩は、事故を減らしたいなどとはツユとも思っていないのではないかと思うのですよ。そんなんでいいのか、日本よ。

そんなにヤクザがスキか

忙しいんです、最近。って年中言ってるけど。休日に更新分書き溜めるしかなさそうです。連休にこんなことやってるのもバカな話ですけどね。

花村萬月の『皆月』、なかなか素敵です。松本城の急な階段を登りながら、女の下着が覗けてしまい欲情するシーンなんて彼らしくって素敵です。しかし、彼の作品にはヤクザが出てくることが多いんですが、なぜ皆オカマ的なんでしょうか。

汽車ぽっぽ

宮脇俊三も入れておくことにしました。全部「汽車ぽっぽ」な紀行エッセイですが。鉄道ファンは「宮脇派」と「種村(直樹)派」に分かれると聞いたこともありますが、よく分かりません。どちらかといえば一人旅の慕情、といったものが好きなので僕は「宮脇派」になるのでしょうか。最近はあまり時間とれない(という言い訳)ですけど、あー、鉄道に乗りたい。じゃない、旅に出たい。

村上龍も、手元に現物が残っていない本が多くなってきてそろそろ辛いんですが、なんとか読んだ本全部アップまでがんばってみたいと思います。

古本は回る

日比谷線で脱線事故がありましたね。僕も中目黒で40分ほど足止めくらいました。しかし、何があるか分からないものですね、怖い怖い。

さて、『二重螺旋のミレニアム』。近未来SFですが、渡辺浩弐の手触りに似ている。科学犯罪にのりだす捜査官。まぁ、そういったもののパスティーシュと読んでしまってもいいわけですが。いろいろ伏線をはりつつの連作で、それなりに楽しめるのではないでしょうか。

ところでこれは古本屋で買ったのだが、「高価買取本」というスリップが付いてきた。「読み終えた本は再び当店へお持ちください。スリップ持参の場合、上記の買取価格で買い戻します。」とある。買取金額は480円、有効期限は4月20日。なるほど。こういうの初めて見たのでちょっと面白かったんですが。新刊本はこういう風に回るのか。なんだか誰も損しない感じで、楽しげなシステムではあります。普通読み終わってすぐに売る、なんてことは僕はしないのですが、「これを持っていくと480円もらえる」と金額までパッキリ分かっていると売りたい衝動にも駆られます。うまい商売です。

不破純って知ってますか。

不破純なんてのを入れてみました。分かる人はいるのでしょうか。もう10年近くも前なんですね、思い起こせば。当時、月刊カドカワ誌上で「ポスト尾崎豊」的にもてはやされてました。尾崎と対談もしてました。で読んでみたわけです。学校を拒否する同時代的な若者を描く青春小説なんですが、とにかく文章が下手なんですね。やりたいことは分かるんですが、ツライものがある。ページにおける文章密度から言えば小説というよりは詩で、語彙は易しい。だから万人におすすめはしません。もし、あなたが現在中高生なら読んでみてもいいかもしれない。「こういう風に感じているのは僕だけじゃなかったんだ」と気づくでしょう。思っているほど自分が特別な存在ではないということもね。まぁ、そんな感じです。それでも3作目まで(というかこれで全作)読んでしまうのは僕の良心と考えて欲しいんですが(笑)。

彼の本は手元に残っていないのでプロフィール書けてません。ネットでも見つからなかったので、知ってる人がいたら教えてくださいね。

紀伊国屋書店渋谷店殿

いただきマンモス!

さて。またしても鴻上尚史の新刊本、演劇コーナーにて発見される。なぜ新刊コーナーで一時たりとも置かれずに演劇コーナーで平積みになるのか。東急プラザ5階紀伊国屋書店渋谷店殿はなにをお考えになっていらっしゃるのか。週に2度3度と足を運びお気に入りの作家の新刊をいち早く見つけてはその手触りにくふくふと笑っている本好きをなめていらっしゃるのだろうか。しかも今晩は浄水機を売り歩く輩を部屋へ上げいれ、ほら、黄色くなりますよね、塩素なんです。という科学実験を行わせてしまった。惨憺たるありさま。すべて東急プラザ5階紀伊国屋書店渋谷店殿のせいである。

町田康の本を読んでいるとその口調を真似たくてしようがなくなるんだけれども、まぁそれはいいとして。『ロンドン・デイズ』、鴻上がイギリス・ギルドホール演劇学校で学んだ1年間の記録です。演技のできない役者でも顔がよければオーケーという国と違い、シェークスピアを拝するイギリスでは体系的な演技技能修練がトラディショナルな形であるわけですね。文化差異的なあれこれが楽しく書かれています。なかなか興味深い。

フレーム嫌いな人いますか。

「タイプ別おすすめ本」のコーナー、ちょっと変えました。フレーム使うことにしました。実はフレームって個人的には好きじゃないんです。自分がいまどこにいるのか、すぐ分からなくなってしまって不安になるんです。それに「フレーム=便利」ではなくて単にカッコイイから導入してるだけのページもよくありますしね。だからクロスブラウザとかうんぬんより前に、個人的好き嫌いだけでこれまであえて使ってませんでした。フレーム使用しなくても分かりやすいようなシンプルな構成を目指してきました。でも、「タイプ別おすすめ本」のページにはやっぱり必要ではないかと、首脳会議で(といっても僕ひとりだけなんですが)議論され、採用されました。やっぱり使いにくいんじゃねーか?って人は教えてください。

詩人特集

今日は詩人特集ということで。山田かまち、入れました。「うおっ」と言ってもだえたい人はもだえてください。

17歳でエレキギターを弾いていて感電死した、すでに伝説の人です。多くの絵と詩で感動する若者が後をたたず、故郷の高崎には記念館もあります。若さの苛立ち喜び、崇高な愛やロック、ぎっしり詰まってます。特に『山田かまちのノート』はおすすめ。

それから尾上文はボーイ・ミーツ・ガールのメンバーで、作詞家です。彼の詩集を何故か1冊だけ読んでます。購入した経緯を語るには、8年前に遡らねばなりません。

当時、僕は石川県にいて、受験生でした。東京の大学を受験するため夜汽車で(!)上京し、4日間で3校の試験を受けるという過密スケジュールにいました。受験・受験・休日・受験です。なんとしてでも東京へ出たい、という上京指向に(この時代にあって不恰好なことに)燃えていました。中休みの一日、ホテルにこもって勉強などしても今更どうにもならないので、憧れの(笑)東京を歩くことにしました。まず神保町の古本街を散策しました。エロ本だけで成り立つ一個のビルに、いたく感動しました。それから新宿へ戻り(新宿のホテルに連泊していたのです)日中の歌舞伎町を散策しました(夜は怖いので)。この時間でも馴れ馴れしく声をかけてくる呼びこみ男に、いたく感動しました。さらに紀伊国屋書店に入りました。田舎では見たこともない書物量に、いたく感動しました。そして、名前も聞いたことのない詩集を1冊購入したのです。

いや、何の説明にもなってないんですけど。でも、僕の中ではこの詩集は「初めての東京体験」と緊密に結びついているのです。そんな本、あなたにもあるでしょう?

プレステ2欲しいなぁ

中上健次も充実してきました。物故者ですし、娘も活躍しだしている昨今ですが、僕の定義では現代文学だからいいのです。文句言っちゃだめ。

ところで全然違う話。もうすぐプレイステーション2が発売になりますね。みなさん買うんでしょうか。僕もよく会社で「買うの? 買うんでしょ?」と言われます。なにしろ「社内で最も速くファイナル・ファンタジーVIIIをクリアした男」の称号を頂いている身ですもの。買いたいのはヤマヤマなのですが、しかし・・・ウチには今テレビがないのですよ。これは自慢だから何度も言うけども、テレビのない生活を送ってるんですよね。昨年の引越しにあたって(どうせ見やしないんだから)処分し、プレステも友人にあげてしまった。で、ゲーマーも卒業!と清廉な生活へ入っていたんですが、プレステ2はやっぱり魅力なんです。特にファイナル・ファンタジーIX・X・XIの計画が一挙に発表されたでしょ。うわ、やりてぇ!と思うんです。もちろんドラゴン・クエストもやりたい、あと2.3年は延期されるでしょうけど。そんなこんなでコンビニでゲーム雑誌などめくりつつ、プレステ2のためにテレビを買うなんて変だしなぁと思ってるんです。テレビは受信できなくてもいいからゲームのモニター専用のコンパクトなやつ、3000円くらいで売ってねぇかなぁ。

ここで、知ってる人がいたら教えて欲しいんですけど、プレステ2はパソコンのディスプレイではプレイできないんですかね? なんだかUSBポートとかパソコン機器的様相でしょ、プレステ2って。だからできそうにも見えるんですが・・・。

神の子どもたちはみな踊る

春樹の新作、とりあえず読みかけの町田康を中断しつつ読みました。阪神大震災のあと、人生の転換を迫られる人々の連作短編です。といっても、彼らはその場にいたわけではなく、実質的な生活への影響は全く受けていない。それでもその人生は少しずつずれて行くのです。

連作といっても彩りはばらばらです。静かに浜辺の焚火を眺めている人がいたり、「かえるくん」という形而上学的存在が大みみずと闘ったり。しかし、「神の子ども」が踊るに至る経緯があまりに唐突で、僕は踊りきれなかったんですが、みなさんはどうでしたか?

花村萬月『王国記』は「畢生の大長篇いよいよ刊行開始」となっています。大長編のこれは序章にあたるのでしょうか。そうなると結局これ単独では判断できないってことでしょ。とりあえず続編待ってみますか。

新コーナー、タイプ別おすすめ本

おっす! みんな元気にしてたかい? UFO焼きそばカレー味を食べて口のまわり黄色くしてたかい? ベルベットな夜にはマイナーコードが身にしみるかい? おっす!

さて。辻仁成の新作詩集。オリジナル詩集としては4冊目です。前作『応答願イマス』では現代詩然とした形式破壊とどっぷりした意味の奔流に放蕩してたのに、ここでは異国の風に吹かれて爽やかに立っています。ただそこに立ち、空を見上げ、うつむき、歩いている姿は見えるのですが、言葉は聞こえてきません。ニューヨークの摩天楼、フランスでワインというイメージが先行していて、(変な言い方ですが)まるで紙に書かれた文字を読んでいるような気分になってきます。ニューヨークならニューヨークへ読者を連れ去ろうという意図がない。それは著者の誠実さでしょうか。分かり易い詩であるがため、分かりにくい詩集になってるんですよね。うーむ。

それから中原昌也。正直、つかみかねてます。ちなみに「暴力温泉芸者」という名前は知っていましたがその音は聴いたことがありません。予備知識ほぼゼロです。一人の作家として読むわけですが。で。徹底して無意味です。ドブに放流するために夜店で金魚を釣る、という程度の動機でさえきれいに消し去っています。「消し去った」ということにさえ無自覚です。恐らく真面目なんでしょう、絶望さえしていないのです。例えば「文学的表現への憎悪」などと診断できれば話は簡単なのですが、そうもいかず。ああ、なんという広大な荒野。結局僕は評する言葉をもたないんです。ファンにはごめんなさいですけど。

んで、満を持して!新しいコーナー作りました。「タイプ別おすすめ本」です。実用的かどうかは闇の中ですが、本を手に取るひとつのきっかけになってもらえればと。このコーナーは100字レビューで5つ星4つ星の本が増えるたびに、告知なく更新されていきます。されていく予定です。折にふれ、ご活用ください。でも、基本的には冗談です。あまり「けしからん!」とか怒ったりしないでくださいね。

マリ&フィフィ

最近は忙しくって更新もままならないのです。こんなもんなのです。さぁ、殺せ!

とりあえずいま中原昌也『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』と格闘中で、その次は花村萬月『王国記』、さらに町田康『壊色』と読み進む予定。ういー。こんなもんなのです。

オーラ。

山川健一の『ヒーリング・ハイ』を読んだ。最近その続編たる『オーラが見える毎日』が出たばかりだけど、そっちも読まなけりゃ、と思っている。オーラの存在、「神」と呼ばれる宇宙意志、瞑想の大切さなどを言っていて、「ああ、そっち方面行っちゃったのね」と離れていった読者もいるのではないか。でも、オウム以後の宗教臭がするものを全部いかがわしい!と退けてしまうような時代にあって、正調の作家としてこの種の書を出せる勇気に僕は嬉しくなってしまうのだ。

こういうスピリチュアルな啓蒙書(?)は好き嫌いが激しいだろうし、まぁ人それぞれだから無理にすすめたりはしないけれどね。なぜ毛嫌いするんだろう?とは思う。今だからこそ必要ではないか、とも思うんだけれど。

オススメする方法。

ま、あまりコメントすることもないんですけども。

収録冊数がぐっと増えてきて、本のおすすめ度も星評価だけでは辛くなってきたかもと思い始めています。現時点でちょっと調べて見ましたらですね、星5つの評価している本が59冊あります。これは自信をもっておすすめするものですし、週に1冊ずつ1年かけて本のヨロコビを味わってくれと言い放ってもいいんですが(笑)、「一体どれを読んだらイイのよ?」と途方に暮れる方もいるやもしれんと。

で、平行して別の評価体系を入れたほうがいいかもしれんねぇと思っています。「これがおすすめ!」ばかりじゃなく「あなたにはこれがおすすめ!」と言わなけりゃと思っています。思ってるだけできっとやらないんでしょうけれど。有言不実行の男。まぁ、思案中。

強化月間終了

どうも。ごぶさた(?)です。1月は「強化月間」と銘打ったのは確かなんですが、特に毎日更新しようと思ったわけではなかったんです。単に本の収録点数を増やそうという目論見であっただけで。それが何となく毎日続いてしまって、やめるにやめられず(笑)、とうとう最終日になって力尽きてしまったような様相ですね。

でももちろんこれからも、毎日とは言いませんが、こうやって通常の更新は続きます。見限らずに温かい目で見てやってくださいませ。

そもそもサラリーマンが毎日更新なんてできるはずがないんです。仕事に傾けるべき情熱を、Webページごときに注いではいけない。そんな社員がいたら上司は叱りつけなきゃならない。くぅー。てなわけで週に1.2度の更新をお待ち下さいね。

いま何日の何時何秒なのだ!

なぜだか知らないがPCの「日付と時刻」が29日になっていた。今日は日曜日、明日からまた会社だなーと思ってたのに「今日土曜? うそぅ?」とにわかに喜んでしまったのだが、やっぱり今日は日曜日な気がする。昨日も会社行かなかった気がするもの。あれ、じゃあ昨日は金曜なのに土曜と思いこんで知らずに無断欠勤してしまったの? と、かなり真剣に不安になってしまったのだ。

今日が何日なのかはどこで調べればいいんだろう。とりあえず新聞社のWebページなんかを見ると30日付けのニュースが配信されている。やっぱり。いや、まて。「新聞社の日付が正しくて、ウチのPCが間違ってる」確率と、「PCの日付が正しくて、新聞社が間違ってる」確率は五分な気がしはじめる。慌てて117に電話してみると時刻しか言ってない。ちくしょう! 混乱しつつ部屋を見まわすと、目覚し時計の指す時間が117時報とは3分ばかり違っているのだ。もはや恐怖に駆られつつ、腕時計とミニコンポの時刻をさっと見ると、ああ神よ、それぞれ違った時間を刻んでいるのである。

いま何日の何時何秒なのだ! ついでに今年は2000年で合ってるのか! 誰か助けてくれ!

ものがたり降る夜

鴻上尚史の新作、2冊続けて読みました。つい先週鴻上尚史を10冊追加したばかりですが、その時点でこの2冊、発売していたのでしょうか。『ものがたり降る夜』なんて文芸新刊の棚では見当たらず、演劇コーナーにひっそりと積んでありました。戯曲は文芸ではないのかねぇ、ふうむ。

ともかく、3年ぶりの新作戯曲ですよ。興奮のうちに読みました。で、なんとテーマはセックス。援助交際(も出てきますが)など現象ではなく、セックスそのものです。ファッションではなくセックスなのです。セックスの快感はなぜなのか、セックスの罪悪感はなぜなのか、本質を謳いあげています。それはつまり人間の根幹に迫るということですね。終末部の「祭」もすごい。ベタ惚れ。「下品だ」なんて目をそらしたすきに物語は逃げてゆきます。じっくり読んでください。大推薦です。

舞台ではそのテーマはもちろん、鴻上自身が出演したことや、オーディションで選んだ新人達が主体だったことも物議を醸したそうですが、戯曲好きには関係のない話。ああ、しつこいようですが、舞台は見てないので。「舞台も見に行かないで戯曲が好きだって言えるのか?」なんて言わないで下さいね。「卓球もしないくせにプラモデルが趣味って言えるの?」と同じ言葉に聞こえてポカンとしちゃいますので。

今回更新分で読んだ彼の本は全部。10冊にするために妙な本を3冊加えました。STBというのはステーション・ビバーク、駅で寝ることです。

貨物列車のヘヴィビート シュラーフの中の一寸ハードな目覚め 鳥の声 唇を焼く熱いコーヒー やはり鳥の声 -無人駅の朝の この旅の栄華を 山男に独占させて よいものか

STB全国友の会『STBのすすめ』

そういうことです。ワイルド・ロマンチシズム。野宿旅を愛するもの必携の書。掲載情報例としては「北陸本線土呂部駅[おすすめ]壁際にU字型に長いす配備、4~5人可。自販機は外。戸・WC有。屋外のゴミカゴの周囲の散らかり様はヤンキーか、鳥か。駅前商店なし。」とか「留萌本線留萌駅[不可]夜間閉鎖。跨線橋なら許してもらえる。僕が行った日はたまたま改札の扉のカギがしめてなくて、もぐり込んでいたら『お客さん!どこから入ったの!?』と叱られてしまった」とか。こんなのが全国の駅に関して書いてある。よくぞこの本を取り上げてくれた!と感涙するひと、お手紙くださいね。

『全国駅前銭湯情報』も野宿の友。この2冊は姉妹本というか師弟本というか、STBの会員が銭湯情報を独立させたという感じなんですけども、どちらも手作りの味わいを残してます。ワープロで打ったものを綴じた冊子のような温かさです。おかげで普通の書店ではまず売ってません。少数の指定書店の隅っこにあります。昔の「ニコリ」より見つけにくいです(分かる人だけ分かるでしょうが)。「地方小出版流通センター」扱いで注文すれば手に入るのかも。

どちらも2年に1度くらい最新情報へ改訂されているのですが、最新版がどうなってるのかは分かりません。掲載情報は僕が持っている版によりますのでご注意を。

宮脇俊三はあまりコメントしないようにしましょう、僕はその筋の人ではないので。

Windows以前の世界

今頃になって読んだ『電脳兄弟のパソコン放浪記』、すごいですよ。94年作品、なにせWindowsが世界を席巻する前、MS-DOSの平安時代のパソコン教本なんですから。「TOWNS」ですよ。「ベーシックでプログラミング」ですよ。いや、現在でもプログラミングに凝ってる人はいるでしょうけど、ある種専門的な分野じゃないですか。初心者はWindowsぼんやりクリックしてるだけで要足りる。そうじゃなくて、この本はパソコンに触れたこともない兄(清水義範)に弟(幸範)が、「とにかく触ってみなよ」って手取り足取りパソコン恐怖症を取り除いて行くという初心者向けエッセイなんです。なのにプログラミング。

時代を感じます。文庫版で読んだんですが、あとがきにその時点(97年)の最新情報が付記してある。それすら古臭いんですから。パソコン世界って本当にここ数年で飛躍的な変化を遂げてるんですね。そういう意味で感心させられた本です。

80年代好きとしましては。

いとうせいこうを核に、周辺(?)の作家をまとめて入れた10冊です。言わば80年代の言葉の魔術師たちです。うわ、そういう言い方しちゃったらすでに現代文学じゃないじゃん。ま、それはおいといて。

おそらく彼ら(ってまとめていいのか分かりませんが)について熱く語ったりすれば、文学好きからは小バカにされちゃうんでしょうね。「読んで面白い」を絶対真理にしている僕にとっては捨てがたい作家であるわけですが。特に糸井重里『ペンギニストは眠らない』なんてスゴイ本ですよ。ギャグセンス(うわっ)なんて現代に通用しますから。現代のアナーキー、ムイミズムな言動はすべてここに予言されてるみたいなもんですから。100字のとこにも書いたんですが、『バカドリル』って見たことあります? 天久聖一、タナカカツキらがやってた奴ですけど。それとまったく同じ事を10年以上も前にすでにやってるんだ、『ペンギニスト~』は。興味ある方は一読を。

猫殺し。

また椎名なの?って声は抹殺しつつ。今回は私小説系を中心に短編集を。「超常小説」「私小説」「旅ルポ」「エッセイ」って大まかに椎名誠の作風を分けると、僕が好きなのは「超常小説」のほうなんで、今回の私小説系は若干不得手だったりする。

『猫殺し その他の短篇』『鉄塔のひと その他の短篇』はそれぞれ私小説、超常小説ときっぱり分けた組本という感じで(実際は出版社すら違うのですが)、それぞれの魅力がよく分かる内容になってます。『屋根の上の三角テント』『机の中の渦巻き星雲』(でしたっけ?)も同じようにジャンル分けしたセット本ですが、これは過去の短編からセレクションしたアンソロジーになってます(ので初心者にはおすすめですが、CDアルバム全部持ってる人がベスト版買う必要がないように、僕はこの2冊は持ってません)。

で、『猫殺し』は先日言っていたように、文庫では『トロッコ海岸』と改題されてます。どう考えても『猫殺し』のほうがいいタイトルなのに。どうやら風邪のようで何を言おうとしているのかまったく分かりませんが、椎名誠、好きなんです。ようやく椎名本50冊紹介まできた。先は長い。

きんさんぎんさんグッズ

寡作の天才、高橋源一郎ですが。小説は本当に少ないし、エッセイも文芸評論系か競馬評論系(競馬はやらないのでこっちは読んでない)でちょっとある程度ですしね。小説、お待ちしてます。

きんさんが亡くなって、うちの会社に問い合わせの電話があったそうです。「名古屋にきんさんぎんさんグッズを扱ってる店があったはずなんだけど、どこか分からない。教えてくれ」という一般の方からの問い合わせ。一体どんな会社やねん!って感じですが。それはともかく、きんさんぎんさんグッズ、この時期に買ってどうするんでしょうか。ブーム再燃か。

許してちゃぶだい。

なんだかもう「鬱陶しくなってきた・・・」って人いたらごめんなさいね。もうちょっとの辛抱ですので。2月に入ったら落ちつこうと思ってますので。それまでは後ろを振り返ったりせずに進むのみ。

春樹のエッセイって楽しいんですけど、やっぱり小説のほうが好きなんだよねぇ。

いえーい。とちくるってちゃぶだいひっくりかえしそうないきおい。疲れてるんですわ。

尾崎豊と辻仁成

昨日の分、日付間違ってたので直しました。21日に2回更新したような嘘表記になってましたので。

辻仁成、確か「尾崎と過ごしたあの頃を書く」と言ってたよね。まだ書いてはくれないのか、待ってるんだけど。という意味の今回のセレクトかと思えば、僕がこれまでに読んだ辻仁成はこの9冊で打ち止めだったりするので、1冊なんか加えようと思ったに過ぎない。

昨日、本を処分するうんぬんって話を書いたけれども、今回更新のうちの『ここにいない~』と『錆びた世界の~』は捨ててしまってすでにない。読み返すことができないわけで、100字レビューは記憶を頼りに書いた。事実関係間違えて書いちゃわないようにあいまいにしたけども(笑)、怒っちゃやーよ。

なぜか捨てられない鴻上尚史

鴻上尚史、あといくつかエッセイが残ってますが戯曲はこれで全部になったのではないかと思います。ほとんど古本屋で買ったものですが、ずらりと書棚で存在感をアピールしているそれらを今回読み返しながら、「やっぱりすげぇや」と思っていました。

基本的に本は処分しづらくたまってゆくものですが、これまでに部屋が本で埋まりそうになるたびに「えいやっ」とまとめて捨ててきました(古本屋に売ることは、買取金額が運び込む労働力の代価としては安すぎるので、あまりありません)。特に引越しに当たっては大量に処分する。そんな中、鴻上尚史の本だけは全部残っています。敬愛する村上春樹でさえもう読みかえさないだろうと思われるもの(『波の絵波の話』とか『使い道のない風景』とか)は引越しの荷物を軽くするため泣く泣く処分してきたのに、なぜか鴻上尚史は捨ててない。例外的に。

だから君も読め、と言いたいわけですが。

第三舞台は見たことがないので知りません。演劇を見ることと戯曲を読むことはまったく違いますよね。僕はただ戯曲を読むだけです。独りぼっちで感動しているだけです。感動です。戯曲という形態の性質もあるのでしょうが、ムードの力を借りずに真実だけを取り出せる稀有な作家だと思っています。真実がいろんな形をとりうるものだということも知っていますが、言ってみれば彼が提示する真実が自分に一番しっくりくるのです。絶望とともにある希望。

中上紀って娘なのね。

今日書店をぶらついていて知った。最近J文学のコーナー(ってなもんがあるところにはある)で見かける中上紀って中上健次の娘なんだね。どなたか読んだ方います? 父の資質を受け継いでいるのだろうか。あるいは親の七光りで注目されてるだけなのか。チェックしてみなければならない。

でも、ご覧のとおり、僕は女性作家にはほとんど触れていないんです。食わず嫌いな部分もあるんでしょうが、いくらか試してみてはいるんですよ、鷺沢萌と山田詠美は1冊ずつ読んだきり、とかだったりするんですが。何だか愛とその気分しか言ってないような気がして。バカモノ、金井美恵子読んでから言いやがれ、とか反論うけそうなんで、あんまり強くは言いません。ん、食わず嫌いでしょうね、やっぱり。

中上紀、時間があいたら行ってみましょう。

噛みつき合う二人

中上健次に続いて島田雅彦、というのに他意はないのだけれども。中上は徹底的に島田を批判していたらしいですね。らしいもなにも、『茶の間の男』ではこの二人が対談してたりするんですが、やっぱり決して噛み合ってません。噛みつき合ってる。まぁだからといって中上と島田の両方の読者であっていけないわけじゃないでしょう。また、「島田を読むくせになぜ村上春樹を読む?」といわれたことがあるんですが(これは島田が村上を批判してるという意味でしょう)、別にいいじゃないですが。無節操でも。

そういう意味では孤高の作家なのでしょうか、島田雅彦。いくらか鼻につく文体も計算ずくで、それがまた鼻についたりするんでしょうか。初期の作品は確かに人を選ぶような突き放したところがありますが、最近はまともに(笑)語ろうとしているので大丈夫ですよ。あるいはその毒性に抗体ができちゃったのかな。真っ当な小説として読めるようになってきた。今後に期待です。

鳩どもの家

中上健次を読んだことがない人は『鳩どもの家』から入ってもいいでしょう。村上龍が昔絶賛してた「灰色のコカコーラ」が収録されてます。若々しい短編で、以後急速に老成してゆく大物作家の原点がかいま見えますので。

だんだん更新つらくなってきたぞぅ。爪に灯をともして、じゃないな、寸暇を惜しんで原稿書いてるこれが「趣味」なのだろうか・・・?

パスティーシュ。

清水義範、今回はすべて短編集。なんか更新の作家が絞られてきてますが。これがまぁ僕の読書傾向なのでしようがないんですけどね。ひとつ作家が気に入ったらその著作全部食べ尽くして、それからやおら別の作家へ移る、というイナゴかシロアリみたいな読書法なんですよ。そういう意味で僕に食べ尽くされてしまった作家(お気に入りってことね)の著作が以後続々とページにアップされていきます。ひとつよろしく。

で清水ですけども。パスティーシュでひっぱりだこだった頃の短編集を中心に収録しました。以後、その株を奪うような作家は出現せず、「パスティーシュといえば清水義範」「清水義範といえばパスティーシュ」と墓碑にでも刻むごとく永久欠番にしちゃった感があります。「これもパスティーシュ、こう書いたってパスティーシュ、あれもこれも」と意義を拡大適用していった結果、いまだにパスティーシュの亡霊を引きずりながらイロモノ的扱いを受けているわけですけど。でもパスティーシュから脱しようとした作品は概してつまらないので(失礼)どうしようもないわけですけど。

だからパスティーシュに真っ向から取り組んでた頃の短編集はほんとイキイキしてます。『私は作中の人物である』収録の「船が州を上へ行く」なんてすごいですよ。モトネタのジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』からしてパスティーシュ的であるものだから、喜んでしまって全速力で船をこぐわけさ。分けわからんけどパワーだけはある、というね。以上。

しかし、2000年期にもなってこれだけパスティーシュって連呼したのは僕くらいのもんでしょう。でも、意味は教えてあげない。パスティーシュ。

文庫で改題するのはなぜ。

文庫になって出る際、単行本時からタイトルが変わることがあります。今回入れた横尾忠則の4冊、すべて変わってます。順番に文庫本タイトルを記すなら、『地球の果てまでつれてって』『今、生きる秘訣』『僕は閃きを味方に生きてきた』『私と直観と宇宙人』となります。全く違ってますねぇ。

好意的に解釈すれば、単行本と文庫本では読者層が違うのだ、単行本はコアなファンが買うものだからハードなタイトルでもいい(極言すればタイトルはなんだっていい)、しかし文庫本はもっと一般向けとしてその作家をほとんど知らない人でも手に取り易いタイトルにしてあげる必要があるのだ、というところか。ま、出版社の社員に聞いてもこんな感じでしょう。

でもね、「単行本持ってるのに別の本だと思って間違えて買うヤツがいるかもしれんしな。ゲシゲシゲシ(笑い声)」という悪徳商法に、どうしても思えてしまうのですよ。恐らくは作家の思惑というより出版社側の「売らんかな」姿勢でね(もちろん好意的解釈の方だって売上第一の政策なわけですが)。

サギだ。

いや、間違って買っちゃったことが二度だけあるんですよ。山川健一の『ジゴロたちの航海』(100字レビューには未収録)。文庫本では『ジゴロ』となりました。家へ帰ってから単行本と文庫本を並べ、気づけよ!と自分を激しく責めたものですが。もう一個は清水義範の『ニッポン見聞録』(やはり未収録)。これは文庫本『まちまちな街々』です。好きな作家の文庫新刊なんて、「即買い」なわけですよ。たいてい単行本で(新刊書店で我慢したとすれば古本屋で)買っちゃうんですが、たまたま古本屋で出会わなかったりして文庫になるに至ったらもう即買いでしょう、中も見ずに。

そんなファン心理に付けこんだサギですわ。サギ。

例外として、こういうのもあるでしょう。椎名誠『猫殺し その他の短篇』(だから未収録だってば)は『トロッコ海岸』になりました。これなんかは「猫殺し」というショッキングなタイトルに動物愛護協会(?)かどっかからクレームが付いたんでしょうな。手に取ってレジへ向かう直前に「あ、これは猫殺しだ!」と気づきましたが。これくらいは理解してあげる度量はあります。それ以外に正当な理由あって変えているもの、名乗り出やがれ!

ノンフィクション小説『安息の地』

山川健一、初期の三部作から大河自伝まで手広く入れました。

このなかでは『安息の地』が異色です。「ノンフィクション・ノベル」です。息子を殺した教師の事件を取材し、息子の生育過程から公判までが描かれています。ここでは被害者たる息子を主人公として、(もちろん彼に取材することはできませんから)彼の心のうちを作家の想像力で補った小説風にしたてています。彼に音楽的・詩的才能があるということで著者が引かれたのは間違いないんですが、これまでの作風とはまったく違ったノンフィクションを書いてしまったことはある種衝撃でした。こんなに精緻な心理描写ができる作家だったとは、ということです。そういう意味では僕は新しい文体に挑んだ長編小説としてこれを読むわけなんですが。

これが実際起こってしまった話で、父親が裁かれているという事実もありますのでめったなことは言えませんが、「息子は殺されずとも早晩死んでしまったのではないか?」という思いがよぎり背筋を寒くしてくれます。それほど彼は追い詰められている。自分自身に追い詰められている。(そこに両親の責があったにしても)やるせない想いになりますね。

どちらにしてもこの作で山川健一はひとつ殻を破った感があります。本田勝一の「復讐」を思い出したりしながら。

あやしい探検隊

再び椎名誠。今回はあやしい探検隊とシーナファミリーというテーマのものを収録しました。そうすると自動的に、バカな本勢ぞろい、という形になります。

あやしい探検隊は、初期の東日本なんでも蹴とばす会(東ケト会)、後期の「いやはや隊」からなるんですが、椎名が隊長となり友人を引きまわしつつキャンプ生活をする、それだけのもの。焚火を囲んで激しく酒を飲み、でたらめな民謡を歌いながら踊る。アウトドアブーム以前の洗練されない野外生活が楽しい読み物です。

発作的座談会というのは本の雑誌に不定期に連載されるもので、椎名誠と、オウムの時期にはテレビに出ずっぱりだった弁護士木村晋介、エッセイスト・イラストレーター沢野ひとし、本の雑誌社社長たる書評家目黒考二のメンツ(本の雑誌の創刊メンバーですね)が座談する豪華なものなんですが、それが昔からの友人連中である気安さで馬鹿話をするだけというもの。読者は居酒屋で隣に座ってるグループの話を横から聞いているようなムードになりつつ、それがまた面白いのだ。当然、彼らもあやしい探検隊のメンバーでもありますね。

シーナ周辺では変わった人間がいっぱいです。作家や編集者となかよくなるのではなく、友人がいつのまにか作家や編集者になっているのだ。それはすごいことだと思います。椎名のオーラか。

未来はにぎやかなのか。

池澤夏樹ってまだ文庫本しか買ったことがないんですよね。単行本を出た尻からばしばし買っていくほど好きな作家にはまだなってない。まぁこれから(自分のなかで)大ブレイクすることもなかろうと思うので、文庫になり次第蔵書が増えて行く、といった感じでしょうか。いまのところはこんなもんです。

筒井康隆にしても、たまに読むとスパイシーな文章に興奮したりするんですが、そんなにのめりこんではいない。『にぎやかな未来』に収録されてる「無人警察」が、例の断筆の契機となったやつですよね? こんなに初期の作品だったのか。それが教科書に載ることになって批判者の目に触れたという次第なんですか。よく知らないんですが。旅先で読むものが切れちゃって、本屋に飛びこみ(津和野でしたな)目に付いたものを買ったというだけの『にぎやかな未来』で、あれ、「無人警察」ってタイトル聞いたことあるぞ? これが「あれ」なのか?と読書好きとしてはあまりにマヌケな出会いをした短編なのですが。そんなことじゃ筒井ファンにしかられてしまいますね。

何がいいたいのかわからない文章を書いてますね。結局何も言おうとしてないんでしょうね。残業で疲れてるし。

春樹の短編

お待たせしました。短編集を中心に、村上春樹入庫いたしました。

春樹って短編の名手と言われたりもしますね。短編なんて書きたくないと思っている(だろう)村上龍とは違って、積極的に短編という形式を利用しています。長編と長編のインターバルに、活力補給や次のジャンプのための足場固めとして。テーマ的、テクニック的に次の長編を準備するだけでなく、のちに長編のなかにその一章として組みこまれたりしますからね。そのことの是非はともかく、作家として必要なんでしょう、短編という場が。

で、もうすぐ新しい短編集(連作短編だそうですが)『神の子どもたちはみな踊る』が発表される予定らしいですね。冗談みたいなタイトルですが冗談だとは言ってないので本当なんでしょう。阪神大震災のあの瞬間をめぐるもの。雑誌連載されてたのは当然読んでいないので、楽しみです。短編が出るということは自動的に現在長編執筆中、ということになるわけですが、実際には短編よりその先の長編のほうが楽しみだったりする。

そんな感じで。周辺に春樹好きが多いため作品論的なことは言わないでおきましょう。その読み方は間違ってる!と面と向かって言われたりすると落ちこむので。(それならこんなサイト運営してるのが間違いなんだけどねぇ。)

100字の男。

言うまでもないことですが、「100字レビュー」に載っけてる文章はすべてぴったり100字です。違うものがあったら、あなたの数え間違いか、僕の数え間違いかどちらかです。まぁ形式にこだわってもしようがないんですが。50字前後でストーリーなど説明し、50字前後で自分の感想を、と思ってるのですが気づけば説明文に終始してたりしますね。いかんこってす。とりあえず100字という分量にはだいぶ慣れてきた。

清水義範に「百字の男」という短編があります(『深夜の弁明』に収録。掲載済)。新聞のテレビ記事欄を100字でまとめる仕事をしている男が、何を書いても何を喋っても日常生活まで全部100字になってしまう、という哀しいサガを描いたものなんですが、そんな感じです。僕の場合はまずざっと書いたものを削ってゆくわけなんですが、とりあえず書いたものがぴったり100字になってて驚くことが最近よくあります。101字になるときとどちらが多いというのか、「たまたま」100字になったときをよく覚えているだけだろう、ばんばん!(激しく机を叩く音)と詰め寄られると困るのですが、100字コーナーはまだまだ続きます。

村上龍キモチ悪い系

続いております。今日は村上龍編。といっても、「僕が選ぶ村上龍ベストテン」といった意味合いではまったくないので誤解なきよう。好きな本はとっくの昔に掲載済みです。「大将クラスじゃなく中堅クラスでも積極的にとりこんでいこう」という増強作戦です。あるいは歩兵がまじる可能性も。

いやいやいや。全部面白いんですってば。

村上龍を嫌う人って大抵「キモチ悪い」って言いますね。特に女性はみんなそう言います。ま、そうかもしれませんね。その中でも『コックサッカーブルース』が最右翼(あ、まだ『フィジーの小人』がいたなぁ)。これ、キモチ悪いです。相当。吐きそうですもん。そんなこと言えば『イビサ』だって吐きそうなんですが、『コック~』はそれとは別種の生々しい皮膚からくるような嘔吐感です(『イビサ』はもっと幻覚的)。セックス描写なんて他の作品にもいっぱいあるのに(『ノルウェイの森』がオーケーなら原因はセックス描写でもないんでしょう)、SMが主題だとはいえ、このキモチ悪さは特筆すべきものです(ああ、カッコ書きで物言うのがキモチ悪くなってきた)。

なんでこんなもの書いちゃうんだろう、という思いがあって、以後彼の著作を読みつづけることになります。

そして、だんだんとそれが気持ちよくなってくるのです、不思議と。イヤだ!と思った人、挙手。いやいや、クセになるんですって。説得力のある説明はまったくできないんですが、「キモチ悪いと思ってる今ここにある感情」の手触りをしっておくことも、大事ですぜ、姉御。

そういう意味で、キモチ悪い系の代表として『コックサッカーブルース』、おすすめしときます。

ああ、『イン・ザ・ミソスープ』にも何か言おうとしてた気がするんですが、やめときましょう。なんか「思いだし笑い」的「思いだしキモチ悪い」になっちゃってるので。

椎名誠デビュー作

今日は椎名誠で。『さらば国分寺書店のオババ』にスポットを当ててみましょう。

これは一般に彼のデビュー作といわれてます。事実、作家として初の本になります。しかし、その前に彼は『クレジットとキャッシュレス社会』なる書を出しています。ビジネス書です。略歴(?)の欄にはどう書いていいのか分からなくて「経済デビュー」「作家デビュー」と書いたりしたんですが。もともと、彼はデパート業界誌の編集長をやっていて(そのへんは『銀座のカラス』に詳しい)、経済アナリスト的に『クレジット~』を出版したわけですね。

『クレジット~』は読んだことがないのでわかりませんが「カタイ」文章で書いてあるはずです。ビジネス書ですもの。それに比べて『さらば~』の文章の柔らかさはいったいナニゴトだ。引用してみましょう。

しかし、それにしてもなんつうのかね、その対決の一瞬を待っている嗜虐的気分というものは、これはもうじつに言葉乱れちゃうけれど、マゾヒスティックとサディスティックをまぜこぜにして、大阪日日新聞と日活ロマンポルノをちりばめ、アブドーラ・ザ・ブッチャーの怪鳥的悲鳴とともにぶるんぶるんとこねくりかきまわしたような「やったるでェ、しばいたるでェ、いてまうでェ、あっあっあっ」というようなかんじになってるのね。

その頃はまだ業界誌編集長である人間が、こんなものを出していいのか。

「出していい!」と世間が言って、ベストセラーとなって、作家椎名誠はこっちの方角へわしわしと進んで行くわけですね。「昭和軽薄体」を自称する彼の文章は「難しく書いたほうが高級っぽい」という「文壇」を笑い飛ばしている。これを才能と呼ぶわけですね。

ちなみに引用部は、電車内で検札にやってくる車掌を迎え撃つ時の気分描写です。ではまた。

いとうせいこう

調子よく更新しているがこれは連休だからできることなのか。サラリーマンはつらいぜ。

いとうせいこうは前から何度も言ってるけど『ワールズ・エンド・ガーデン』をとにかく読んでみてください。それ以外でも概して平均点は高いです。何となく書いちゃった、というものがなくてコンセプトのはっきりしているものばかりなので。読みやすいですね。今回更新のもので言うと、『からっぽ男の休暇』なんておすすめですよ。突然思い浮かぶ童話のシーンが不完全でいかしてます。「ヘンゼルとグレーテル」と「チルチル・ミチル」のコンビがごっちゃになってるなんて頷いちゃうしかないじゃないですか。

高橋源一郎はねぇ。この中期(?)の小説群はよく分からないんですよ、実際。ポップでスイートな初期作品に惚れてついてきた読者はこの試練のとき(?)をいかに乗り越えたのか。でも『優雅で感傷的な~』も『ペンギン村に~』も高い評価を得てますから、僕の読解不足なのは間違いないんですが。『ゴーストバスターズ』で約束の日(?)はやってきたのだからいいんですが。

さぁ、明日も10冊アップします。ホントかよぅ。

書庫強化月間

今月は強化月間としまして、書庫の増強に励みます。嘘だろ。作家の著書リストとしても使えるレベルまで、ということですね。例えば椎名誠ならこれまでに読んだ著作は103冊になるんですが、103冊全てページに掲載しちゃう、ということですね。嘘だろ。読書量を自慢したい、ってことですね。嘘だろ。面白かった本から収録していくのが基本ですけど、エッセイなんかより小説を若干優遇していることは申し添えておきます。1日10冊ずつ更新すれば1ヵ月で300冊。嘘だろ。ああ、新しい本なんて読んでいる暇はない。嘘だろう。

越前旅

旅の更新を。といっても帰省の途中下車というだけのものですが。敦賀と越前大野です。なかなかよいところでしたよ。年末ってどこへ行っても人がいないので、のんびりと旅ができるんですが、みんな家で大掃除でもしてるんでしょうか。僕は大掃除が終わった頃を見計らって、実家へと帰ります。

2000年問題は何もなかったですか。

あけましておめでとうございます。

2000年問題で世の中が壊れちゃわなくて残念無念です。哀しいですねぇ。生きていかなきゃならないんですねぇ。

さて。年末年始に読んだ本をアップしました。が、特に大興奮な本はない。鈴木清剛への初アプローチも、今一つピンと来てない。町田康の詩集がなかなか面白かったくらいか。そんな寂しい正月。喪中のため年賀状も来ない。そんな寂しい正月。

ああ、各作家のページにミニプロフィール入れときました。プロフィールといっても受賞歴だけになっちゃってますが。だってそれ以外書くことないんだもの。

たぶん明日、旅の更新。