1999年10~12月

近況報告

わぃー

本年最後の会社仕事を終え、配給された米を持って帰る。蕎麦屋でビールを飲みながら『礫』を読んだ。帰り際、店のおばさんが「お兄さん、食べます?」と蜜柑を一つくれた。そんな年忘れ。

『礫』では「環」と書いて「たまき」と読む名の女性が登場するのだが、実際にそういう名の友達が自分にもいればいいのだけれど、読みにくい。最初にルビが振ってあってもいつのまにか「わ」と読んでしまっている自分に気づく。で「環ィー」なんて主人公が叫ぶと「わぃー」になってしまってずっこけるのだ。

などと下らないこと言ってみたりしますけど。最近の藤沢周はいいですね。腰が据わってます。初期の作ではぶっ壊れた人物勢ぞろいで、そのぶっ壊れ方で傑出してたわけですが、『礫』ではごくまっとうな主人公でしょ。言ってみりゃより汎用性のある苛立ちの描出に成功してる。『ブエノスアイレス午前零時』収録の2作でも共通して感じたんですが、透明な檻に幽閉されてる感覚、どこまでも自由なんだけれど何処へも行けないという閉塞感が充満してます。辻仁成が「ガラスの天井」と歌ったような。別に新しい概念装置でもなんでもないんですが、瑞々しい文体(ってどんなんだ)とあいまってうならせてくれる、自分的によい作家です。

さて。明日より新年5日まで東京砂漠から逃れますので更新はないです。帰ってから例によって年末年始で読んだ本のまとめアップと、できれば旅的更新もしたいと思ってます。2000年問題で北朝鮮のコンピュータが誤作動してテポドンが飛んできたりしない限りは。それではよいお年を。

1999年読んで面白かった本ベストテン

年末です。突然ですが、99年読んで面白かった本ベストテンをやります。今年出版された本ではなく、あくまで僕個人が今年読んだ本の中から、お気に入りの10冊をランク付けしてみます。「今年出た本」にすると、まだ読んでない傑作が外れてしまう恐れがあるので。こうしておけばクレームは付かないはずなので(笑)。

今年は今日までで96冊読みました。もちろん、再読等含まず。あと1週間で数冊増えるはずですが、あるいは年明けてから微修正もあるやもしれず。とにかくその中から選んだ10冊です。発表。

順位書名著者名発行年出版社
1位くっすん大黒町田康1997年文藝春秋
2位日蝕平野啓一郎1998年新潮社
3位ぢん・ぢん・ぢん花村萬月1998年祥伝社
4位陽炎の。藤沢周1998年文藝春秋
5位あ・だ・る・と高橋源一郎1999年主婦と生活社
6位ワイン一杯だけの真実村上龍1998年幻冬舎
7位子どもを救え!島田雅彦1998年文藝春秋
8位争いの樹の下で丸山健二1996年新潮社/新潮文庫
9位サイゴン・ピックアップ藤沢周1997年河出書房新社/河出文庫
10位カブキの日小林恭二1998年講談社

『くっすん大黒』が1位でした。あの文体にやられました。「日本文学の未来はあんたに任せた!」ってとこですね。パンクロッカーに任せてしまう日本文学ってのも死に体ですが。読んでない人はいますぐ書店へ走りましょう。『日蝕』が2位なのは解せない、という平野フリークもいるでしょうがご容赦を。もちろん20世紀中に絶対に読んでおくべき1冊ですね。1位から3位はすべて「やられた!」って衝撃度という感じ。

傾向としては、98年作品が多いってところに、古本屋で主に本を買うというタイムラグが健著です。文藝春秋の本が心なしか多いのはその底力でしょうか。数年前なら幻冬舎が多数を占めたような気がします。気のせいかもしれませんが。

今年になって初めて触れた作家で、もっとも強くアピールしたものに与えられる最優秀新人賞には平野啓一郎を僅差で押さえて藤沢周。ベストテンにも2冊ランクイン。いま読み始めたばかりの『礫』も期待大です。

今年もっとも多くの著作を読みふけらせた時間泥棒賞(ネーミングがうまくいかない)には、9冊の椎名誠・藤沢周をスキンヘッドで突き放す11冊の花村萬月。『ブルース』は昨年末に読んでいるのでベストテン対象外です、惜しくも(同時に新人賞も対象外)。

どうですかね。かなり偏った読書傾向なのでこんな感じですが、「お前アホか。これを読んでみさらせ」という人は掲示板なりメールなりでどうぞ。

今年は恐らくあと1回は更新します。でももしかしたらこれが今年最後、あるいは2000年問題ですべて最後、になるかもしれないですね。本年もありがとうございました。来年、20世紀最後の年もどうぞよろしく。

核戦争三部作

町田康、エッセイも素敵です。どうなってんだこの人。

鴻上尚史、いくつか追加しました。初期の核戦争三部作+1ですが。大きなテーマを冗談で埋め尽くしてしまうのは照れ隠しなのか、もったいぶってるのか、下世話な笑いも多いです。それに惑わされないように。というかそれさえも楽しむように。後期(?)の作となる『パレード旅団』はそういう意味ではストレートですごいすごいって感じです。

なんだか疲れてます。

尾崎豊、幻の自伝小説

残業を終えて会社を出るとクリスマスだった。来春オープンを控えたホテルの窓灯りがクリスマスツリーを描いていた。そんなありきたりのクリスマスだった。駅前では昨日と同じ少女がギターを弾いて歌っていた。寒さに頬を染めながら、声を響かせていた。多くの道行く下心が足を止めて頷いたりしている。

そんなわけで、尾崎豊です。尾崎について語ろうとすると両陣営から(どこなんだ)種種雑多な感情をいただきそうなので、あまり語らないことにしますが。

このたび出た新刊。「その存在が噂されていた尾崎豊の幻の自伝的小説を発見!!」と帯に書いてあります。でも、これは小説じゃないでしょ。後に小説にまとめるためのメモ、覚え書きです。文章は混乱し、時間軸も未整理で、少々辛い。巻末にある須藤晃に宛てた尾崎の手紙も、同様に混乱際限なく、当時の彼の心理を慮ってはため息ばかりです。こんな文章を世に出していいのだろうか?

それでも、評論家による尾崎論みたいな下世話な本に比べれば数百倍真っ当です。とにかく彼自身の言葉なんですから。ファンは泣いて喜ぶでしょうね。僕も泣いて喜びます。

デザイン修正

全体的にデザインいじりました。デザインというよりは基調色ですが。これまでコーナーごとにテーマカラーを置いてきてたんですが、全部統一しました。より分かりにくくなった? 批判カモン。

左に置いた意味のないバー、鬱陶しいですかね? フレームですらないんですが。なにか、サイト全体を支配してるっていうような全能感でいっぱいです。もうお腹いっぱい。

ウィスキー飲みに行こうか?

村上春樹、新作はとりあえず中身も見ずに買ってしまいます。まぁ、小品ですけど、ウィスキーをめぐる紀行文ですね。ウィスキー党の自分としては、飲みたくってしようがなくなる。「でも経験的に言って、酒というのは、それがどんな酒であっても、その産地で飲むのがいちばんうまいような気がする」って言われてしゅんとしちゃうんですけどね。ウィスキーを飲みにぶらりスコットランドへ旅立つなんて素敵だけれど、自分の身分は知っております。とりあえず手近にあるカティーサークを無粋に飲みながら、あっという間に読み終わる。薄いし、半分は奥様の写真ですしね。まぁよし。

彼の紀行文をついでに2冊追加。『日出る国の工場』も入れようかと思いつつ、こりゃ紀行文じゃねーな。ってんで2冊。彼の紀行文では『遠い太鼓』が好きです。重くて読みづらいので好き。

年明け早々に?発売されるという短編集を待ちましょう。

音の三部作

辻仁成の新作。映画の原作ですね。作家業と監督業、明確なイメージを映像にしたくてしようがなくなるんでしょうかね。「こうしちゃいられない!」と思いますね、僕も。どうもしませんが。

ストーリーとしては自殺志願者が見つめる死の儀式です。あるいは少女の生の儀式です。いつもながらストレートです。そういう作風に惚れているわけなので、問題ない。

追加で入れたのは「音の三部作」と言われるもの。音に対するこだわりが見える作品群ですが、考えてみるとロックンロールを主題とした小説ってまだ彼は書いてないですよね。そういうのも読んでみたい。

山川健一アンソロジー

とりあえず、先週末の旅、アップしておきました。自分がいつどこへ行ったのか、忘れないための覚え書き程度の文章でしかないですね。申し訳ない。

最近気になる文壇(?)状況について。村上龍ってどうして経済に走っちゃってるの? 立て続けにそんな書物刊行してますけど。『愛と幻想のファシズム』の頃の経済熱が甦ってきたのか。時代の空気を読みとって、「小説書いてる場合じゃねーな」って思ったのか知らないんですが、ちょっと心配です。ちゃんと帰ってきてくれるのかどうか。小説を読みたいんですけど。

それから、山川健一の作品群がアンソロジーに編まれ始めました。そろそろ作家として「あがり」なのか。全7冊になるようですが、現在2冊『Rocks』『Angels』がまず出たところ。単行本未収録のレアものも入ってくるんでしょうか、楽しみではあります。今回でたものを手に取ってみると、『セイヴ・ザ・ランド』に大幅加筆した『セイヴ・ザ・ランド1999』なんてものがこっそり収録されてたりする。読んだ方いらしたら、「まったく新しい話になってるから読むべき!」なのか「ほとんど変わらないから読む必要なし」なのか、教えてください。といってもファンなら買うべきなんでしょうねぇ。

さらにここのところ、村上春樹の紀行エッセイ『もし僕らのことばがウイスキーであったなら』、辻仁成『千年旅人』、藤沢周『礫』(漢字合ってるかな)、椎名誠『問題温泉』など、好きな作家の新刊ラッシュで大変ですね、まったく。がんばらねば。

道後温泉行ってきます

本当はもっと何冊もまとめてアップしたかった村上龍ですが、忙しいのでまたの機会。明日から社員旅行なのですよ、ワタクシ。松山は道後温泉へ行ってきます。旅コーナーで掲載するかどうかは状況次第。ま、いろいろ大変なのですけれども。

渡辺浩弐のイメージ

『BLACK OUT』が文庫になったので読みました。テレビドラマの原作ですね。椎名桔平が出てたやつだよな、って話題としては知ってましたけど、テレビのほうは見てない。本として読んでも、良くも悪くもテレビ的で、分かり易いといえば分かり易い。で、『アンドロメディア』のほうは映画になってて、これもやっぱり映画は見てないんですが、SPEED(今はなき。まだあるんだっけ)とDA PUMP(誰だそりゃ)がストーリーとは無関係にダンスしている映画、って風評しか知らないんで何とも言えないんですけど、渡辺浩弐って可哀相だなと思うのです。

他メディアに下らなく(失礼)翻訳されて、イメージが固定されて、正当に評価してはもらえないんだろうな、と。というより僕も正当に評価できなくなってるわけですが。

シュミレーションSFとして、過去の巨匠たちの影響を一切表さないという意味で一歩抜きん出てる作品群だと思うのですよ。硬派のSFだと言っていい。でも硬派なSFファンはSPEED(的なもの)のファン層とはまったく重ならないと思うのね。今『アンドロメディア』の文庫本が手元にあるんですが、「SPEED主演映画原作」と大きく謳い、4人が笑ってる写真を付けたオビが巻かれてるわけ。この時点でSFファンは手にとらないだろうと予想されるわけだ。読んでみると面白いのにさぁ。それじゃ可哀相だ。ってことです。

そう、貧乏は正しい!

なんとなく手に取った橋本治。とりあえずこの貧乏は正しい!シリーズを読んでいこう。ヤングサンデーに連載されたんですよね、これ。読者層は高校生くらい? 反響はあったようですけど、理解はされたんですかね。第1章が載ったのがもう10年ほど前で、ちょうどその頃僕も高校生をやっていたわけなんですが、当時の「僕たちのダメさ加減」がきっちりと諭されています。にもかかわらず、僕たちはダメなままだった。結局、これをきちんと読むような人間はもとより読む必要などなく、読んで身を正すべき人間は決して読みはしない、という明確なジレンマがあるわけですね。いつの時代もそうです。哀しいですね、なんとも。「分相応」という言葉を、今の若者にも教えてあげたい気もしますね。決して読まない人たちに。

中上文学

気づけば中上健次を語る上で外せない作品がいっぱい外れてたので遅ればせながら入れました。といっても僕ごときに中上健次なんて語れないので語りませんが。

でも、もっとも信頼できる基準たる「読んでいて楽しいかどうか」ということで言えば、中上文学は楽しくないんですよね。噛み砕けないから。うーんって唸りながら飲みこむわけです。後期になればなるほど、大きな世界観があり、僕たちの(なんて言っちゃいますが)手では抱えきれないくらいになってしまう。その圧倒的に完成された物語を、「すごいなぁ」と見上げるしかない。

それならなぜ読むのかと言えば、好きだからです。理由になってないですね。

山川健一の代表作ってどれだ

ふー。山川健一5冊。今回これをピックアップするにあたって、書棚の前で考え込んでしまいました。彼の代表作はどれだろうって。(すでに掲載してある)『ロックス』か? ちょっと違う気もする。じゃあノンフィクション『安息の地』だとでも言うのか? うーん。

『ノルウェイの森』みたいな売れ方をした作品はとりあえずないし、僕が一番好きな『窓にのこった風』だって代表作という雰囲気ではない。つまり、代表作がこれから生まれるのをお待ちしているようなしだいです。ホントにお待ちしてますのでよろしくどうぞ。

今回の5冊でちょっと言うと、楽しい気分になりたい人は『ティガーの朝食』を、哀しくなりたい人は『綺羅星』をどうぞ。そんな感じ。

『白仏』の違和感

ようやく友部正人の第二詩集が手に入りました。第一、第三を買ったのと同じ古本屋なので、もしかしたら一緒にあったのかもしれない。この第二詩集は非常にせつなくておすすめです。

辻仁成いくつか追加。「音の三部作」周辺がまだごっそり抜けてますが、暇みて書きます。いまごろになって『海峡の光』なんて入れてるだらしなさですが、ご容赦ください。

辻仁成っていい意味で時代と無関係に突き進んでる作家だと思うんですが、『白仏』はやりすぎかと思いましたね。「純文学をやるぞ」って意気はすごく伝わります。芥川賞受賞での「文学を守る」発言で世間が騒いでるなか、その決意のほどがよく見えた作品ではあります。戦前・戦後を描いた力作ではある。でも、エコーズ時代から惚れぬいてきた若い世代(ってもう若くないか)の手を振りほどいて、あんな遠くまで行っちゃったのだなぁと当時はちょっと哀しかったんです。で、その後の『ワイルドフラワー』や最新作『冷静と情熱のあいだ』は「ああ、戻ってきてくれた」と拍手で迎えつつ、『白仏』ってなんだったんだろう? と思うのです。そこで示された新しい方向性は、まだ生きてるのか。これからそっちへ進んでいくのか。僕としてはやっぱり時代のリアルを描いていってほしい作家です。ロックもやってほしかったりしながら。

法師温泉が舞台に

『自由死刑』、面白かったんですけど、ラストがちょっと辛かった。『アルマジロ王』の中のとある1編(ネタバレ防止のために伏せますけど)に非常に似ていると思ってしまったので。別に似ていること自体は悪いことでもないんですが、「似ている」と思ってしまうととたんに楽しさ半減なんです。僕が悪いんですかね?

ただこの作品には法師温泉が舞台として登場します。僕のイチオシの温泉です。通勤電車内で奇声を発してしまうほどに嬉しかったですね、これは。やるじゃないか島田雅彦。

子供向け?

表紙リニューアルというにはあまりに変わらないけど。

『アメンボ号の冒険』、子供向けです。ルビの多さからも分かりますが。椎名の少年時代の物語で、筏を組んで川を下るとか小さな冒険が描かれています。「そうそう。そうやって遊んだもんだよなぁ」という全国のお父さんの声が聞こえてきそうです。「俺達の頃はこんな冒険をしたもんだ。今の子供たちは塾だとか顔グロだとか携帯メールだとか、夢がない!」という全国のお父さんの声が聞こえてきそうです。そうさせているのはあなたなのに。

でも、僕だって椎名とは随分年代が違いますが、同じようなことはやってきました。「裏山」という広大な遊び場がありました。いろんな工夫をしながら、自然を遊び場に変えてきました。ファミコンが世に出るまではね。逆に言えば僕の世代あたりを境に、遊びは密室的になっていったのでしょう、時代の推移として。だってファミコンのほうがもっと面白かったんだからしようがない。

「子供たちにもっと遊び場を」「学校教育の欠陥」だとか10年来の議論を呼び戻す意味で、この本は非常に分かりやすい。でもこれが今の子供たちにストレートにアピールするものなのかどうか、分からないのです。もはやオジサンと化した「あの日の子供たち」に懐古的ヨロコビを与えるだけで、子供への遊びの提案としては今や魅力を持たないんじゃなかろうか。それだったらイラストを盛り込んだりルビ打ったりせずに、「大人向け」の本としたほうがより分かりやすかったんじゃなかろうか、と思うんです。

まぁそんな感じ。論旨がずいぶん飛んじゃってるけど、「論」をやるつもりはないんです、ごめんなさいねぇ。

というわけで横尾忠則。

昨日アップした漫画、早くも後悔し始めてます。やっぱり漫画は載せるべきじゃなかった。何か、非常に「ユルく」なってしまった気がする。これまでの努力はなんだったのか。東京の夜景でもクールに見つめながら純文学に生きるべきだった。バーボンでもあおりながら(あるいは下心隠しながら)文学談義をしているべきだった。でも、削除したりはしないのだ。馬鹿っぽいところがあったほうがよいのだ人は。はっはっは。

というわけで横尾忠則。これにしたって「何故だ!」という声が聞こえないではないんですが、いいでしょう。『未完への脱走』なんて、1970年発行ですよ。僕、生まれてない。どこが現代文学やねん。絶版本なので、このレビュー見て「読んでみたい」と思った人が(万が一)いても、そう簡単には読めませんしね。やっぱりページコンセプトどっかで間違ってる気もします。気にしませんが。

古本屋で高い金払って買ってきても面白いとは限らないところが辛いところ。

ダメダメですかね? こんなんじゃ?

漫画、あまり読んでないけど。

いやはや、漫画を少しアップしてみました。あまり責めないでね。

最近は漫画も全然読んでないんですが、「ああ、あれは面白かったよな」って本を思い出しつつ、挙げました。傾向はバラバラですがね。「文学的」であるわけでもないので、このページに置いておく理由もないんですが、まぁいいでしょう。具体的に言えば、友人から『人間交差点』を貸し付けられて、ホームページに書けとうるさく言われたからです(笑)。それだけじゃ唐突なので、いくらか別の漫画を取りこんだような次第。

最近注目は井上雄彦『バガボンド』。『スラムダンク』をジャンプで人気絶頂のうちに終了させた人ですね。新天地でのびのびとやってます。うってかわって宮本武蔵を題材にしてるんですが、面白いです。人間の表情とか動きとか、描くのうまいですよね、やっぱり。

でもジャンプって今どうなの? スラムダンクとドラゴンボール、どっちが先に終了したのか忘れたけど、それでもう終わっちゃったのかな? というよりイマ少年漫画って読まれてるのかな? 別に意図なくジャンプ系の漫画を入れなかったけど(今回は。追加していくか不明)、小中学校のころはやはりジャンプで育ったんですよね僕も。いまや、なんだかもう見るに忍びない感じですが。斜陽で。がんばってくださいね(ヒトゴト)。

コラボレーション小説

先週末には詠み終わっていたのだけれど、ついでに辻仁成で過去読んだ分の感想をまとめてアップしようとか思っているうちにだらだらと時間も過ぎ、だるくなってきたので新着分だけ。江國香織と辻仁成のコラボレーションで生まれた小説2冊。

これは1つの恋愛を、男と女の視点からそれぞれ描き分けられた物語です。江國が女「あおい」を主人公とした物語を、辻が男「順正」を主人公とした物語を書くわけです。あおいと順正は昔付き合っていて別れてしまったカップルなんですが、当時「あおいの30歳の誕生日にフィレンツェのドォーモに登る」という約束を交わしていて、その日が近づくにつれ、くすぶっていた想いがヒートアップしていく。相手はこないだろうけれど、自分はその日、そこへ行かなければならないと、それぞれが思い始めるわけですね。言ってみれば、ストーリー自体は簡単です。一直線です。ただ、コラボレーションによって厚みを増した心理描写のやりとりが楽しいです。

もうちょっとコラボレーションがどういう状態なのか、説明しないとだめですね。雑誌で連載されたものなんですが、今月は江國、来月は辻、その翌月が江國、というふうに交互に連載されたんです。だから当然、作家の舞台裏としては相手の章を読みつつ、それに呼応するように自分の原稿を仕上げる、という作業になるわけですね。作家が交互に変わるひとつの小説なわけです。

最初は月刊カドカワで連載が始まったんですが(途中でfeatureなる雑誌へ舞台を変えたようですね奥付によると。どんな雑誌か知りませんが)、当時書店で立ち読みしながら「なんか変わったことやってるなぁ」とだけ思って、「単行本になったら読もう」と置いたんです。雑誌購読者は当然発表順に交互に読んでいくことになるわけですね。で、今回単行本になったのを見ると、江國パートと辻パートがそれぞれの著作本として分かれてます。だからそれぞれ片方のパートだけで読める形になってます。というより「江國版を読んだけど辻版は読まない」という読者がありえます。これはどうなんだろう? 掲載順に並べ、共作の「上下巻」としたほうが良かったんではないのかな? だって、江國版を最後まで読んでも物語は終わらないもの。辻版の最終章が残ってる。僕はだから2冊を交互に(雑誌掲載順に)読んだんですが、やっぱりそれが正当だという気がします。これから読む人もぜひ両方買って交互に読むように。

やっぱ「ねじまき鳥」でしょ

村上春樹、とりあえず長編はこれで全部になりました。読み返すのも苦にならないくらい面白いんだけど、少々時間がかかりましたね。

まず、『ねじまき鳥クロニクル』ですが、これを2冊とカウントするのは他意はありません。同時に発売されたものは何冊組だろうが1冊と数え、発売日の異なるものは別の本と扱う、という機械的なものです。しかし、文脈的な意味で第3部を別の本をとらえるムキがあるのも知っています。「2部で終わったほうがよかった、3部は蛇足だ」的な意見もあります。僕は評論をやるつもりはないので無責任に言えば、長い物語のクライマックスとしての第3部が好きです。第2部で終わっていいはずがない、と思います。誠実な答えを用意した第3部が好きです。

どちらにしろこれまでの最高傑作だと思いますね。ねじまきは。それでいて、「この著者ならこの1冊!」には『羊をめぐる冒険』をあげてますけど。あの辺は「人におすすめするなら」って想いが多分に入っていて、どこか曖昧なんですよ。

それから『国境の南、太陽の西』は、最初に読んだ学生時代に読み取りに失敗してるんです。何が言いたいのかまったく分からなかった。それは人生経験が足りないせいだろう、と思ってたんですが、今回読み返してもやっぱり分かりませんでした。胸踊る冒険が出てこないから? 羊男もやみくろもいないから? 奇妙なリアリズムの静けさが原因のひとつではあるんでしょうが、もっと本質的なものだという気もします。この作品はわりと評価が分かれるみたいですね。僕のようにピンとこない人もいれば、「春樹の小説でこれが一番好き」って人も(女性に多い気がしますが)いる。愛というものが違うんでしょうね、人によって。あぁ、当たり前なこと言ってる。

村上春樹に関しては語りたいことがいっぱいあるような気がするんですが、何をどう言っていいものやら分かりませんね。新作が出たら初日に買う作家のひとりです。

ぢんぢん来るよね。

『ぢん・ぢん・ぢん』、満点つけました。実を言えば、星2つという辛めな評価をしてしまった『鬱』と方向性は同じです。性愛哲学という意味では。ただ、『鬱』では自壊した(と僕には思えた)「セックスによる倫理世界の構築」に、『ぢん・ぢん・ぢん』は成功している。小説としては露骨に言いすぎだというくらいに著者の思想を詰めこんでいるのは同じなのに、文学として成り立っている。素晴らしいと思います。恥ずかしながら、泣けます。セックス描写を読みながら泣いたのは初めてだ。

町田康の新作買ってしまいました。なんだかサイン会の整理券までもらいつつ(行けないですけど)発売すぐに購入。アラーキーの写真がいいですね。写真がすでに物語を物語ってしまっている。町田がそれを丁寧になぞるという感じ。パンクロッカーでさえも縛られてしまう、写真の勝ちでしょう、これは。もちろん、小説部も文句なく面白いんですけど。もう少しバトルったほうがよかったかもしれませんね、コラボレーションという意味では。

今、午後3時です。昼下がりです。このままでは無為な週末になってしまうのでこれからちょっと出かけます。酒飲みながら本読んでるだけじゃダメ人間ですね。では。