2001年1~3月

近況報告

不夜城

『不夜城』です。変なこと言うと信奉者から袋叩きに合いそうですので、自分には合わなかったなーとぼそっと言ってみたりするにとどめます。

んー。いやいや。なんつーか感情移入できなさすぎるんですね。人物が僕の中で膨らまない。他人事のように眺めることしかできなくって。もっとなんか、自分の問題として引き寄せうる隙のあるものを好んでいるんでしょうね、作品のクオリティとは別物に。

『共生虫』・『コンセント』

田口ランディ、ようやく一作目が読めました。同じ作家を続けて読まないように調整してるだけなんですけどね。そもそも田口ランディに興味をもったのは、村上龍がやはり引きこもりをテーマにした『共生虫』を上梓し、ランディと「引きこもり対談」やってたのを読んでからです。「現在」をすごくよく考えてる人だなぁと思ったので。

『共生虫』ではインターネットという(見せ掛けの)水路があったため、主人公は意識を拡大させながら引きこもり続けられますが、『コンセント』の兄は曖昧な自死へと至ります。どちらも名前のない境界例であり、心理学的な基本もありながら、現代の生き難さにめまいする思いです。『コンセント』での「セックスというコンセント」はアカシックレコードへも接続できる万能の(?)水路としてあるのですが、その分「どこへもつながれなかった兄」の存在が哀しくって。結局彼には(あるいは僕らには)何が必要だったんでしょうか。

ラスト、ごく正直に言えば納得してません。先日掲示板に『アンテナ』のラストへの疑問が提起されてましたが、僕はむしろあれはオーケーで、『コンセント』に引っかかります。まぁ、すごくクオリティの高い小説なんで皆におすすめしたいですけどね。

沢木耕太郎の小説

「中学三年の冬、私は人を殺した。」という帯に惹かれて買ってみました。沢木耕太郎、長編小説です。ノンフィクションの人だと思ってたんですけど、小説も結構出てるんでしょうか? 「著者初の長編小説!」だったら帯に絶対そう書いてあるはずですもんね、ないということはいろいろ出てるんでしょう。

小説であることを強く意識させる時間軸の自由な展開と、確かなストーリーテリングの腕で読ませます。主人公は走り幅跳びの(元)選手なんですが、「踏み切る」時の感覚が自分のもののように感じてドキドキしますね。全体的にオーソドックスな小説の匂いを醸してるので、ラストではちょっとびっくりしました。ワナにかかったみたいに。

生声対談

村上春樹のホームページ収録本、ようやく出ましたね。サイト上でかなり以前から予告されつつ待たされていた1冊(+CD-ROM)です。基本的にはサイトで現在もすべて読める内容ですから、あえて買うのはやはり安西水丸との生声対談収録という特典でしょう。どーでもいいこと喋ってます。まぁ10分ほどの対談で本格文学論やってもしようがないし、純然たるファンサービスとしての雑談であるわけですが、この脱力感、それがいいんだよねぇ。

積読本がたまってきました。読みたい本だらけで困ります。ここらで山ごもりでもして集中的に読む時間がとりたいところです。青春18切符を握り締めて列車に飛び乗るのが手っ取り早いんでしょうが・・・。

三部作完結。

村上龍の新作、三部作完結編です。これ、以前に「自選小説集」という全集的アンソロジーにこっそり収録され、こんな高い本買えないよなとあきらめかけていたものでした。単独で出るとは思ってなかったので慌てて買ってきた次第。

『エクスタシー』『メランコリア』に続くこの三部作は、非常に村上龍らしい作品群です。題材も文体も、「村上龍にしか書けない」というより「村上龍なら書くだろうな」という連作です。押し付けがましくも見えるこの情報量に拒絶反応を起こす人もいるんでしょうねぇ。なかなかいいですよ、狂気の質が。

キューバが舞台です。偶然にも、先日読んだ池澤夏樹『明るい旅情』でもカリブ海の文章があったりして、なんだか仕組まれてるような気もします。いや、ワタクシゴトで申し訳ないんですが、仕事でなぜかカリブ海を注視せねばならない事態になっておりまして、たまたま手にとった本がみなカリビアンだったりするのでやるせない気持ちなのです。

文学を語る夕べ

先日、社内の読書家たちと「文学を語る夕べ」があったのですよ。事前にテーマとして提出されていた宮本輝『錦繍』をひとまず肴に飲み、いろんな作家に飛び火し、村上春樹『ノルウェイの森』での「春の熊」がいいよねぇって奇妙な連帯感を感じたり、およそ当世風でない盛り上がりを見せたのでした。

なんだかんだ言ってみんな本読んでるんじゃん。嬉しくって父ちゃん涙が出ます。やはり同じ本を読んで、同じように感銘したって人と語り合うのは喜びです。生きる気力も湧こうってもんです。

そんでもって、そのときに、村上春樹にワタナベノボルって出てくるよね。って話題があり、会社の仕事先に現実のワタナベノボル氏がいるもので、そうだっけ?とそれはそれでしばらく笑えた時間があったわけです。で家に帰って読み返して、「ノルウェイ」はワタナベトオルなのだが「パン屋再襲撃」には何人かワタナベノボルが登場する、「ねじまき鳥」の猫と兄はワタヤノボルなのだが、やはり「パン屋再襲撃」内の短編「ねじまき鳥」ではワタナベノボルだったのだ。などとそのときのメンバーにレポートしたところ、「それしか楽しみはないのか」とまで言い放たれがっかりしてみたりしましたとさ。

質の高い妄想としての『アンテナ』

田口ランディ、順番間違ってるけど『アンテナ』から読みました。古本屋で見つけたので。それが素晴らしかったので今日は新刊書店で『コンセント』を買って帰りました。こんな風にして、古本屋と新刊書店は共栄できると僕は信じております。

で、『アンテナ』。めちゃめちゃ上手いです。精神病理や宗教、SM嬢など現代的なテーマをしっかり押さえながら、文章が浮き足立ってない。そういうのに弱いんです。質の高い妄想とでも言いますか。最後のクライマックス、文章が甘かったら「ああ、そうやるのか。安易だな」と引いたと思うんです、きっと。でもここでは、完全に物語の世界に引き込まれてますから、そこへ行くのが当然だってなもんで、犬のように喘ぎながら一気に読めてしまいました。ネタバレにならないように注意すると何言ってんだか全然わかりませんね・・・。

『コンセント』も期待です。

飲むほどに。

3月の社内異動に関わりまして、これまでとは多少矛先の違った部署に移ることになりました。その歓送迎会やらで飲んできたので今日は寝ます。おやすみなさい。ういー。

という文章を前日のうちに書いておく。月アタマということで投稿コーナーなりこの更新日記の移動なり細かな作業をしなければならないんですが、酔って帰っちゃままならないと思われるので。明日はファイルのアップロードをするだけ。なんて周到なことでしょう。

ランボオとNECとブックオフ

今日は3つ言いたいことがありまして、まぁ日を改めてもいいんですが、流れで言っておきます。まず、『不良少年の文学』に関連して。そうさ、ランボーは不良なんだぜ、ってことで。このサイトには載っけてませんが、高校時代にはランボーに心酔しておりました。もうすでにそんな時代でもなかったんですが、愛読書と聞かれたら『地獄の季節』と言ってはばかりませんでした。小林秀雄訳の岩波文庫を携帯してたんですが、後年中原中也や堀口大學の訳に触れたときの違和感は、その不良性の有無だと気づきまして。中也訳はナイーヴに過ぎ、堀口訳は純朴に過ぎたんではないかと。やはり小林秀雄が訳出する不良するランボオ像に惚れていたのだ、と妙にすっきりしたのでここで申し上げる次第です。

さて。パソコンを買い換えたんですよ。NECバリュースターの、液晶デスクトップで。CD-R/RWモデルで。キーボードとマウスがワイヤレス仕様で。土日中環境整備に明け暮れておりました。使わないプリインストールソフトをがしがし外したり。これまでメモリ32メガのペン2なんて下等な情勢だったので、快適になりました。液晶は必要以上に発色がよかったり光の反射で色合い違って見えたりするんで、フォトレタッチなどで戸惑いそうですが、CRTより体感的に広いですしね。ワイヤレスのマウスは電池消耗が鬼のように激しいそうですが気にしません。むやみに深いキーストロークも気にしません。嬉しいです。

で、みっつめの言いたいことってのがですね、これは言うべきじゃないかもしれないんですが、3回連続なんでちょっとだけ言わせてください。ブックオフのオンラインショップ、eBOOK-OFFってのがありまして。ブックオフの商品が家にいながらにして買える、それはそれは便利なサービスです。2000円以上買えば(そのくらいはいつも買うし)送料も無料になりますので、「定価の半額」といういつもの安心プライスで家まで届くわけです。これまで3回利用しました。で、配達日時が指定できるのですが、その時間が3回とも守られないのですよ。

3回とも「土曜の午前中」の指定をしたんです。平日は勤めに出てますからね。1回目(11月下旬)は、午後5時を回っても音沙汰ないので電話で確認し、6時過ぎに到着。「土曜は混んでてねぇ」と配達のおっちゃんが笑うので「遅れるなら連絡くらいしてくださいよ~」とこちらも半笑いで。2回目(12月下旬)。午後2時ごろ電話があり「日が暮れてからになる」とのこと。日が暮れてから到着。eBOOK-OFFには参考までにメールで報告しておきました。「調査する」旨のご返事をいただきました。で、3回目(昨日)。朝8時に電話あり(寝てました)。3時から4時ごろになるとのこと。3時半到着。

もっとちゃんとしようぜ。

土日が混みあって時間を守ることが困難なのなら、注文フォームで時間指定させなければよいのだ。プルダウンメニューで「午前中」「午後」と選べる以上、それは守られねばならないのでは? この便利なサービスの恩恵を受けている以上、そんなこと言っちゃいけないのかね。おかげで丸一日外出できなくなります。どうせ土曜は寝てるのでいいんですけど。

あ~なたとねったいっ

昔、本田美奈子の曲に「あなたと熱帯」ってありましたね。「あなたと寝たい」のカケコトバになっているだけ、おっさんをデヘデヘ言わせるだけ、それ以外何の主張も主義もない、という恐るべき曲でした。無意味にそんなことを思い出したもので、検索してオフィシャルページ見に行ってしまいました。するとカウンターが「000273」。Yahoo!で新着マークがついていたので最近できたんでしょうが、もうちょっと組織票ででも数増やしておいたほうがいいような気がします。で、「あなたと熱帯」が88年。わたし15歳。もちろんデヘデヘ言いました。「寝て、どうすんのか」正確に把握していなかったりもしながら、さぞかし熱帯なんだろうなぁとか。

いやいやいや。『熱帯植物園』について何か言おうと思ったのでした。でもこれだけ書いて不意にめちゃめちゃ恥ずかしくなってきたので止めます。いやいやいや。

植物、好きですか?

「ベランダ園芸」というとどうしようもなくキツイんですが、「ベランダー」という造語をもってすればお洒落な感じ。そういう無意味にお洒落な感じは激しく憎む性質なんですけども、『ボタニカル・ライフ』ではいとうせいこうらしい「ねじれ」があるのでオーケーです。

植物、好きですか? 朝顔だとか向日葵だとかメジャーなもの以外は全て「名もなき花」になってしまうし、この本の装丁に花のイラストがあってもICQのマークにしか見えなかったりするような、植物とは無縁の生活です。実はこの本読んで、うちのベランダにも植物があることを思い出しました。仕事がらみでもらいうけたハーブ系の鉢があるのです。いや、あったのです。一度も水をやることもなく、枯らしてしまいました。鉢を片付けるでもなくそのまま放置してあります。ヒドイ。人でなし、要するにろくでなしです。それにくらべればいとうせいこう、なんて慈愛に満ちた人なんでしょう。愛ですね、大切なのは。

炒飯の届き方。

風邪が治らないので更新です。

自炊なんてしないので(できないので)、会社帰りにメシ屋に立ち寄って夕食をとっていくことになるんですが、栄養バランスを考えもせずしょっちゅう中華料理屋に入ってしまいます。そこで、必ず3品を注文します。まずはビール。それから点心系1品(餃子とか、気が向けばシュウマイ、春巻とか)、さらに主菜(ご飯モノか、麺類)という黄金セットな夕食なわけです。例えば「ナマ中に餃子、それから・・・炒飯もください」という注文です。

まず、取るものもとりあえずビールが来ます。ありがたいことです。仕事アガリにはビールが欠かせません、たとえ風邪持ちであろうとも。本を読みつつ飲みます。

で、次には炒飯が来てしまうわけですよ。何故ビールを飲み飲み、炒飯をむさぼり食わねばならないのか。全国いろんなところの中華料理屋に入りましたが、9分9厘主菜系が先に来るのです。僕が望んでいる食事はですね、ビールがまず来て、半分くらい飲んだところで餃子が出、餃子を半分くらい食べたところでビールを飲み干し、しかるのちにやってきた炒飯と残りの餃子で本格的に食事に挑む、という流れなわけですよ。というかそういうもんでしょう? おっちゃん下戸かい?

餃子のほうが時間がかかるというのは分かる。ならば炒飯にとりかかるのをしばし待ってくれればいいのだ。なにも僕は一刻も耐えられぬ飢餓に苦しんで厨房をねめつけているわけではない。ビールと本でとりあえず自足しているのだ。そういう客にまず餃子を届けようという配慮がなぜないんでしょうか。

このささやかな望み通りに出してくれる店を1軒だけ知っています。うちの近所のとある中華屋では、100パーセント餃子が先に出る。そののちに、おそらくはこちらの食べる速度を観察してるのだろう(それを嫌がる人もいるだろうが)、絶妙なタイミングで炒飯が届くのです。だが、会社の移転により営業時間中にこの店に辿り着くのが難しくなったので、やむなく会社そばで新しい店を開拓しているわけなんですが。

この気持ち、分かってもらえるでしょうか。なお、餃子が届いてから、「あっ、あと炒飯ちょーだい」と追加注文するのは不可なんである。僕にはそれは無粋に映るから。

CGIで掲示板

風邪ひいてしまいました。そんなことはどうでもいいんですが。

ここに投稿するのが今月の目標とまで言ってくださったうみさんの投稿アップしました。ありがとうございます。来月もひとつよろしくということで。

それから掲示板をリニューアルしてあります。長く使ってきたレンタル元がサービス打ち切りとのことで、いい掲示板を求めて東奔西走、それがために風邪をひくほどに。1.広告が入らない。2.スマートなレス機能。3.レスがついたスレッドを上に移動する機能。4.投稿をメール通知。5.過去ログを自動生成。デザインはどうでもよくって、求めたのはこれだけなのですけれど、無料レンタルでは贅沢にすぎるのでしょうか。レンタルでいいものがなかったのでフリーCGIを入手してガチガチにカスタマイズしてます。なので、争点は「軽いWebスペース」へと移っているのですが・・・。これもいいのがないんだよねぇ。どうするかな。

愛の家系図

久しぶりに(もしかしたら初めて)本気の島田雅彦を見た気がしますよ、『彗星の住人』。余力を残してるという風に見える作品がなきにしもあらずで、少なからずやるせない想いをしてきたんですが、この作品では一切手を抜いていない。恋の系譜で歴史を物語る筆力もすさまじく、時代を飛び越える足腰も揺るぎないです。「私はついに自分にしか書けない恋を発見した」という著者の言葉どおり、縦横無尽な恋のリレーにくらくらします。

ピンカートン===蝶々夫人
       |
       | ===野田那美
       JB |
         =|=ナオミ
          |
  松原妙子・・・野田蔵人===野田キリコ
             |
            野田カヲル


久作===カヲルの義理の祖母
   |
  シゲル===アミコ
      |
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 |    |   |  
 |    |   |    ・・・麻川不二子
マモル アンジュ カヲル(養子)
               ===カヲルの妻(旧姓椿)
                |
               椿文緒
					

現代の作品としては珍しく(?)、こんな風な系図が冒頭に掲げてあります。姿をくらませた父カヲルを探し求める文緒に、蝶々夫人の悲恋に始まった恋の遺伝子を、老いた盲目の伯母アンジュが語り聞かせるという構成になってます。順序はバラバラですが、恋に生きた一族が見事に構築的に浮かび上がります。完全に虚構としてマッカーサーなんかが登場したりする、歴史とのからみ方も上手いですね。

これは大長編の第一部にあたるんでしょうか。「無限カノン1」と標されています。カヲルの「禁断の恋」がまだ語られていませんし(この「禁断」ってのもマズイよね、島田らしいけど)、なにより文緒の恋もこれから描かれねばならないと思いますし。これは続編もなんとしても読まねば。

やりたいこととできること。

寒くってやりきれません。

最近突発的にいろんなサイト見に行ってます。松尾芭蕉関連サイトを流したり、全国の古墳のデータベースに見入ったり、「愛」というキーワードをサーチエンジンに叩きこんだり、ワケのわからない行動を取りつつあります。

なんというか、「やりたいこと」と「できること・できないこと」をきちんと確認しておこうという気分になってまして。すでにインターネットは日本独自の系統樹を辿っていると思うのですが、この先には何があるのか、とか。あとは常時接続への障壁が日本ではネックなんだろうな、とか。寒いのでウチにこもっていろいろと。

ノンフィクション・ノベル

『ニュースキャスター』、ノンフィクション・ノベルです。著者には同種のものとして『安息の地』という傑作がありますが、どういうことかというと、本の奥付にある注意書きを見ればわかります。「本作品は現実の事件・人物・団体を素材にしておりますが、すべては著者によるフィクションであることをお断りいたします。」ということです。ひとつの殺人事件を軸に、ニュース番組での対応など現象面は基本的にすべて事実に基づいています。心理描写を創作しているから小説になっている、ということですね。圧力をかけてスポンサーを降ろさせたという疑惑の政治家とか実名で出てきますし。主役級の「超人気キャスター」、およびそのニュース番組名などは仮名になっているのですが、読めばすぐ分かるものです。フジや日テレが実名で出てきて消去法でも分かるのだからその局名を仮名にする必要すらないくらいです。モデルとなったキャスターの名は後書きでも伏せられているのでここでは明かしませんが、夜10時からのニュース番組で、降板が何度も噂され、昔は歌謡番組の司会をやっていた、そこまで説明しながらあくまで仮名です。

山川健一、こういう仕事向いてるんじゃないでしょうか。すごい面白いです。キャスターの抱える苦悩も、プロデューサーとの駆け引きも、犯人の倫理も、じっくりと書きこんであります。インターネットが普及した今、テレビという役割を考えさせる社会派のものでもあります。おすすめですよ。

日本の川を旅する

このような小規模なサイトに必要な機能なのかどうか分からないのですが、一度やってみたかったので、検索機能つくりました。サイト内の文章の全文検索ができます。ODNでは自作CGIが使えないのでフリースペースを借りてそこで動かし、検索結果のリンクでこっちに戻すなどという少々ややこしいことをやっています。使い勝手としてはそんなややこしさは感じずにすむようにしているつもりですけれど、「うちをCGI置き場にするんじゃねぇ」とフリースペース側に怒られたら終了です。

読んだ本では『日本の川を旅する』、素晴らしいです。手掴みしたアユを河原で焼いて食べる生き物としての喜びも、見知らぬ流れ者に対する土地の人々のあたたかさも、20年前のルポとして過去なる「美しかった日本」なのかも知れない。すでにただの排水溝でしかなかった多摩川を下るやるせなさだけが、現在にリアルなのかも知れない。いろいろ考えさせられる部分もありながら、ユーモア溢れる語り口で読みやすいです。失礼ながら意外にも文章はすごくうまいし。

シドニー!

村上春樹の新作はオリンピックルポです。なんと。長距離ランナーの孤独やら、カモノハシの足指に潜む毒液やら、幅広いです。最初は、「マラソン好きが高じてついにオリンピック見に行くようになっちゃったのね」と思ったんですが、想像以上に深いところで話が進みます。いや、そうでなけりゃそんな退屈な場所に行くはずないですしね。特に、シドニーからの手紙調で書かれた章は、するりと心の奥まで入りこみます。彼の文章の浸透圧はいつもながら素晴らしい。

投稿コーナーのほうは、時代小説でもよいかという掲示板の書きこみをうけつつ、こんな具合です。なるほど。よく分かります。私達が革命に関わること、あるかもしれませんよ。

池澤夏樹

池澤夏樹、「文庫なら買う作家」から「古本で見つければ単行本も買う作家」へと内部的にこっそり格上げしたんですが、そうしたら徐々に増殖の道を辿ってます。文庫化の予定のない単行本がたくさん眠っているようですね、彼には。

この書評集たる『読書癖』シリーズは現在4冊まであるようですが、2冊分続け読みしました。サイズとしては短めの書評がズラリと並んでいます。2冊で200冊以上の本が取り上げられるのですが、そのうち僕が読んだことのある本は6冊しかない。世界は広い。

対して辻仁成は、僕の内部カテゴリで言えば「新刊が出ればとるものもとりあえず買う作家」という最高ランクに位置しているわけですが、最近は「愛の時代」とでも言うような作品が続いています。しかも、「後ろめたい愛」だったりします。作者の現況やいかに。

掲示板の過去ログ、公開はじめました。「そんなことやめてくれ」という人はお知らせ下さい。昨年の2月くらいから思いついて残すようにしてきたので、これ以前の分も暇見てアップします。

フレーム入れてみました。

だめ。もう、すごく使いにくい。作った本人が使いにくいんだから、ふらりと立ち寄った人は絶対迷子になるなこりゃ。リニューアルしたわけなんですよ。21世紀になったことだし。中身は全然変わってないし、各コーナーの見せ方もほとんど変更ないんですが、フレームを使うことにしたりしてみまして。もちろん、より使いやすい、より分かりやすいナビゲーションを模索してのフレーム導入なんですが、やってるうちに混沌としてきまして。なにがなんだか分かりません。

ご意見ありましたらお寄せ下さいませ。

21世紀になっちゃいました。

明けましておめでとうございます。って遅い? まぁ、夢の21世紀到来ですね。いかがお過ごしでしたでしょうか。僕は石川の実家で父とサシで飲み明かしながら、20世紀を振り返ったりしておりました。いろいろあったなぁ言うて。しかし、こんなにあっさりと21世紀が来ちゃうとは思いませんでした。聞いたところによると、ドラえもんはこれまで21世紀からやってきたことになってたのが、いつのまにか「22世紀の猫型ロボット」と扱い変わってるらしいですね。先送りされる未来。

今回の帰省では青春18切符でうろつきながら、雪降る中、城崎に立ち寄ってひとっ風呂浴びてきたんですが、それだけなので特に旅的更新はありません。行きに2日、帰りに3日かけてきっちり18切符使いきってきたんですけどね。東京-石川という距離感は鈍行でゆっくり帰るにちょうどいいんです、僕にとって。ゴトゴト揺られながら本を読み、ふと目を上げるといつのまにか雪景色、日も暮れてきたのでこのあたりで宿を取ろうか。そんな「旅してる」感じが好きです。21世紀になろうとも。