和歌山市から熊野へ、熊野本宮大社を訪ねて
行程
- 1997-09-20
- 東京―石山寺―京都
- 1997-09-21
- 京都―和歌山―加太―和歌山―新宮
- 1997-09-22
- 新宮―本宮―新宮
- 1997-09-23
- 新宮―尾鷲―名古屋―東京
旅行記
1997-09-20(1日目/土曜日)
紫式部の寺へ、石山詣
滋賀県は大津の南、石山寺。今日の目的地は石山寺。紫式部が『源氏物語』の構想を練ったという「源氏の間」が残ります。文学の香りがそこはかとなく漂う、なおかつ女性的な優美さのあるお寺ですね。紫式部はここから見える月に魅せられたということですが、昼間の参詣では月は味わえません。残念。
名前の由来である「石山」。天然記念物の硅灰岩が露出し石山となっているもので、珍しい景観とのことですが、よく分かりません。
多宝塔はすごく美しいものでした。フォルムとして。
近くにある建部大社へも歩いて訪ねました。日本武尊を祀ります。瀬田川沿いに静かにたたずんでいます。静寂がいいねーというか誰もいなくて静かすぎる、ひとりぼっちでした。
京都へ出て、駅前のビジネスホテルに宿泊。
1997-09-21(2日目/日曜日)
紀州の城下町、和歌山市内
京都から移動、和歌山へ入ります。和歌山駅で列車を降りて、和歌山市駅のほうへ向かって歩きました。その途中、市街中心にどっしりとかまえるのが和歌山城です。徳川頼宣入城後、紀州徳川家の居城となったもの。吉宗の生育地でもありますね。
昭和の再建ですが、重厚感のある立派な天守。天守閣の上からは市街が一望できます。
和歌山市駅から南海加太線に乗って加太エリア、淡嶋神社へ。海水浴場もあり明るい雰囲気のなか、ここだけ異質な雰囲気を放っています。
その異様なオーラの正体は、なかに入るとすぐ分かります。「人形供養」で有名な神社なのですね。奉納された人形がずらり並ぶ様子はかなり怖いものがありました。そういう意味では印象深い神社です。
髪の毛が伸びる人形があったり、ホラースポットとして紹介されることもあります。いずれにしても情や念や何やかやがこもった、こもったゆえにこの神社に納めざるをえなかった人形たちが境内に溢れています。
日本人形だけでなく、実に様々な「捨てたいけど捨てられない」ものが納められています。つまり「生命の形を模したものには生命が宿る」ということで、写実的であればあるほど、そこには魂が入ってしまうのですね。
たとえば狸、犬の陶器製置物。日本人形はまだ分かる。供養したい気持ちは分かります。でもこの陶製の置物はどうでしょうか。霊供養の信仰というよりも処分に困っただけの粗大ゴミという気配も濃厚です。そういうのがずらっと並んでいる風景って。
あるいは仮面なんてのもあります。能で使うような面(これは怖いよね)から、アジア旅行のおみやげに買ってきたようなものまで。こういうのを奉納しにくる人ってどんな人なんでしょうか。あるいは下着なんかも奉納されています。うーん、やっぱり捨てづらいものを持ち寄ってるだけな気もする。
淡嶋神社を退去、気を取りなおして和歌山から列車で南下、紀三井寺へ。長い石段を登った、和歌浦湾が見渡せる高台にある古刹です。桜の名所でもあります。
陽が傾いてきました。キレイな夕焼けが出ました。古寺で夕焼け、いいですね。
この日の予定はあまりちゃんと考えてなくて、和歌山で宿泊とするか迷いながら、特急に乗って新宮まで一気に向かうことにしました。スーパーくろしお。新宮へ出てビジネスホテル泊。
1997-09-22(3日目/月曜日)
緑深き熊野、新宮に本宮
翌朝。今日は熊野詣デーです。新宮からバスに乗り、本宮にほど近い湯の峰温泉で降りました。ここは熊野詣前に旅の垢を落とした歴史ある温泉場です。歴史あるというか日本最古の温泉とも。90度以上の源泉が湧き、周辺はきつい硫黄臭が漂っています。源泉で温泉卵を作ってる人たちも。
つぼ湯という立ち寄り湯があり、湯の色が7色に変化するとか有名なのですが、小さめの湯で、先客がいたために入れずにうろうろ。後から調べると、30分交代制で、番号札を受け取って待たねばならないのですね。知りませんでした。
そばにある東光寺に参拝。湯の花が化石状態となったものを薬師如来と見立て、本尊として祀った、かつてはその胸部に開いた穴から温泉が湧いていた、それで「湯の胸」と言ってたのが変化して「湯の峰」になった……とかなんだかすごい話。
しかしながら、そのご本尊を目にした記憶がない。外から参拝しただけだったと思うので、中にあって見えないのでしょうか。
このあとは熊野本宮大社方面へ向かいたいのですが、バスの時間がうまく合わなかったので、歩くことにしました。地図をみたらそれほど遠くなさそうだったし、時間もあるしということで。でも思ったより長い道のり。
ようやくたどりついた熊野本宮、熊野本宮大社です。「甦る日本!!」の垂れ幕がなんとも男気溢れる。熊野本宮大社、熊野速玉神社、熊野那智大社で熊野三山と呼ばれますが、古くから大勢の人々が参拝に訪れた熊野詣。
その熊野の中心で、熊野のバイブレーションを感じようとしばし目を閉じる。
4社が横に並ぶ、珍しい形をしています。
本宮大社を出て少し歩くと「大斎原」というところがあります。熊野川の河原のなかにあり、洪水で流される前まではここに本宮がありました。こんなに川の流域のなかにあっては流されても無理はないなぁという感じを受けますが、でも、近代化以降の、森林伐採による環境変化が熊野川を洪水の起こる川に変えてしまったのだと考えれば、それは人為的な神域破壊だと言うこともできます。
さて大斎原では現在も神々が祀られています。熊野川を御神体とする熊野のエネルギーは本来はここから湧いてくるはずです。社を移したことであわせて移動する霊力もあれば、地に留まるものもあるんだろうなと思います。そう思いながら、ここでもしばし瞑想するように目を閉じる。うん、やっぱりここはパワーが感じられますね。
周辺の河原を散歩すると、完全に砂利に埋まってしまった車がありました。どんなすごい洪水に襲われましたか。
世界遺産としてもその名を知られる熊野古道も、全部を歩き通すのは大変ですが、本宮からちょっとだけ入ってみることができます。というより、本宮への参拝のための道ですので当然ですね。少し石段を歩いて戻りました。
いつか、熊野古道を歩く旅もしたいですね。
本宮からバスに乗って、新宮エリアに戻ります。町を歩いて熊野速玉大社へ。熊野三山のひとつ。三山のうちふたつを今回尋ねましたが、速玉は普通の神社だなという印象でした。本宮ほうが圧倒的にパワーが強いせいでしょうか。
後から近くの神倉神社に寄らなかったことを後悔してます。
ほか島全体が沼に浮いている浮島の森だとか、新宮のみどころを見て歩きました。
途中で見つけた阿須賀神社。「あすか」という名前に惹かれて鳥居くぐってみました。由緒もよく分からないまま、大和飛鳥と関係があるんだろうか?と思いながら参拝。実際のところは小さな神社ですが、遺跡も発掘されてる古くからの信仰の場のようです。
この日も新宮で宿泊。
1997-09-23(4日目/火曜日・祝日)
帰路では尾鷲に立ち寄り
列車で三重県に入り、尾鷲で途中下車、昼食にします。周辺を散策しました。
その後名古屋もぶらついたりしながら帰ります。(了)