かむらまんげつ
はい。投稿コーナーだけの更新です。それぞれに下ネタだったりノロケだったり、コメント荒れておりますが、ご覧下さいませ。
先日五反田のブックオフに1カ月ぶりくらいに行ったんですが、棚整理されてましたね。これまで小説とエッセイで分かれてたのをひとまとめにして、作家名あいうえお順で統合されてました。うん。このほうが僕としては分かりやすいです。それにともなって、「か行」に置いてあった花村萬月が「は行」に移ってました。一安心です。誰か教えてやれよと気が気じゃなかったんで。僕は教えないんですけども。
中原昌也と町田康
やっぱり池澤夏樹はいいです。ストイックですよね。ストイックさのあまり「麻薬撲滅キャンペーン」みたいな小説になっちゃってますが、バリ好き、アジア好きにはおすすめです。
中原昌也のあとに町田康読んだらすごく爽やかだったり。町田も悪意の人だと思ってたんですが、中原の逃げ場のなさっつーか行間まで染み渡る黒さっつーか、その影響下にあっては町田、美しいです。白いです。
なんだか新宿歌舞伎町で食った韓国料理で胸焼けしそうなのでもう寝ます。
あ、そうそう、前回書いたことで誤解を招きそうな部分があるので、突っ込まれたわけじゃないけど前もって言い訳しておきます。「一杯のかけそば」なんてスゴイ例を出したんですが、僕はあれ読んでません。だから泣いてません。とにかくあの「ブーム」を見てたので例に出しただけで。あの話が泣けるかどうかはここでは問題ではなく、ポイントは、泣いていた人間が「創り話だったなんて! 騙された!」と転じちゃうことの不思議さです。騙されたんでもいいじゃないか、胸が熱くなった、って事実は抹消せずともいいんじゃないか?ってことです。分かりますよね。
泣きたいときには泣いたらええやん。
自分はただの感動屋さんなんだろうか?と最近(でもないけど)思うことがあります。本を読んで、感動でまぶたを濡らしてることが非常に多いのです、わたし。今回アップした『定年ゴジラ』でも泣きましたし、前回の『最後の息子』でも泣いてます。恥ずかしがって表明しないだけで皆もそうだろうと思ってたんですが、いろんな人の話を聞くにつけ、「僕だけなのか?」と疑問がわきあがってきたのでこの文章を書いております。
どの場面で泣いたのか、なんてのはネタバレになるので言いませんが、基本的にはいわゆる「感動的なシーン」にとにかく全部捕まってしまうのです。感動的なシーンで登場人物が泣いてたら僕も泣いてしまいます。いや、もっと正確に言えば、僕が泣きたくなってきたら登場人物も泣き出すんです。なんというか完全に物語の中に入ってしまってて、自分が現実に遭遇したら感動するであろう場面で、そっくりそのまま感動してるわけです。
これを味わいたいがために僕は本を読んでいるんだといっても過言ではありません(いや、過言なんですが、この文脈ではね)。感動したいし、泣けるならこれほどよいことはありません。そのためには努力は惜しみません。少々の文体の甘さなんかには目をつぶってでも、感動できるものならば感動したい。感情移入を積極的にしたい。これは間違った本の読み方ですかね?
本を読んで泣くことを恥ずかしいと思っているのか、あるいはある種の損失だと思っているのか、僕のようなのは珍しがられてしまうんです。もしかしてみんな感動しないように自分を律してるのかな。「できることなら感動しないで済ませたい」と。
昔、「一杯のかけそば」ってあったじゃないですか。日本全国感動の嵐。ね。それが後日「フィクションである」ということになると一転、日本全国ブーイングの嵐。ね。そのときにも「もしかしたらみんな感動したくないんだろうか?」と思ったものなんです。それが事実であろうとフィクションであろうと感動的な話には変わりはないのに、なんで「泣いて損した」みたいになっちゃうのか。損なのかそれは。
感動しといたらええやないかい。泣けたら喜んだらええやないかい。今日感動したら、明日感動がおあずけになるってわけでもなし。感動は無尽蔵なんです(とまで言ったら宗教チック)。ガードする必要なんてないでしょ。感動的な場面では、だから、みなさん泣きましょう。
こんなこと言っても「感動屋さんの照れ隠し」みたいになりますかね。くぅ。
吉田修一のまっとうでなさ。
吉田修一、いけますよ。まだ2冊しか単行本になってなくって、その2冊ともなんともなしに読んでしまったわけですが、どれもクールでいけてます。『最後の息子』収録の「Water」って短編、びっくりするほどまっとうな小説なんです。ああこういう青春話も書けるんだ、と思ったら、『熱帯魚』のまっとうでなさも美しく見えてくる感じ。いやいや、力のある新人作家だと思います。
オフ会を開催しますぜ。
7月14日(土)にオフ会を開催します。お知らせをご覧の上、参加するという方はお早めにメールでご連絡ください。まだ先の話ですが、早く人数把握したいという幹事的事由もありまして。要望なんかもいっしょに書き添え下さいね。
話は変わって。ようやく我が家にもADSLがやってきましたよ。フレッツADSLなんですがね。実測1.2Mbpsまででてますからね。速い速い。これまでの底辺生活はなんだったんだというくらいに。メガクラスのファイルのダウンロードも数秒で終わっちゃいますし。3月末に申し込んで開通までに2カ月半もかかってますが、モデムの生産が間に合わないなんて理由は理由にならなくって、単にNTTの企業的無能を示すのみだと思うんですが、開通したらもう文句は言うまい。プロバイダ側の融通の利かなさにもヒトコトあるんですが、それももういいです。これを味わいたいがために今日は会社を早めに引けてですね、設定してたわけです。
その速さってのももちろん魅力なんですが、それにもまして「常時接続」という環境がなにより嬉しいです。これまではもちろんテレホに入ってましたけど、夜中を待って接続って考えたら不思議な種族じゃないですか。これで時間を気にせず、見たいときにいつだって天気予報でもニュースでも見に行けますからね。生活が変わります。感激ですわ。
日本文学盛衰史
『日本文学盛衰史』、章によって当たり外れが激しくって星3つになっちゃいました。「文学」の核心にダイレクトにタッチしておきながら、読者をそこまで連れて行きながら、また急に回り道するようなもどかしさがありまして。
あくまで小説ですよ。全体は小説なんですが、真ん中に1本、夏目漱石の『こころ』に出てくる「K」とは誰のことか?と考察する論文が挿入されている部分がありまして、それはもう素晴らしい。解き明かされた「K」が漱石に詰問する場面なんてのも素晴らしい。さらに続く章での青春小説的に登場する樋口一葉との会話も、泣いて机を叩くほど素晴らしい。ああ、これが高橋源一郎なのだ、と思います。
ん。今、よかった部分思い出しながら書いていたら星3つじゃ不足なような気がしてきたので、やっぱり4つに上げておきます。
三歳になりました。
このサイトも、満3歳の誕生日を迎えました。祝ってください。ここまで続いているのも、みなさまの声援の賜物でございますよ。ほんとに。これからもほそぼそと地味にやっていく所存ですので、末永いご愛顧を。
そんで、一部要望もありまして、そろそろオフ会なるものを開催してもいい時期かなぁと思ってるんですが、どうでしょうかね? 参加者いるんでしょうかね? どこかの週末、東京のどこかで、飲むだけです。おそらくは少人数でモソモソ話しながら飲むだけです。まだ何にも決まってませんが、というか開催するかどうかも未定ですが、決まったら詳細告知します。「ぜひ参加したい!」「パキスタン在住だけれど15年ぶりに日本へ帰ってでも参加したい!」という人がいましたら、メールであらかじめご連絡いただければ、優先的に日程等ご連絡さしあげます。
ニューデジカメ
新しいデジカメを買ってきました。立ち直りの早さが身上です。まず200万画素クラスにしようと決め、Webを見て回って事前調査したところ、オリンパスのCAMEDIAとニコンのCOOLPIXがそのクラスでは総合的にやはり飛びぬけていると思われ、そのどっちかにしよう、あとは店頭での手触りやぱっと見の引き付けられ度で決めてやろうと街へ繰り出し、CAMEDIA C-700 Ultra Zoomというやつを選んできました。結局のところ、失くしたデジカメと同メーカーの上位機種です。とりあえず嬉しいです。
沢木耕太郎の『人の砂漠』、いいじゃないですか。よく見ると、あの『深夜特急』より前に出てるんですよね。『深夜特急』で世に出たようなイメージだったんですが、それに先駆けていいルポ書いてます。語弊があるとは思いますが社会の底辺をめぐるルポであり、「取材者」なんてのはホントはお呼びじゃないわけです、彼らにとっては。そういうルポってある種の苦さを感じることがままあるんですけれど、この作品は凛としてます。それは多分に著者の視線の方位によるんでしょう。きっと。よかったです。
人の砂漠
すんません、沢木耕太郎『人の砂漠』が思いのほか重くって、まだ読み終わってません。投稿コーナーの更新ばかりでごまかしていくのもなんなので、「旅の本」というカテゴリで、作家別にするようなものでもない本いくつか追加しました。サイト名からすれば、いままでなかったのが不思議なくらいのカテゴリですが。しかも旅本とは言えないようなものも入ってますが。
投稿コーナー、今月のお題は「愛する人に贈りたい本」です。なんだか投稿少なくなるような気もしないではないですが、気軽に参加くださいね。
どこで誤ったのか
本を片手に昼飯を食べてたら、手が滑って本をすっとばしてしまい、軽業師のように空中でキャッチできたものの、味噌汁を思い切りズボンに振りまいてしまいました。そんな味噌風味のズボン穿いたまま知らぬ顔で、後輩に偉そうにDTP講習をしてみたりするわけです。どこで誤ったのかこの人生。
ロデオタンデム。
デジカメ紛失に関して、励ましのお便りいくつかいただきました。ありがとうございます。「代わりの絵もむなしかった。」とまで言われてしまいました。むなしい絵を描いたつもりもないんですが。心配かけて申し訳ありません。心配かけておいて申し訳ないんですが、今日は部署の仲間とカラオケではっするしてきました。ホント申し訳ないです。あの、いま酔っ払ってる勢いで言わせていただければ、オザキを歌わせれば独壇場です。
ついでに。ミッシェル・ガン・エレファントの新作聴きましたか? 荒馬二人乗りビートの亡霊。期待にたがわぬできばえなのですが、この寒々しさはなんなんでしょうか。ギターもベースも全部氷点下なんですよ。参るよなぁ。夜中にもうエンドレスで聴いてます。
函館に行ってきました
函館の旅行記書きました。今回はごめんなさい、写真ありません。なので「写真展」でもなんでもないんですが、よかったらお立ち寄りください。文字ばかりでも寂しいので絵を3点ばかり描きました。
実は旅の途中でデジカメを紛失してしまったのです。泣いてます。帰ってからもずっと。函館在住の方、デジカメ落ちてたら教えてください。自分の足にまとわりつく猫を見下ろすように撮ったカットが10枚くらいあったら僕のです。
『いちげんさん』、強力なおすすめを掲示板でいただいてたので読みました。気に入りました。上手いと思います。でもあまり語ったりする元気はありません。
学研の学習と科学
清水義範は、学研「6年の学習」に連載されたやつで、文庫本直行ものです。みなさん学研の「学習と科学」は購読してました? 僕はもう毎月楽しみで楽しみで、学研のおばちゃんを待つ気持ちを綴った作文が地元の新聞に掲載されるくらい楽しみで、特にあれ、「科学」の付録がもう大好きでした。シーモンキー培養セットだとか、簡易天体望遠鏡とかね。で、あれ、科学的な探究心を少年に植え付けたのかっちゅうとそうでもないような。「学習」に至ってはまったく茫洋の果てです。なにが書いてあったんだろう? あの頃の「学習」に「清水義範の作文道場」なんてコーナーがあったとしても、それ見て学んで向上させた文章力を後生大事に抱いて育つかっちゅうとそうでもないような。まぁそれでも「学習と科学」を毎月楽しみに読みふける子供ってのは親御さんを喜ばせるんでしょうし、「親を喜ばせた」経験を持つってことは子供にとっては悪いことじゃないと思いますね。論旨あってる?
枕の下にある世界
以前、ここで文句をたれたことのあるeBOOKOFF。配送時間を指定させておいて守らないのは何故だ?なんて言ってたら、いつのまにか「交通事情等によっては、ご指定の時間にお届けできない場合がございます」って言葉が付記されるようになりましたね。はい。これなら文句ないです。今日は「午後」と指定して、午前中に届きました。はい。文句ないです。みなさんもぜひ使ってみてください。
今日は本を3冊と、町田町蔵のCDをもらいました。「どてらい奴ら」(漢字出ません。男又)。町田パンクってこんなんだったのね。予想以上にパンクなもので、面食らったりしてました。
……。と、ここまで書いたところで今日買った本が行方不明であることに気づき、なくなったらなくなったでも構わないのだが、なんだか気持ちが悪いので1時間ばかり捜索する。枕の下に発見。今日の午前中に届いた本がどうしてもう枕の下になんぞあるのだろうか。と思いながらいつのまにかその本を読みふけっており、夜も更けており、ああ、更新しなきゃとこの文章を再び書きついでいる次第です。馬鹿なこと書いててすんませんね。
ランディファンの集い。
田口ランディのファンサイトが主催するオフ会に参加してきました。言い訳させてもらうと(誰にだ?)、会社の知人に誘われたからです。そうでもなけりゃなかなか行き難いものがありますからね。で、その模様はというと、この場で書けないことも多いので何も書きません。興味深かったとだけ言っておきましょう。みんないろんな読み方をしているんだなぁと。勉強になりました。
「1000字」のコーナー、そろそろ定期的に更新していこうという気になってます。なんやかんやで。
リニューアルにあたり
べらんめぇ。リニューアルしました。例によってデザインを多少修正しただけで、内容は深化してません。下層ページは色変更程度というふやけたリニューアルです。クールでなおかつ冷たすぎない、といったところを(公私共に)志向してるんですが、難しいっす。どうですか? お上品なイメージにするつもりは毛頭ないので、言葉荒げておきます。てやんでぇ。
各コーナーのトップにタイトル画像を敷いたんですが、手持ちの写真がなにもないので散歩がてら本日撮ってきました。急遽調達というものなのでロクなものがありません。後日またいい写真ができたら差し替えます。
あ、そうそう、トップページに置いた「今日の旅先案内」ですけども、そこだけ毎日更新する気でおります。また挫折が目に見えているような企画を無理やりはじめます。「物語の舞台へ」が何も書けないでいるので、罪滅ぼしというか目くらましというか。そんな小ネタです。どこまで続くかお楽しみに。「これって何の意味があるの?」なんて素朴な疑問はやめてくださいね。挫けやすいんです。
それから、「サイト内検索」の機能、やっぱりあまり意味がないので外しました。
「ここの文字小さくしちゃったら見づらいぞう」などのご意見、ありましたら言ってください。
田口ランディにも何か語りたいのですが、今日はもういっぱいいっぱいなので後日。
新潮文庫は紐がキモだろ
前にも一度あったんですよ。「古い本だからな」と思ってそのときは気にしなかったんですが、再び同じ現象を目にしてようやく一つの仮説が浮かびました。研磨が原因なのではないかと。
何の話かといいますと、新潮文庫には紐しおりが付いてますよね。あれが切れているのです。なくなっているのではなく、切断されて「しおり」として使うにはえらく不便な一本の紐として頁に挟まっているのです。それを発見した本はどちらもとある古本屋で求めたものなので、ふと思い出したりしたのでした。その古本屋では買い取った本を売りに出す前に「リフレッシュ」として研磨機にかけるのですね。日焼けや手垢で茶色くなった小口・天地を、削って白くするわけです。この過程で紐が切られてしまったのではないかと。もちろんその古本屋では新潮文庫もいっぱい買いましたし、それがことごとく切れていたわけでもありません。あくまで仮説なので古本屋の名前も出しませんが、追求してみる価値はあります。いや、そんなたいそうなもんじゃないんですが。
そもそも新潮文庫は紐しおりをつけているがために、天をカットしないで出荷されるんですよね。見れば分かります。他の文庫はキレイにつるつるなのに、新潮文庫の天はでこぼこになってるんです。それでもこの紐があるから好きだって人もいるので(僕も好きです。本棚に入れたときピロピロ出てるのが鬱陶しかったりするのを除けば)、コストだって馬鹿にならないけれどずっと付けているのだと聞きます。その紐を切っちゃうのはいかがなものか。「いかがなものか」って言い方かっこいいね。由々しき問題です。あ、「由々しき」もいいね。
2冊半
池澤夏樹のエッセイシリーズです。文庫2冊を続けて読んだんですが、単行本では5冊にあたります(例によって単行本ベースで紹介記事を書きました)。つまり単行本2冊半を合本させた厚い文庫がセットで出たわけですね。なかなか見ない類のものです。2冊半の「半」がすごいじゃないですか。しかもややこしいことに、このシリーズは単行本が全部で6冊あるのです。そのうちの第一弾だけは単独の文庫になってます。で、残りの5冊が文庫2冊に編集されたわけです。
さらに厄介なことに、そのうちの「しゃっきん鳥」だけ単行本を古本屋で買って未読山に積んであったのです、僕。なんだか分からないうちに無駄になってしまいました。
はい。それはそれでいいとして、町田康『夫婦茶碗』が文庫になりましたね。『くっすん大黒』よりも早いタイミングで。まだの人はぜひ買ってください。『夫婦茶碗』収録の「人間の屑」は最高傑作ですので。自堕落と狂気の配分が絶妙ですので。映画化って話のほうは全然知りませんが、あんな中編が書けるようになるならパンク歌手の修業をさせていただきたいとも思います。
心臓を貫かれて
もちろん村上春樹訳だから手にとったわけです。春樹が訳したいと思ったからにはスゴイはずだという「書評者」として失格な思い込みですら、恥ずかしげもなく表明したりするわけです。「訳したからには」でなく「訳したいと思ったからには」ね。タイミングとしては遅すぎるけれども、前々から読んでみたいと思っていたのをようやく手にとったわけです。もちろん絶賛な評判もいろいろと聞いてるわけですけどね。さてはや。
ノンフィクションで、殺人の罪で銃殺刑となった兄を軸に、家族の確執と破滅が描かれます。虐待が人を損なってゆく心理的考察としても、悪霊に取り付かれるというオカルト・ホラー風にも、死刑制度の是非を問う論文的にも読めたりして、ぐっとくるところが様々に配置されてます。が、僕がもっとも効いたのはラストに近い部分。「ここでこの物語を終えてしまうのが妥当なようにも思える。どうやらこれが結末という感じだ。」という記述があった以降のいわば蛇足の部分です。それまでは兄弟や両親のことを(伝聞が多いとはいえ)驚くほど客観的に記述者として記述してきたんですが、ネタバレ的なものでもないので言っちゃいますと、著者自身の暗闇を胸から取り出して見せる部分です。ここに至って誰一人血を流さずにすむものはいないという冷たいエネルギーに触れ、肌を粟立てながら思うのです。誰が誰の心臓を貫いたのかと。あるいは愛はどこから生まれるのかと。
人生疲れ
読み終わった本はないのだけれど、寂しい投稿コーナー少しでも賑やかすためにアップしておきます。
今、マイケル・ギルモア『心臓を貫かれて』文庫を読んでるんですが、ようやく下巻に入ったところ。週末には読み終えるはずなんですけどね。なんだか仕事疲れで。人生疲れで。
ゴールデンウィーク、みなさんどっか行きます? 僕も中日に休んで9連休にしようと思ってたんですが、嫌がらせみたいに会議が入って休めなくなってしまいました。ちくしょうめ。などと言える隙もないくらいギチギチにタイトな業務に追われております。なぐさめてください。
懲りない方々
むかし八王子に住んでまして、「医療刑務所」のすぐ横も何度も通ったことがあります。片倉のブックオフへ行くときなんぞ自転車でちゃりちゃりと。それでもあの壁の中が、あんなことになっていたなんて知りませんでした。『囚人狂時代』。最近新作が出ましたけど、見沢知廉のベストセラーとなった(?)獄内記です。
雑居房なり工場なり、そういった情報はあちこちにあるのでだいたい想像できるんですが、この「医療刑務所」のすさまじさには参りました。特に「盆踊り」。精神を病み一般刑務所にいられない人々を収容する場所なわけですが、数少ない余興たる盆踊りで高揚する彼らの姿、こんな生々しいシーンはなかなかないですよ。しかも冷静な観察者たる著者の視線がものすごく怖いです。この章だけでも読む価値あります。
以前、上司(女性)に彼の『天皇ごっこ』を求められ貸した折、その場で著者近影を見て「こんな人だったの!? イメージ違うぅ」と女子高生みたいに叫んでました。確かシノヤマキシンの撮ったポートレイトがダヴィンチだかに載ってたから、その写真でのおっとこまえぶりと比較したんでしょうが。そんなミーハーな読まれ方は絶対似合わない作家でしょう。政治犯だし。
渡辺淳一、アジアで人気
最近はばたばた忙しく、更新の体力が減少気味です。
さて。ICQ立ち上げてるとやたらと外国の方からメッセージが届くんですよね(なぜかタイ人比率高し)。これまであまり相手をしてこなかったんですが、「英語を勉強しなおしたいな」という気分もありまして、最近は話し掛けられたらちゃんと会話するようにしてるんです。デスクトップに辞書広げながら。
で、今日はマカオの人と話してたんですが、本の話になったときに「日本人作家でひとり好きな人がいる」というんですね。聞くと渡辺淳一だそうで。そういえば社員旅行で香港に行ったときも彼の翻訳本を見かけました。あのあたりでは人気なんでしょうか。「日本では有名な人ですか?」「売れてるよ。僕は読んだことないんだけど」「なぜ?」。日本語でも答えられないような問いに、英語で答えられるはずがありません。読んでみたら気に入るはずだよと、マカオの人に渡辺淳一を薦められるとは思ってもみませんでした。そんなことがないように渡辺淳一くらいは読んでおいたほうがいいのかしらん。
そのあとに今度はスペイン人がやってきて、「日本人女性は結婚したら夫の姓を名乗るのか?」なんていう難解な議題を振られて撃沈。
ADSLにしたいと思って
フレッツADSL、申し込んだんですよ。ネットに常時接続できる環境整備ですね。うちの神奈川エリアで受け付けがはじまって、すでにだいぶたってからだったので遅すぎたんでしょう。「設備の状況等確認し、6月中旬頃、ご利用開始も併せて担当より順番にご連絡させていただきますのでよろしくお願いいたします。」というメールをいただきました。いくらなんでもひどすぎると思いませんか? なんでも申し込み殺到でモデムが足りないとからしいですね。そんなもの予期できなかった事態でもあるまいに。ま、いいけど。
ADSLの普及が遅れたのは、NTTがISDNを売り出し中だったためにADSL業者を押さえつけてたからだ、って話もよく聞きますが(もちろん本当かどうか知りませんが)、それはそれとしてブロードバンド時代への突入を素直に喜びたいと思います。ようやく情報ツールとして過不足なくインターネットを利用できるようになりますね。