2002年4~6月

近況報告

ずっとFF

ネットゲームやってると、だんだん廃人と化して行く気がしますね。毎日睡眠時間3時間切ります。これ終わりがないわけです。パッケージゲームのラスボスに向かって収斂するストーリーなんてものはありませんから。連綿と続く、戦場暮らし。戦士として第二の人生を歩んでる感じです。

戦友が何人もできてゆくのに従って、大事なものいっぱい失って行くような気もしますが、もうちょっと一段落つくまでは。はい。

FINAL FANTASY XI

ちゃんと生きて帰ってきますので見限らないで欲しいんですけども。遅ればせながら、ファイナルファンタジー11をやりはじめました。プレステ2用のソフトで、オンラインRPGです。ネット上の他のプレイヤーとパーティを組んで、協力し合いながら進む、有名なところで言えば「ウルティマ」や「ディアブロ」なんかと同じ種類のものです。

これが人生崩すほど面白い。だって「現実の仕事や友だちを大事にしましょう」って注意書きがあるくらい、のめりこめる代物です。まだやりはじめて一週間たってなくって弱々なんですけど、パーティプレイの楽しさを知ったらもうやめられません。「一旦引いて作戦会議!」「おう!」とかチャットしながらの臨場感でね。その世界に本当に自分が立っているような気がしてきます。今日は会社を休んで一日中やってました。

そんなわけで、この文章書いてる時間も惜しいので、またもぐってきます。ほんとごめんなさい。なんとか更新の時間は捻出してゆきますので・・・。

あ、そうそう、『パイロットフィッシュ』で惚れた大崎善生、デビュー作たるノンフィクションが文庫になったので読んでみました。こちらもなかなかいいですよ。将棋に興味がなくっても問題ないです。ノンフィクションではなく小説をもっと読みたいんですけど、次回作が出るまでは過去作読んで待ちましょう。

では! また!

あ、そうそう、カーバンクルサーバでShibataってハンドルで(ってそのままなんだけど)やってるので見かけたらよろしく!

そんなわけで、では!

第三舞台封印

サッカーに興味がなくっても、テレビもってなくっても、「日本が勝った」というニュースがどこからともなく流れてくるのは何故なんでしょうか。別に嫌ってるわけじゃないです。関心がないだけなんですが。なんでそんなに自分のことのように喜べるんでしょうか。不思議です。

さて、鴻上尚史の戯曲。「第三舞台20周年記念&10年間封印公演」です。この作品を最後に活動停止となってます。彼の戯曲は全作品読んだのですが、結局公演には一度も行かずじまいでした。残念。

この作品では、これまでの戯曲から引用したような部分や、過去作を読んでないと意味不明になる部分がけっこうあります。内輪受け的な。鴻上尚史の作品ではそういう甘さってこれまでほとんどなかった気がするんですけど、これも記念公演としてのファン感謝のひとつなのでしょうか。観客の沸きどころが目に見えるようです。「かぶりもの」って言葉に即座に笑える俺って根っからのファンだよな、とかね。そういう。

事実上の解散ステージだからこそ許されることなのかもしれませんが、もうちょっと総決算、これまで追ってきたテーマをここまで突き詰めたか、というようなものになってるともっと嬉しかったなという感じです。

そうそう、この「旅と現代文学。」サイトは4周年を迎えました。5年目に入ります。20周年には遠く及びませんが今後ともよろしくです。

文庫化いろいろ

この頃、面白げな文庫が続々とあります。5月は町田康『くっすん大黒』・鈴木清剛『ロックンロールミシン』と2冊の5つ星本、村上龍『希望の国のエクソダス』・阿部和重『ABC戦争』と2冊の4つ星本と、まさに当たり月だったのですが、6月にも5つ星本が2冊出ます。小林恭二『カブキの日』と、田口ランディ『アンテナ』

『カブキの日』は小林恭二の最高傑作であると断言しますので、未読の方、小林恭二って誰?って人はぜひ手にとってみて下さい。

で、問題は『アンテナ』ですね。例の、著作権がらみで文庫化にあたって全面書き直したというもの。どんなんになってるんでしょうか? 興味をそそります。ストーリー進行までかなり変わってるなら、やはり文庫も読みたいところ。

誰か単行本と文庫本、読み比べる人がいたら、報告よろしく。10日発売です(小林恭二は26日)。

あと『ABC戦争』ですが、これ書店でふとみるとさりげなく「plus 2 stories」なんて書いてある。未発表短編を収録してるんだろうか?と開いてみると、『公爵夫人邸の午後のパーティー』が入ってる。つまり単行本2冊分が合わさってて。『ABC戦争』は読んだけど『公爵夫人邸~』は未読という人が見過ごさないように書いておきます。

ブックストアの更新は2・3日待ってください。すみません。

ラブレターふろむJASRAC。

実は今週は1冊も読み終えた本がないんです。二段組で700ページという花村萬月『風転』にてこずってまして。週末に読み終えようと思ってたんですが、著作権関連のサイトを見て回っているうちに終わってしまいました。なにゆえにか? 私、「ツジジンセイを読む。」というサイトの運営もしてるんですよね。半年近く放置してありまして、そろそろ閉鎖しようかななんて思いはじめたりもしてたんですが。先日、そちらのサイト宛てにJASRAC(日本音楽著作権協会)からメールを戴いてしまったのですわ

「ツジジンセイを読む。」からこちらへもリンクが貼ってあるので、ここの文章JASRACの方が読まないとも限らず、どこまで言っていいのか思いあぐねますけども、要するに「金払え」と言われたわけです。

歌詞の引用を問題にされてまして。「うちの著作物を使用してるので、これまで分とこれからの分の使用料を支払え」と。「あるいは即刻削除してこれまでの使用料を清算せよ」と。はは、こりゃまいったねって「引用であるから使用料を支払う必要はない。引用とみなさないとするならその根拠を述べよ」という旨のメールを返信しつつ、JASRACの回答を待っているところです。はてさて。

つい先月の当欄で、田口ランディに関連して「引用は無許可で行っても構わない」と書いたばかりだったりするんですが、引用する権利は法的に認められています(著作権法第32条)。だから、よく「無断引用禁止」なんて注意書きを目にしたりしますけど、引用を禁じるという行為は著作権法に違反している恐れがあります。無断でやっちゃだめなのは「転載」です。法律上、引用と転載はまったく別のものです。長くなるので説明省きますが。JASRACだって、引用を禁じてるわけではないんですよ。問題は僕のケースが引用と判定されるのかどうか、ですね。JASRACが引用とみなすケースはほぼ100%ないらしいですけども。

そんなこんなで、著作権関連のサイトを見つつ、理論武装しておこうとしてます。「宣伝になるんだからいいじゃん」とかナメた態度で掲載してたものではなく、合法との理解なので。こちらがあくまでこれは引用であると主張し、JASRACが引用ではないと主張して、折り合いがつかなければその判断は司法になっちゃうのですが、裁判にしてまで存続させたいサイトかと言えばそうでもない。まぁとりあえずこちらに非はない(と考えている)ので、JASRACと何度かやりとりをすることになるでしょう。

小説のなかの一部を引用することだってあるじゃないですか。まったく同じ根拠で歌詞の引用も可能ですよ。歌詞があたかも著作物中の特例みたいに「歌詞の引用はだめ」なんて書いてあるサイトもあったりするので明言しておきます。小説も論文も歌詞も新聞記事も漫画のコマも、転載は不可、引用なら可、です(漫画のコマってのは小林よしのりの判例を念頭においてます)。

インターネットで誰もが自由に発言できるようになって、「引用」と「転載」をきちんと理解しておくことが著作権を守るためには大切なことだと思うのですが、JASRACのサイトでは「引用」の説明が実に見つけにくいところにあります。これでは「歌詞の引用にも許諾が必要」なのだと誤解を広めるだけです。

ああ、この問題、このスペースじゃ全然言い足りない。新しいサイト作ろうかな。

いろいろやろうとはしてるんだけど。

川上弘美、評判どおりの素晴らしさでした。センセイの鞄。恋がしたくなりましてね、まったく困ってしまいます。あわあわしてて、ゆらゆらしてて、それでもちゃんと前に進んでて。ああこういう世界も、確かにあったのだよなぁと、薄汚れてしまった身の上振り返りつつ思います。五つ星さしあげます。

そんなわけで恋に恋するお年頃のわたくし芝田、がお送りしております。今後ともよろしく。

さて。100字レビューのコーナーにテコ入れって言って、ジャンルと収録作品を別記するように修正してきたわけですが、これはもっと100字を自由に使いたいと思ったからなんですね。自分で100字って縛っておいてなんなんですけども。書店で新刊書籍を見かけたときに「エッセイ? 小説?」って僕はまず知りたく思うんです。「長編小説だったら即買い、エッセイなら吟味」とかあるので。だから「長編小説」「エッセイ」などのジャンルは絶対に明記すべきだと考えてきたんですが、それ説明しようとすると「○○で××な短編集。」とかしか言いようがなくなってきてて、不自由だなぁと思い始めたんです。だからジャンルは100字の外へ出しちゃって、もう少し自由に文章書こうと。

そういう崇高な思いを抱きつつ、さて自由にと書いてるわけですが、そうすると、だんだん意味不明な文章が増えてきたような気もします。ちゃんと伝わってるかしら。

ああ、別に今日はそんなこと言おうとしてたんじゃないんだった。100字レビューコーナーへのテコ入れ第二段を徐々に開始しました。あ~か行の作家に入れおわり、他の作家も順次やっていこうと思ってます。作家プロフィールを増強したのと、「初めて手に取るなら」「個人的ベスト作は」「客観的代表作というなら」という形で頭に3冊ピックアップしたのと、です。

その作家のことを全然知らないという人に、また、その作家に興味があるんだけれどまだ1冊も読んだことがないという人に、とっかかりを示すべく入れました。参考にしていただければ嬉しいです。

「初めて手に取るなら」としては普通に書店に行って文庫が手に入るようなものを中心に。「個人的ベスト作は」では絶版本なんかも考慮せず挙げてます。この2つは自分の読んだものからしか選びようがないので、1冊読んだきりの作家ではそれがそのまま載ってたりはしますが。「客観的代表作というなら」のほうは多分これが代表作であろうと思われるものを挙げました。僕がまだ読んでいないものも含みます。3つ重なってたり、バラバラだったりいろいろですが、どうでしょうか?

連休明けって明けすぎた

ゴールデンウィークの四国旅と、3月に行った岩手の旅をまとめてアップです。レビューの本は旅で読んできたもの。こちらもどっさりありますので、しばらく更新怠ったツケを払うように更新量多いです。疲れてます、もう。なので、月替わりのブックフェアまでは手をつけられませんでした。へたしたらもう5月終わってしまうんで、こちらも焦ってやりますけども。

今回更新の、旅で読んだ本には初めてふれた作家が二人も含まれてます。中島らもと目取真俊ですね。中島らものほうはわりといいかもしんない。と思うのであと何冊か読んでみたいと思いますが、目取真俊ってどうなんですか? この短編集の3編読んだだけでは全然キャラクターがつかめない。特に3編目は清水義範ばりの(っていう理解で間違ってないですよね?)パスティーシュ短編で、こういうのが得意なのかしら? どうなんでしょうか。

女子高生作家・綿矢りさ

綿矢りさっていいよね。可愛いから。

最年少17歳での文藝賞受賞、女子高生作家誕生!という話題の作り方としては、数年前の篠原一(こちらは文學界新人賞)での手法とまったく同じなんだけども、出版社の売り方としてよりあざとくなってますよね。「最年少」「女子高生」しかも「可愛い」という三つ揃えで売ってますから。

もちろん「可愛い」ということはひとつの才能なので、それを活かして活躍してくださいですけども、「この子だったら話題になる!」との判断での受賞決定があからさまなのはちょっとイカンよなぁと思います。選考委員・藤沢周のコメントみても納得してないみたいだし。

そんなわけで可愛いから読みました。登校拒否の女子高生が、小学生から風俗チャットのバイトを持ちかけられるというストーリー。思ったより悪くない。わざとやってるんだろうけど「女子高生的」な語彙と文体はあちこちほころびながら、ちゃんと味になってる。ナメられてる感じもすごくするんだが、意外に楽しんでするすると読める。

チャットから退室することを「落ちる」って言うんだけども、「『帰って』ゆく人にはまた会えそうな気がするが、『落ちて』いく人にはもう二度と会えないような気がするのは何故だろう。」という一文には不覚にもしんみり感じ入りました。

次作にも期待したいんですが、期待してもいいんでしょうか。河出書房新社は、彼女をこんなにしちゃった責任をちゃんと取るように。

教育論二冊

はからずも(というかあえて続け読みしたんだけど)同時期に出た教育論二冊。これも偶然か、同じような題意になってる部分が多々あります。もちろんそれぞれ見方は全然違いますけれど。

例えば「格差」「階層社会」なんて言葉が出てきます。清水は「階層社会になってゆくのではないか」との危惧を表明していて、村上は「階層社会であるという事実を隠してきた」歴史を罪深く見ています。また、親子の関係でいえば、村上が「親が子に手本を示す事ができなくなった」社会を問題にしている一方、清水は「親は子を自分と同じように育てようとするのをやめるべき」と提起してます。

どっちが正しいとか間違ってるとかじゃないんでしょう。それらの主張の上に、いかに自分の意見を積み上げるかですよね。こういう教育論を読むときに注意しないといけないのは、「教師じゃないし、まだ子供ももってない」立場の人間であっても、大人であれば全員が子供を教育しているのだということです。

にわかに頭の弱い学生みたいな文章書いてしまいますけども。

いやね、この近況報告のコーナー、駄文を連ねるのにも飽きたので中身のあること言いたいなぁと思いつつあるんだけれども、やっぱ無理なんだよねぇこれが。

田口ランディと著作権のお話。

田口ランディ読んだついでに、あのことについて触れておきます。いまさら。何も書かず仕舞いでもいいかとも思ってたんですが、「そこんとこどう考えているのか!」と詰め寄られる前に一応。

「著作権法違反」についてです。

まず、事実関係から。今年2月、『モザイク』内で他人の著作物からの無断使用があるとの指摘を受け、これを彼女は認めたという報道(参考>朝日新聞)。4月に入って『アンテナ』『モザイク』での著作権法違反について正式に謝罪。それを受けて幻冬舎は上記二冊を絶版としてます。著作権違反部分を書き直した上で文庫にするとのこと(参考>毎日新聞)。改稿にあたっての本人の文章がWebマガジン幻冬舎の彼女のコーナーに掲載されています。

一連の報道以前にも「盗作疑惑」は延々あったし、『アンテナ』『モザイク』以外の著書にも「盗作箇所」があるとする話はあります。が、ここでは噂の類には触れません。

著作権に無知であったというのが本当か言い逃れかは知らないけど、「私は自分がパソコン通信の会議室の延長線上で文章を書いて来たことを認識した。」(上記Webマガジン幻冬舎内説明文より)という言葉はあまりにひどい。読者に対しても失礼だし、「パソコン通信の会議室」だって著作権法を違反していい場ではありません。

これは筆をとる人間として許されることではないでしょう。きちんと償ってほしいと思います。

でも(といってトーンは変わります)。『アンテナ』に対しても『モザイク』も、僕の評価は変わりません。近年まれに見る傑作だぜと友人に薦めるのに微塵の躊躇もありません。すごい小説じゃないですか。

著作権者に許可をもらっていたかどうかとか、参考文献として巻末に明記してあったかどうかとか、読者には関係なくないですか? ランディは罪を償わねばならないけど、作品に罪はないと思いませんか。こういう考え方は危険ですか?

よそのホームページの日記から構想を得て、転載に近い部分もいっぱいあるのなら、印税の何割かは元著作権者に上げてくださいよとは思う。その人のことも併せてリスペクトするから、ちゃんと教えてくださいよと思う。でもこの作品の面白さは減らないのですよ、僕にとっては。

だから、できれば全面改訂なんてしてほしくないと思うし(元著作権者が認めていない今回のケースでは許されないけど)、新作小説が出るとするなら期待して買います。やっぱりすげえ。と思うか、著作権守るようになったらとたんにつまんなくなっちゃった。になるか分かりませんが、新作は買います。だめ?

掲示板とかで突っ込まれたらしどろもどろになるかもしれないけど、とりあえず僕の立ち位置はこんな感じです。

蛇足で脱線しますが、「無断引用」という表現が上記毎日新聞のニュースにあるんですが、「引用」は「無断で」行ってもいいんです。出展を明示するとか諸条件があるんですが、それらの条件を満たす「引用」は著作権者に断る必要がありません。ランディのケースはその条件を満たしていないので、引用とは呼べないということになります。上のほうでランディの改稿説明文から引用しましたが、ランディにも幻冬舎にも許可をもらわず僕が無断でやったことです。でもこれは罪になりません。オーケー?

あれから10年も

今月25日で尾崎豊が死んでから10年になる。僕にとっては東京で暮らし始めてから10年が経ったということになる。時の流れはなんて早いんだろう。

その日の朝方、電話のベルで起こされたんだ。「亡くなったみたいだよ」と彼女は言った。急かされるまま寝ぼけた眼をこすってテレビをつけてみると、ワイドショーのなかで確かに彼は死んでるみたいだった。「ありがとう」と電話を切ったあと、でも、どうしていいのかわからずに、そのまま茫然とした時間を過ごした。

石川県の高校を卒業して、東京の大学に進学となり、八王子にアパートを借りて一人暮らしを始めたばかりの4月。葬儀が護国寺であると聞いてもそこがどこなのかわかっていなかったし、そもそも有名人の葬儀に自分が参列するという発想がなかったんだ。田舎者だからね。ただ哀悼のつもりでCDをセットして一日中聴いてただけだった。

彼に初めて触れたのは中学三年生の頃で。テレビの「夜のヒットスタジオ」を見たんだ。「釈放後」間もない時期であったこと、最初で(結果的には)最後のテレビ出演であったことなど何も知らず、ただ司会者たちの腫れ物に触るような扱いが妙に気持ち悪かったのを覚えてる。

「昨晩眠れずに 失望と闘った」と彼は歌った。テレビという媒体を考えることなく、彼はちゃんと歌った。すぐにCDレンタル屋へ行って、アルバム『壊れた扉から』を借りてきた。

もちろんあっという間にアルバムは全部揃った。それからはずっと彼を見ていたな。高校時代はもうずっと聴いてて多大な影響を受けてる。

だからタイミングとしてはかなり遅いんだけれど、マスコミがヘンテコな祭り上げ方をしていた時期を見ていない分、入り込み易かったとも言える。詩は純粋に素晴らしいと思ったし、あの魂揺さぶるシャウトもすさまじかった。もう、どの表現もしっくりきた。

今回アップしたインタビュー集『再会』の前書きにはこうあって。「しかし当社はこの貴重なテキストと写真を10年間単行本化しなかった。何かすべてが生々しく、どうしても一冊の本という形にする気が起きなかったのである」。だから信用できるというわけでもないし、毎年この時期には少なからぬ類書が出るので「ああ今年も春がやってきた」と思うに過ぎないんだけれども、10年、冒頭言ったような僕の属人的にも感慨深い10年という区切りでもあるので買ってきた。ファンなら買うよね。

言及されることが少ないんだけれど、彼には小説作品もある。彼が小説や詩を連載していた頃の『月刊カドカワ』はすごく面白かったよ。彼に関するサイトはいっぱいあるけど、彼の音楽には全然触れずに著書の紹介をしてるサイトとなると、ぐっと少なくなるはず。そんな稀有なサイト管理人として、やっぱり小説をおすすめしてみよう。『普通の愛』という短編集、これはファンじゃなくても納得できるクオリティになってると思うのでぜひ読んでみてよ。角川文庫でたぶん手に入るから。

パイロットフィッシュ

『パイロットフィッシュ』いいですよ。掲示板で何人かの方が誉めてたので行ってみたんですが、迷いつつも5つ星です。まっすぐでどこまでいっても破綻しない恋愛小説ですね。ストーリーも文体も、村上春樹の影響が濃いですよね。その影響から脱しようともがいてる若手作家も多いと思うんですが、これはすごく自然に世界広げてるように見えます。僕の体は本質的にこういう文体を求めてたんだなと改めて思いました。いやはやもう。

将棋のノンフィクションで注目された人で、これが初の小説ですよね? 『聖の青春』も小説ですか? この人の小説もっと読みたいです。

装丁も美しいですね。いつも僕はカバーを外して裸にして持ち歩くのですが、これ、トレーシングペーパーなカバーで、外すと熱帯魚が水槽から出ちゃうんですよね。ちょっとびっくりしました。

ますのですの?

「今月のフェア」という企画、だいぶ一人遊びっぽくなってきましたが、今月は「輝ける僕たちの未来フェア」です。なんじゃそりゃ。って人はぜひ見にいって。で、僕が挙げたのとは別の方向性でも構いませんので、思い当たる本があれば投稿いただけると嬉しいです。先月は1投稿だけでしたしね(らりうさん感謝です)。

さて枡野浩一。いいらしいとの評判を聞きつつ、2月に文庫新刊で出てたのをつい買ってしまったのですが、最初はやはりちゃんとした「短歌集」のほうがよかったですね。それも文庫であるようなので今度買ってきましょう。この『君の鳥は歌を歌える』は何らかの元ネタがあって、それを短歌化するという、多少特殊なところがあるんですよね。読んでて、間違えて裏口から入っちゃったような居心地の悪さを感じてしまいました。まずは短歌としての短歌をしっかり読まねばと思いました。はい。