椎名誠『水域』レビュー
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レビュー
長めの感想
椎名誠の小説はSF的超常小説とさわやか私小説に分かれるかと思うのですが、これは前者。つまりSFと呼ぶだけで売れなくなってしまうほうの系譜ですね。俗にSF三部作と呼ばれるもののニ作目です(一作目は『アド・バード』、三作目は『武装島田倉庫』、全部傑作)。
三作ともに未来の「戦後」、終わってしまった後の退廃を背景とした怪しい作品ですが、そのなかでもこれは不思議に明るい。
何らかの理由により(結局それは説明されることはない)水没してしまった地球。高層ビル(シェラトン・ベイホテル!)の突端だけがむなしく突き出している水びたしの世界。人々は船の上で生活をしている、主人公ハルは流れを漂いながらさまざまな出来事に右往左往する、といった「巻き込まれ型冒険譚」です。
この世界設定だけでぐいぐい読ませます。誰もが一度は憧れる(そうか?)サバイバル生活がここにあります。ロビンソン・クルーソーだとかの無人島小説の面白さと同種のものですね。
実際、浮島に漂着するシーンもあるんですが、毒虫の攻撃をかわしながら未知の環境を切り開いて食物を得、生き延びるさま。流れ着いた板やロープで住居をこしらえたり。こんな生活してみたいと思いませんか? 一日だけ。
そしてその世界に輝きを与えているのがセンス・オブ・ワンダー、シーナ・ワールドなんて言われたりするネーミングセンスの妙です。舌出しやサキヌマドクタラシ、くすね虫、何だか分からないけど嫌らしそうじゃないですか。ばかあたまやシルスイの実、ハナヅラの肉、よく分からないけど旨そうじゃないですか。
この世ならざる生物を跋扈させることで強引にも不思議な世界を描き出しています。この効果は三部作の他ニ作では陰鬱な時代を表現するものになるのですが、ここでは道標のように光って見えます。
善人悪人含めてさまざまな出会いがあるんですが、誰もがしたたかにたくましく行きぬいている様子を見るにつけ、本当に水没してもこんなふうに人は生きていくんだろうなぁと思います。
しかもしっかりラブシーンなんかもあったりして。この愛の始まりと終わりがひとつのクライマックスになってます。その絶望を乗り越え、希望がじわりと滲むラストシーンでは不覚にも泣いてしまいました。
椎名誠はエッセイしか読まない、という人もぜひ読んでみてください。なお、この『水域』は短編を長編に膨らませたもので、短編のほうは短編集『ねじのかいてん』に収録されてます。