鴻上尚史『ドン・キホーテのペディキュア』レビュー

書誌情報

鴻上尚史『ドン・キホーテのペディキュア』表紙
ドン・キホーテのペディキュアどんきほーてのぺでぃきゅあ
Don Quix-ote's pierced earring 2
1997/01
NDC:914 | 文学>日本文学>評論 エッセイ 随筆
目次:『表現でメシを食う』ということ / 『表現でメシを食う』ために必要なこと / 『ソフィーの世界』と、正しい入門書について (ほか)

レビュー

連載エッセイ第二弾。表現するということの意味、そしてマスコミの愚が輝かしくも挙げられている。欧米文化にあこがれて自国の文化を恥ずかしいと思ってきた日本から亡命するために、いま僕達ができることはなにか。
読了:1997/01/01

長めの感想

日本人が英語で自分の名前を呼ぶとき、自分から率先して名字と名前を逆に述べちゃうのは何故なんでしょうか。「マイ・ネーム・イズ・イチロー・ヤマダ」ですね。欧米が名前・名字の順だからそれに合わせるのか。でもキム・ジョンイルをジョンイル・キムと表記してる(もしくは発音してる)場面ってないですよね? おかしくないですか?

いや、『ドン・キホーテのペディキュア』の紹介なんですけどね。このなかにそういう論考があるんですよ。もちろんいろんな人が昔から言ってることだと思うのですが、SPA!連載エッセイという軽い(?)場で四週に渡って懇切丁寧にこのカラクリを読み解いたものとして、特筆すべきことだと思うわけです。

「ドン・キホーテ」シリーズとして現在まで五冊出てますが、そのニ作目にあたります。文庫化もされたし、手に取りやすくなったと思われるので、紹介してみます。この本が多くの人の目に触れるように。これ読んで一刻も早く文化的恥をひとつ、捨てましょう。

要するに、いつまで自分たちの文化が欧米文化よりカッコ悪いと思ってるの?ってことです。卑屈なまでに欧米人の真似をしちゃう奴隷体質がカッコイイことだとでも、まだ、思ってるの?ってことですよ。海外では「ナツメ・ソウセキ」として紹介されてる作家を、わざわざ日本人が「ソウセキ・ナツメ」と言いなおす意味はどこにあるんでしょうか。ということを、実に分かり易く言ってます。論文なんかで言われると「ふーん」で終わっちゃうような問題でも、こうやってエンタテイメント的な場で具体案とともに提示されると自然に響きます。 このエッセイの強みですね。

「本当は、この不合理な転倒の問題が、いっきに解決する方法を僕は知っています」と著者は書きます。なるほどなぁと思い、さらに恥ずかしくなる方法であるんですが、それは本を読んでみてくださいね。

もちろんそれ以外の単発文章も切れ味鋭いです。このままじゃ自分の言いたいこと言ってるだけみたいなので他のエッセイに触れますけれど。まず「表現でメシを食う」ということに関しての論考は、もちろん本職でもありますから、いっぱい詰まってます。番組でCDを紹介しながらも発売元を隠すような(それじゃあ買えないのだ)「広告」と「情報」の違いを理解しないNHKの体質に対しての怒りもあります。裏ビデオに騙された話もあります。どれも等身大の表現であるだけ身につまされます。とにかくお買い得。

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