鎌倉・京都、二都物語。つなぐは大垣夜行

行程

[神奈川・京都/鎌倉、京都、近江舞子] 鎌倉で遊んで大垣夜行に乗って、ちょっとだけ京都に寄りながら石川県の実家へ向かう帰省旅。大垣夜行を活用してますね。
「鎌倉・京都、二都物語。つなぐは大垣夜行」地図
「鎌倉・京都、二都物語。つなぐは大垣夜行」地図
1994-12-27
東京―鎌倉―横浜―
1994-12-28
―京都―洛北―京都―近江舞子―七尾

旅行記

1994-12-27(1日目/火曜日)
冬の鎌倉、大仏から寺社巡り

由比が浜
由比が浜

旅というか正月帰省です。例によって青春18切符を握り締めての道中となっています。前日徹夜して出発しました。時間を有効に使いたい→始発に乗ろう→寝ちゃうと起きられない→徹夜する、という思考順によって、徹夜しました。寒さで縮こまりながら始発に乗り込んで、鎌倉を目指します。ほとんど眠りながらの移動となります。横須賀線では意味もなく終点久里浜まで行って折り返したりしています。列車に乗ってるのがただ楽しいばかりなので、子供と変わらないんですけど、それもまぁいいでしょう。

江ノ電に乗り換えて由比ケ浜・長谷へ。大仏が見たかったのですね。高徳院(鎌倉大仏)へ。こんな年末の朝っぱらからやってくる観光客なんてなかなかいなくて、理想的な静寂の中でゆっくりと大仏と対峙することができました。でかけりゃいいってもんじゃないだろう、という第一印象なんですが、風雨にさらされた年月を肌に張り付かせていて、それなりの容貌です。胎内へ入れるのですが、「それはちょっと違うんじゃないか」と思い入りませんでした。

その後は光則寺に寄ってから長谷寺へ。年末ということで大掃除の真っ最中でした。素晴らしいもんだねと観音像を見上げる僕の脇を、「ドラムどこ置いた?」と職人が走り回ってました。やや興を削がれつつ。

浜へと歩いてみます。夏には賑わうだろう由比が浜。ウィンドサーフィンの男たちが遠くを滑っています。打ち上げられた魚の死骸に烏が群れていて、爺さんが老犬と散歩しています。それは皮肉じゃなくていい風景だと思いました。

どこかの庭
どこかの庭

江ノ電を鎌倉へ戻り、段葛を抜け鶴岡八幡宮へ。静か。当時のメモには「神の不在、空っぽの社」と書いてあるんですが、そういうこと言いたい青い年頃ということで、今はそこまで言うつもりはないです。金沢街道方面へ歩いて杉本寺へ。鎌倉最古の寺ということで、苔むした石段が味わい深い。しかしその石段には入れないようになっていて、横にある別のルートで登るようになっているんですが、石段というものを美術品的に保管すべきものなのかどうかは、わからないなと思いました。浄明寺、報国寺(竹の庭が涼しげ、というか冬場は寒々しい)と見て、鎌倉宮。護良親王が幽閉されていたという土牢の前で手を合わせ、昨晩徹夜しているとは思えないほどもりもり歩いて瑞泉寺。裏の岩庭が壮観。洞のなかで座禅でもしたんでしょうか、あるいは能でも舞ったんでしょうかね。永福寺跡は発掘中。護良親王の墓へと長い階段を登り、さすがに膝が壊れてきたので小さなラーメン屋に入って昼食にします。やっぱり年末の寺社掃除がらみか、作業着の男たちが黙々と食している。載せた写真はこの辺のどこかの庭のはずなのですが、どこか不明です。

頼朝茶屋
頼朝茶屋

荏柄天神社にある「いろんな漫画家が描いた河童」を見てから、「頼朝の墓」へ。墓への石段の前に老人が座っていて、僕の前を歩いていた女性グループに話し掛けていました。「ここは頼朝の墓ではない」と聞こえます。え? 「本当の墓はここにあるんだ、私は鎌倉のことならなんでも知っている」と地図を片手に語っています。そのグループは「分かりましたぁ」と言ってなかば逃げるように去っていきました。僕は(なぜか)呼び止められなかったのでそのまま石段を登ります。墓自体はとても小さい。偽物だからでしょうか? 横の茶屋は廃墟となっています。椅子はシートカバーが破れ放題で、窓ガラスは埃で曇っています。屋根の上でリスが飛び跳ねています。

それから来迎寺、宝戒寺と寄って駅へと戻りました。

電車に乗り北鎌倉へと至ったときにはすでに疲れ果ててまして、どの寺を見ても同じような気がしてきました。ともかく円覚寺へと足を進めます。鬱蒼と生い茂る木々。ふらふら歩いて明月院へ。あじさいの季節にはいいんでしょうね。それから浄智寺、東慶寺へも。ふーむ、これは旅になってますかね?

横浜へ戻って夕食をとり、そごうの休憩所でしばらく半睡してから品川へ向かいます。意味もなく横須賀線を経由して。大垣夜行に乗るために2時間前に着いたんですが、すでにホームにはドラクエ発売日かと見間違うような座り込み集団の列が。これだから嫌なんだよ鉄道オタクは、などと毒づきながら僕も携帯カイロを振り振り最後尾について座ります。

乗車率200%の混雑ぶりにも関わらず、幸運にも座席をゲット。さぁ眠りましょう。

1994-12-28(2日目/水曜日)
京都洛北、庭園を訪ねて散策

加茂川
加茂川

大垣から乗り換え、京都到着。コインロッカーにバッグを入れて身も軽くバスに乗り込みます。

洛北方面。まず円通寺へ向かいます。団体客を断っているため、静かな寺。苔むした枯山水、借景の庭園が美しい。庭に面した部屋にはホットカーペットが敷いてあって、「ゆっくり座っていってくださいね」という心配りが温かい。それ以来京都で一番好きなお寺はここになりました。忘我の境地で庭に見入って座しているおじさんから少し離れて座り、しばらく庭と感応していきます。

貴船神社、大田神社を経由して上賀茂のほうへ歩いていきます。このあたりは昔神官の屋敷が並んでいたというので、水の流れだとか石橋とか風情のある通りです。上賀茂神社は世界文化遺産に登録されたばかりだったのかな、結構人がいました。広い境内にくつろぐファミリー。拝殿前には円錐状に盛られた砂があって、これが境内を雅な印象にしています。

写真はこのそばの賀茂川だと思われます。記憶あいまいですが。川辺で餌を放っている人の周りに集まる鳩。

いわくありげな名前だがこぢんまりとした大将軍神社。空海の自作だという大師像を祭る神光院を過ぎ正伝寺まで散策。ここも円通寺と同じように比叡山を借景とした枯山水です。白砂が清々しい。

近江舞子
近江舞子

京都駅へ戻り、アバンティの書店で何冊か本を買って、列車に乗ります。湖西線を北上、途中の近江舞子駅で下車してみました。

琵琶湖のほとりにたたずむブランコが寂しげな冬の滋賀、しばらく湖畔を歩きます。

あとはゆっくりと実家の石川へと。(了)