九州一周、二週間の野宿旅なんて青春

行程

[福井・滋賀・兵庫・広島・福岡・佐賀・長崎・熊本・大分・宮崎・鹿児島/長崎、唐津、由布院] 二週間かけて九州をひとまわりする野宿旅。青春18切符を2セット使っています。なんというか「大学生です」という感じの旅ですね。
「九州一周、二週間の野宿旅なんて青春」地図
「九州一周、二週間の野宿旅なんて青春」地図
1995-08-13
大阪―広島―下関
1995-08-14
下関―二日市温泉―太宰府―博多―二日市温泉―鳥栖―諫早―長崎
1995-08-15
長崎
1995-08-16
長崎―佐世保―武雄温泉―吉野ヶ里―佐賀―唐津
1995-08-17
唐津
1995-08-18
唐津―二日市温泉―柳川―大牟田―久留米―二日市温泉―鳥栖
1995-08-19
鳥栖―日田―豊後森―由布院―大分
1995-08-20
大分―竹田―阿蘇―南阿蘇―熊本―三角―熊本
1995-08-21
熊本―八代
1995-08-22
八代―薩摩川内―指宿―枕崎―鹿児島
1995-08-23
鹿児島―宮崎
1995-08-24
宮崎―油津―志布志
1995-08-25
志布志―飫肥―青島―新富―延岡―大分
1995-08-26
大分―別府―宇佐―小倉―三原
1995-08-27
三原―姫路―長浜―福井―七尾

旅行記

1995-08-13(1日目/日曜日)
まだ九州には入らない

広島市現代美術館
広島市現代美術館

九州一周の旅模様。青春18切符を使って鈍行を乗り継ぎ、夜は野宿で過ごす、ということ以外の予定はまるで決めていない旅です。「夢の九州一周」とか言ってるけどもちろん冗談だから気にしないでいいです。スタートが大阪になっているのは、部活の試合が大阪であり、そこから直接旅路についたため。部活。大学時代の旅話です。

まず広島で下車。平和公園へ行こうかなと思って降りたのですが、広島市現代美術館で「ヒロシマ以後―現代美術からのメッセージ」なる企画展をやってるよというポスターを駅で見て、気が変わったんですね。これはぜひ見てみたいと比治山エリアの美術館向かいました。

ウォーホルや岡本太郎、ダリなど幅広く「核」に関する作品を集めてあって、夏の広島らしい展示です。ただ、あまりに濃ゆいものだったので体力を奪われてしまいました。作者、タイトルも忘れてしまったのだが、ミレーの『晩鐘』をパスティーシュし、キノコ雲を背景としてピストルを持った二人が静かにうつむき眼を閉じている、という絵があり、これが一番のお気に入り。

夜は下関へ。野宿する場所を探して歩く。駅前では、特攻服の方々が独特のしゃがみ方でしゃがんでいる。公園に入ってみるとスケボーの方々がなんか叫びながらアクションしてる。んー、だめですね。道端にあったベンチ(なぜかカバ型)で2時間ほど半眠。寝不足は朝の空いている列車で取り返そう。

1995-08-14(2日目/月曜日)
太宰府歩き

大宰府政庁跡
大宰府政庁跡

下関で始発列車に乗って、福岡県入り、朝からやってると調べておいた二日市温泉の温泉銭湯まで行って朝風呂に入る。コインランドリーを発見、洗濯する。

その後、ルートとしてはちょっと戻って太宰府へ。太宰府天満宮は大変な混みよう、人込みが苦手な僕としては早々に退散するしかない。隣の光明禅寺はうって変わって静か。こんなに見事な石庭があるのに、天満宮を参った客はなぜ光明寺へ寄らないんでしょう。

ぽくぽく歩いて観世音寺へ。日本最古の梵鐘がある。それを観光客のおやじがガンガンに打ち鳴らしていて、大丈夫なのかと心配になりました。国宝、国の宝なんですけど。

収蔵庫受付で「学生1枚」と言ったのに一般の拝観券をいただきました。サングラスをかけたままだったからムッとされたのでしょうか。「そんな態度じゃ御尊像の有り難さも分かるまいて」とでも言いたげな表情で。サングラスで粋がる程度の子供なんだから許してください。全国でも例がない、巨大な仏像が何体も並んでいるもので、それらが互いに打ち消し合うことなく強力な自己主張をしていました。

それから大宰府政庁跡へ。礎石だけが残っている。見渡す限りここら一帯がすべて敷地内であったという巨大さが想像できます。芝生だったので横になってみたかったのですが観光客が多いのでやめておきました。

太宰府駅前でとんこつラーメンを食べたあと、博多の繁華街、天神へ出てみました。都会ですね、すごい人ごみ。帰省して来た人達もいるのかな。歩いてみる気にもなれず、結局、博多はどこも見ずに逃げ出すようにして再び二日市温泉へ行って、別の温泉施設でぐったり。

今日は長崎まで行っちゃおう、と列車に乗る。列車内では、母親が娘(小学生か)に「Once more」と肩を揉ませている風景がありました。「英語教育は小学校から行うべき」との強い信念をお持ちの方なのでしょうか。「まだ?」と娘。「そういう時にはね、Finished?って聞くのよ」「フィニッシュト?」「Not yet」。なんだかほのぼのとしていて頬が緩んでしまう。それから娘は足を使って肩を叩き「ホワッツディス?」などとやっている。いい風景でした。

途中下車した鳥栖は田舎町で、諫早はもう少し栄えている。

長崎に到着。雨が降り始めてる。駅前のベンチが歩道橋の下にあって雨を防げたのでそこで横になって寝ることにします。

1995-08-15(3日目/火曜日)
長崎は今日も雨だった

大浦天主堂
大浦天主堂

この日は終日長崎です。昨晩の雨もすっかり上がり上天気。

大浦・南山手エリア、オランダ坂を登り孔子廟へ。孔子像、徳の高い人なのにどうしてこんなに怖いのか。続いて大浦天主堂へ。歴史的価値云々はよく知らないままにしても素晴らしく美しい建築物ですね。

グラバー園から望む長崎港
グラバー園から望む長崎港

そしてグラバー園へ。古い建物を順に見てまわります。高台から眺める長崎の港が美しく光ってみえます。

……ちょっと待って。なんか観光してる。野宿の旅ってもっとなんかキビシイものだと想像してたのに、普通の観光客みたいに観光してる。しかもそのあと思案橋エリア、崇福寺から眼鏡橋へと見てゆくのですよ。コンビニで買ったパンを公園で食べながら「こんなことでいいのか、もっとストイックな旅のほうがいいのではないか」と自問して。おばさんがまいたパン屑に群がる鳩を眺めながら「問題ない問題ない」と呟いてみたりして。

崇福寺
崇福寺

午後は浦上エリア、まず諏訪神社。地味だが河童狛犬だとか妙なものが多くて楽しめます。そのあとは、ここは外せない、平和公園。有名な祈念像を背に写真を撮る人々。しかし像をバックにピースサイン! 戦争を知らない子供たちは、平和にすくすく育ちます。

夕食はチャンポンを食べる。

夜は精霊流しのイベント日です。知ってて、ある程度狙って長崎へ来たのですけど。町のあちこちで爆竹が炸裂するなかを船が進んで行きます。歩道橋の上に見物人が並び、道路を進む船を見下ろしていて。もっと静かなものだと思ってたんですよね。さだまさしが唄っているくらいだから(有線で流れっぱなしでした)、わびしさを味わうものだと思ってたんです。ところが大変な騒ぎで、10時くらいまで爆竹が鳴り止まない騒音の祭り。公園では余った爆竹で二次会に興ずる人々。街中が火薬臭い。彼らが帰るを見送ってから、公園で眠る。雨が降り出しました。そう、長崎は今日も雨だった、のです。

1995-08-16(4日目/水曜日)
吉野ヶ里で往時の様子を想像

朝、公園で顔を洗っているとホームレスのおっちゃんに「おはよう」と声を掛けられました。僕も野宿者らしくなってきたんでしょうか。日ごと、ぐっすり眠れるようになってきました。あるいは単に疲れがたまっているだけかもしれないけど。

長崎を出て佐世保へ、どこも見ずに公園で眠ってしまいました。しかも列車に遅れそうになり走ってしまい、さらに疲れたり。武雄温泉では老人ばかりの温泉に浸かり、吉野ヶ里から吉野ヶ里歴史公園へ。

遺跡はテーマパーク的に整備されています。家族連れが(お化け屋敷に入るように)竪穴式住居へ入ってゆく。ただプレハブの休憩所がいい味を出していました。「お荷物お預かりしましょうか? お茶いかがですか?」と親切この上ない。駅から遠いことが難点でした。バスもないし。

次は佐賀。佐賀城と佐嘉神社、松原神社だけ観光。いいかげん足が痛くてベンチで靴を脱ぐと靴ズレになっています。参ったなぁと思っていると、「祈らせてください」の兄ちゃんがやってきました。結構ですと言っているにもかかわらず祈り始めてしまう。祈りが始まってる! うろたえつつ、やめてくださいやめてくださいと言って祈る青年から逃げ出します。祈られたことなど一度もなかったのに、失敗しました。「あつかー、あつかねー」などと言いながら歩く女子高生の方言を聞いて気分転換。

唐津へと出る。公園で寝るのはもうお手のものです。

1995-08-17(5日目/木曜日)
一日唐津をうろうろ

唐津の夕暮れ
唐津の夕暮れ

早朝の唐津の海。静かです。砂浜を歩いてゆくと唐津城が見えてきます。海に映えて美しい風景なのですが、どうにもこうにも眠い。昼頃まで再度眠る。起きてから天守閣へ。両側の砂浜が翼に見えることから舞鶴城とも呼ばれたそうですが、どうなのですか。次に曳山展示場。やはりこれはショーケース越しに眺めるだけじゃなくて、実際の唐津くんちを見てみたいですね。「盆や正月にも帰らない若者をも呼び戻す」そうだがそれも分かる気がします。楽しそうな祭。でも曳山ではわが故郷七尾のでか山が日本最大なのです!とこっそり自慢。

街を歩き回る。ついに西唐津まで歩いてしまいました。銭湯を発見するも休み。しかし、なぜ銭湯というものはこうもわかりづらい場所にあるんでしょうか。港を見て唐津へ戻る。昨日と同じ公園で眠る。公園の前に女性占い師が座っていて酔っ払い相手に「占って行きませんか」と呼びかけているのを聞きながら、眠りに落ちます。

1995-08-18(6日目/金曜日)
柳川と言えばウナギ

柳川
柳川

すっかり気軽な銭湯代わりに使っている二日市温泉へ。おっさんに「焼けてるねー」と言われました。そう言われれば腕と顔だけが他の部位より明らかに黒い。旅行中だと言うと「博多の屋台には行った?」と彼。「いや、屋台は行ってないですね」「だめだよ、屋台で酒のまなきゃ、博多のよさはわからんもん」。そうかもしれません。でもあんまりお金がないんです。コインランドリーで洗濯し、柳川へ。

ウナギで有名な柳川はなんだか涼やかで好印象。柳に水路。川下りこそしなかったものの、のんびりと歩きました。道に迷いながら。もちろんウナギも食べましたよ。

久留米へ向かおうと大牟田へ出ると、脱線事故とかで鹿児島本線上り下りとも大幅に遅れていました。なんとか久留米へ着いて、街を見て回って、二日市温泉へ行こうと(またかい)すると列車のダイヤの乱れは最高潮に達していて。ホームで30分くらい待って、列車で1時間半もかかりました。ほとんどの銭湯は閉まっていて、民宿の湯になんとか飛びこめました。そうそう、久留米はチェッカーズの出身地ですが、チェッカーズの曲を大音量で流している家がありました。家族か?

夜は鳥栖に行って、バス停ベンチで眠ります。

1995-08-19(7日目/土曜日)
湯と美術の町、由布院

由布院
由布院

久大本線に乗って大分県に入り、天領水の里、日田へ。大原八幡宮、広瀬史料館、月隈公園と見て歩く。古い町並みです。玖珠町は豊後森駅、列車待ちで下車。ゲーセンで過ごす。で、由布院へ。

由布院。温泉名としては湯布院ということが多く、駅名・町名としては由布院だ。どっちでもいいんですけど。湯布院は若い女の子の比率が高いなぁと思いました。温泉と美術の町だから、でしょうか。自然に恵まれたいいところです。

美術館を2つ見ました。由布院美術館と、空想の森美術館、どちらも楽しめました。由布院美術館では来場者に葉書大の紙に自由に絵を描かせるスペースがあって、いいものは壁に張り出されています。当然僕も描くよ。色鉛筆で、湯布院の山並みに映える裸婦像を描く。

雨が降り出したのでお寺の山門で少々雨宿りしたあと、共同湯「下ん湯」へ。夕立に濡れた服を着替えるついでに。ここは混浴の半露天風呂?で、広くはないが味のあるものでした。

大分へ出て公園で寝る。「おい、あんた! そこのあんただよ!」と遠くから叫んでいる人がいる。僕のことですか? 寝たふりをしておきましょう。

1995-08-20(8日目/日曜日)
豊肥本線で阿蘇から熊本へ

竹田にいたサワガニ
竹田にいたサワガニ

大分から豊肥本線に乗って阿蘇・熊本方面へ。昨日は鳥栖から大分へ九州を横断しましたが、すぐ南の路線で大分から熊本へまた逆方向に横断することになります。

途中、竹田で下車。城下町として、また「荒城の月」の舞台として知られるところです。が、「荒城の月」の舞台たる岡城へは遠かったので行きませんでした。竹田最古の建築物、愛染堂だけ見て帰ります。

阿蘇では、火口のほうへ行こうと思い、バス乗り場どこかなと探してるうちに、ちょうど出発のバスを1本見送ってしまいました。次は1時間後です。じゃあ昼飯でも食べながら待とうとそばの食堂へ入ります。「ラーメン下さい」と言うと、茶の間でテレビを見ていた婆さんが「ラーメンは今、切れてるんです」なんて。この段階でこれはまずいと引き返すべきだったのですけど、「うどん、ちゃんぽんならあります」というのでちゃんぽんを注文。これがなかなか出てこない。やっと出てきたら、予想通りというべきか、なかなかになかなかなもので、しかも食べているうちに次のバス時間を過ぎてしまいました。どうしようかと駅で座っていると蝿がわんわん飛びかっていて肩にとまったりして、だんだんしょんぼりした気持ちに、もういいやと火口行きはやめて、下田の温泉を目指すことにしました。

南阿蘇鉄道では車掌がガイドしてくれます。噂には聞いていたのですが、「右手に見えますのが……」って観光案内してくれる。鉄橋では速度を落とし「この橋は高さが60メートルありまして……」とか。おもしろいです。

で、着きました。南阿蘇になる阿蘇下田城ふれあい温泉駅。駅構内に温泉があります。ここはよかったですよ。誰もいない貸切状態でのんびりと湯に浸かれました。阿蘇でしょんぼりした気分になってたのが、温泉の効能で消えて行きます。風呂上がりは隣の休憩所で高校野球を見ながら休む。興味もないくせに試合終了まで見届けてしまいました。

熊本市街へ出て夕食、駅前散策。駅ビルは最近できたのでしょうか、ピカピカしています。さわやかでいい感じです。次は天草へ行こうと思っていたのですが、財布を覗いてやめることにします。でも、鉄道好きとしては三角まで行ってみよう。三角駅前に巻貝型のフェリー券売り場があって、展望台にもなっているので登ってみる。いいなあ、港町って感じがします。頂上には当然のようにカップルが座っていて。海が、星が、見えるスポットだけに当然、当然。再び熊本へ戻り、眠る場所を探して歩いているうちに道に迷ってしまい、1時間くらい「ここはどこだろう?」とさまよい歩いて、ようやく駅前に戻れました。バス停ベンチで眠る。

1995-08-21(9日目/月曜日)
熊本は水前寺公園で昼寝とか

熊本。天気予報では降水確率0パーセントのはずだったのに昼前、雨が降り出して、水前寺公園で昼寝していたのを起こされました。軒下で雨をやり過ごしたのち、疲れた体を引きずりながら公園をまわります。水前寺公園は桃山式の回遊式庭園で、国の名勝にも指定されています。

熊本城へ行ってみました。バスガイドの団体が研修で来ていて、みんなで声を合わせて「この像は……」とやっている。城はなかなかかっこいい。石垣のラインが絶妙だ、と思いました。城内へ入ると冷房完備の近代的な城なのですが、あまり近代化はしないほうがいいですよね。そういう意味では櫓はリアルな建造物でした。

あとはデパートのソファーに座って本を読んでいました。足が痛くて歩けない状態だったので。

夜は八代へ出てみる。オウム麻原の故郷です。コンビニとガソリンスタンドがつながった店で、買ったパンを食べながら座っていました。夜中、人はだれもいない店内。店の従業員が外からガラス越しにこちらの様子をちらちらうかがっているのが分かります。いちゃだめなのかな? 結局朝4時過ぎまで座っていて(届いた朝刊を読んだりしながら)、クーラーで寒くなってきたので外に出ます。駅前のベンチで少し横になって仮眠。

1995-08-22(10日目/火曜日)
乱れ始める夜の生活

指宿の海べり
指宿の海べり

朝、八代駅のトイレで顔を洗っていたところ、警官に職務質問されました。学生証を提示するも、「どこで寝たの」と疑わしそうな目。「前のベンチで寝ました。宿泊代を浮かそうと」と別にやましいところはないので正直に答えるのみです。あるいは昨夜のコンビニの方が「怪しいやつがいる」と通報したのかもしれません。逃亡するオウム信者と思われたのかもしれません、聖地・八代ですし。でも、最後には「わしも若い頃に、北海道に無銭旅行したことがあってな、……」と笑顔になってくれました。よかった。

列車で南下、薩摩川内で下車したのですが、ただコンビニで週刊少年ジャンプを立ち読みしただけです。

そして鹿児島から指宿枕崎線に乗り換え、指宿へ。池田湖へイッシーを見に行こうと思っていたのですが、1日3本しかないバスはまったく使えないということに気づかされます。砂蒸し風呂でも行く? それもいやだしなぁ、と海沿いをてくてく歩いてコインランドリー、そして温泉銭湯。温泉銭湯は、砂蒸しじゃなくて普通のお湯のところです。

指宿のすぐ西、山川で列車待ち下車。海に赤いクラゲがいっぱい浮いています。名前わかりませんが、大小様々で刺されると一週間くらい腫れそうな感じのやつです。山川からの下り列車は高校生占拠率が9割を超える騒がしい列車でした。君たちですか、駅名ボードにいたずらをしたのは。大山駅の<やまかわ/にしおおやま>ってのを<やほがね/にじのおづま>に上手く削ったり書き足したり……(伝わるかなぁ)。アホかお前らは。「虹のオヅマ」って何ですか、宇宙で行う核実験をUFOが妨害する作戦名ですか。JR最南端の駅である「にじのおづま」は畑の中の無人駅でした。「薩摩富士」開聞岳をバックに優美なところ。終点の枕崎も無人駅で、食堂に入って飯を食ったらもうすることもない。

鹿児島へ帰り、公園で眠る。実は翌朝、大変な事件に巻き込まれます。

1995-08-23(11日目/水曜日)
事件は続けて起こるもの

桜島
桜島

大変な朝になってしまいました。鹿児島の駅にほど近い公園のベンチで朝5時ごろ、妙な感覚に目を覚ますと、推定年齢50代後半の男性が僕の身体を触りまくっています。股間を中心に。目覚めたと気づくと開き直ったように、「ここで寝たの? そう、疲れてるでしょ? マッサージしてあげる」と言って、寝起きでぼんやりしている僕の足を揉み始めました。いい気持ちだなぁとまどろんでいると、やはりオヤジの手は股間のほうへと流れて行きます。ちょっとちょっと。「恥ずかしがらなくてもいいって」。完全に本物です。とりあえずそこへの集中攻撃は拒否すると、また足なり肩なりを揉んでくれる。マッサージ自体は上手で、続けてもらいます。はい、身体起こして。後ろから抱えるように胸を揉みしだき「筋肉質なのね」ってそれはすでにマッサージの域を越えているのですが、まぁ胸くらいは貸してやってもいいです。並んで座ったオヤジはウチに来ないかと誘ってきます。シャワーでも浴びていきなさいと。イヤです。丁重にお断りして、楽しく話して、別れました。世の中、いろんな人がいるものですね。って無防備すぎですか。

西郷隆盛像を見つつ城山へ。桜島がきれいに見えます。青空に登る噴煙と入道雲。横の公園でシャツを脱いで寝ていたら思いきり焼けました。また鼻がヒリヒリして痛いです。皮は一度剥けたのですがまた剥けそうです。

天文館でラーメンを食べたあと、市立美術館へ。女性彫刻家マリソールの作品展。おもしろい作風の人ではある。それから、学芸員の女性がみな美しい。これは素晴らしいことです。美術館としては近年まれに見るクオリティーかと思いました。続いて県立博物館、ここは小学生の遊び場です。考古資料館は休みでした。そのそば、照国神社は明治維新で活躍した人物を祀っている神社です。

風呂に入ったあと、全然お金が足りてないことに気づきます。あまりゆっくりしているとお金がなくなってしまいそうです。夜になり宮崎まで行く。ベンチで寝ようとしているとまた事件が。

酔っ払いがぷらぷら歩いてきて「こんなとこに寝たらあかん」と話しかけられました。「わしの病院の隣の部屋があいとるから、そこで寝ていきんしゃい」。なんですか? 医者ですか? と思ったら患者でした。ホモではなさそう、と踏んで、ついてゆくことにします。こっそり裏口から入り、彼の部屋で焼酎をご馳走になりました。それから隣の部屋のベッドが実際に空いてて、いいのかな、と思いながらそのベッドで眠ってしまいました。ごめんなさい。

1995-08-24(12日目/木曜日)
南国の星はきれいだった

宮崎神宮
宮崎神宮

朝、看護師と出会うも「彼の見舞い人」ということで申し合わせてあるので無罪放免。いやあ、やっぱりベッドはいいですね。疲れもとれました。カップラーメンをいただいて、テレビニュースなど見ながら談笑。出るときには表まで送ってくださいました。いい人だなぁ、という感想であってますか。

宮崎市内を観光します。まずは宮崎神宮へ。祭神は神武天皇。若い女性が1人で参りにきていて、なにか人恋しさもありながら、いいなぁと思います。

続いて平和公園へ。なにか古代アステカを思わせる風貌の「平和の塔」があり、青空に綺麗に映えています。古墳時代の人物像と、八紘一宇の文字が刻まれています。隣には埴輪園なるものがある。なんだかよくわからない。池では静かに釣糸を垂れる人々。犬を散歩させる人。

次に県立博物館。どうして博物館というと子供向け風になるんでしょうね、大人っぽい博物館はないですか。もっと学問的に深いところまで行ってみたほうがいいと思うんですけど。美術館は展示替えの真っ最中で見れず。隣の埋蔵文化財センター(だっけ?)では土器の復元とかを実際にやっていました。パートのおばさんが忙しく作業しています。ご苦労様です。それから駅へ向かおうとしたら道に迷ってしまいました。方向感覚はいい方だと思っているのですけど、思い違いでしたか。結局延々と時間をかけながら宮崎駅へ。疲れたので駅ビルの本屋で立ち読みして過ごします。

夜、日南海岸沿いを南下する日南線に乗って日南市、油津で下車したのですが古本屋で本を購入したのみです。

終着駅志布志まで行きます。県境を越え、また鹿児島県に入っています。星空が綺麗です。終列車が出たのち、駅の待合室で寝ることにします。

1995-08-25(13日目/金曜日)
鬼が洗濯する青島へ

朝、飫肥につくが、見どころの飫肥城はまだ開いていない。スーパーの前のベンチで横になって待っていたらスーパーの方が先に開いてしまいました。「昨夜ここで寝たの?」と感じのいい店長(推定)が話しかけてきます。結局待ちきれずに城の入れるところまで入ってみることにします。係員風の人が開ける準備かで歩いていて、その前をこそこそと。

青島へ。海の岩場が洗濯板のような文様を描く「鬼の洗濯板」は博物館で構造や歴史を予習して行ったのですが、やはり壮観でした。周辺は「日本一水のきれいな海水浴場」となっていて、海水浴客が大勢います。ここで日焼けしながら1日寝て暮らそうかなとも思っていたんですが、やめておきます。海って行く前はわくわくするんですけど、来てみると一刻も早く逃げ出したくなるんですよね。つまりは人間嫌い、ということなんですけど。

宮崎から北へ。途中、新富は温泉があると本屋で立ち読みした本にあったので、下車してみました。「サンルピナス」って名前の、しゃれた日帰り入浴施設なのですが、年寄りばかりが浸かっています。若い女の子はいないのか、何故こない。年寄りは「白老骨壷湯」とかに行ってもらって、サンルピナスは若者が占拠したほうがいいと思うんですけど。コインランドリーで洗濯を終えると、ちょうど列車の時間。1時間1本なのにうまくいくもんです。

延岡で夕食。古本屋で村上春樹『夜のくもざる』発見、購入。それから大分まで。数日前に寝た公園でまた寝ます。

1995-08-26(14日目/土曜日)
Song for USA、宇佐

USA STATION
USA STATION

別府では地獄めぐりもせず、昼食と温泉のみ。温泉は「別府駅前高等温泉」で。駅のすぐそばにある小さめな温泉銭湯です。

宇佐駅。写真、見えますかね、「USA STATION」になっています。いや、合ってるんですけど、ちょっとおかしかったので。

宇佐神宮へ。「伊勢に次ぐ宗廟」とのことで、うん、伊勢に次ぐって感じですね。人脈、いや神脈がいいものを持ってるんですね。

それから小倉へと向かうのですが、宇佐で乗り換える予定が寝過ごし、次の豊前長洲で降りる。やっぱりいろんなところで降りてみるものですね、無人駅、駅舎の内壁は落書きで埋まっていて。族だ。スプレーやマジックで「○○殺す」とか書いてある。馬鹿でいいなぁ、怒流懲彗(ドルチェ、と読むのでしょうか?)。

さて、小倉も夕食だけで観光はなし。もういい加減疲れてるから(最初からですか?)。列車に揺られ九州を離れ、零時きっかりに広島は三原着。そばをバイクが走りまわる公園で眠ります。

1995-08-27(15日目/日曜日)
加古川線に乗ってぐるっと帰る

姫路城
姫路城

最終日。14泊15日の予定なし旅も最終日です。金が底をついたので今日をもって最終日としました。

ちょっとだけ姫路に寄ります。世界文化遺産指定国内第一号(法隆寺と同時)である、日本の代表としての名城、姫路城。満を持しての登場です。変に機械化しなくても、自然のままで涼やかな風が通る。城とはこうあるべきものですね。戦の中の城だ、ということもよくわかります。いいですね、日本の城のなかでは一番だと思います。

そのあと、長浜福井と下車しつつ、北陸の実家へと帰ります。以上です。(了)