米子、松江、三朝、初めての山陰旅

行程

[京都・兵庫・鳥取・島根・岡山/松江、三朝温泉、鳥取] 松江と鳥取を中心に山陽・山陰をぶらぶら。鳥取砂丘もさまよいます。三朝の山にも登ります。城崎で温泉にも入ります。
「米子、松江、三朝、初めての山陰旅」地図
1996-08-12
東京―
1996-08-13
―加古川―倉敷―米子
1996-08-14
米子―松江―米子
1996-08-15
米子―倉吉―三朝温泉―三徳山―三朝温泉―倉吉―鳥取
1996-08-16
鳥取―香住―城崎温泉―豊岡
1996-08-17
豊岡―綾部―福知山―谷川―大阪―京都―福井―七尾

旅行記

1996-08-12(1日目/月曜日)
青春18切符もって大垣夜行に

大垣行き臨時夜行。これまでのいわゆる「大垣夜行」は全席指定の「快速ながら」になってしまいましたが、青春18切符が使える時期だけ、臨時の普通列車が出ています。もちろん、指定席券を買えば18切符で「ながら」にも乗れるんですが、なんとなく邪道だという気がする。席を確保できるかどうか分からないままホームに並んでる、雑然とした感じが好きで。その点、臨時列車は古き良き時代の大垣夜行そのままでうれしい。

品川駅ホームでは向かいホームからもうひとつ別の大垣臨時が出ているようでした。これは帰省の時期に合わせてほんの2・3日程度運行されてるみたい。6両と少ない編成の3ドア。どちらのほうが空いているのか分からずにとりあえず並ぶ。同じようなものかもしれない。

当然、この日は日付変更まで普通の切符を買い、翌0時からの区間で青春18切符を使い始めるプランです。

1996-08-13(2日目/火曜日)
倉敷美観地区、美術館めぐり

大垣に到着、さらに電車を乗り継いで西へ進みます。雨が降り出してます。心配したけど、神戸を過ぎ加古川で降りた時には上がってました。

なんとなく赤穂線に乗る。ただ素通りするだけで途中下車もしない、乗りつぶし目的だけの乗車。

そして倉敷で下車。美観地区へ。野郎ひとりで歩くと気恥ずかしさを感じる街並み。「素敵!」とか言ってる女の子の2・3歩後ろで「そうかい?」とか言って歩く、デートコースでしょうか。全国に町並み保存を謳っているところはいろいろありますけど、この美観地区も同じで、作り物然とした感じがどうしてもありますね。椎名誠のエッセイでウスラバカな感じと言ってたのを読んだ印象もあるかもしれない。

ともかくもやってきてしまったので、美術館めぐりをしなければなりません。まず最も大きい大原美術館へ。倉敷観光の中心で、家族連れやらカップルやらでごったがえしてます。印象派からキュビズム、日本画洋画土産物といろいろ集まってます。いいなと思った絵があっても、あまりに数が(絵の数も人の数も)多くて記憶に残らない……。

横の蜷川美術館は打って変わって静か。古代ギリシャ美術、ヘレニズム美術というものが異色だからでしょうか。男は僕だけであとは夢見がちな女の子が4・5人、目を輝かせていただけでした。

アイビースクエアは蔦の絡まる煉瓦造りで、当然ながらカップルだらけ。メルヘンチックだものな。

その後、阿智神社へ。ここは岩磐が信仰の対象なんだな。この辺で雨が降り出す。急いで駅へ向かうとついに本降りになりました。駅ビルで雨が上がるのを待って、小雨になったところで銭湯へ。

伯備線で北上、米子に出て、公園で眠る態勢に。スナックからカラオケが漏れ聞こえる。ホステスたちが帰り際僕を見つけて、部屋へ連れていってはくれまいか、などと思っているうちに眠ってしまってます。しかし、猛烈な犬の吠え声に叩き起こされました。後ろから飼い主のおばさんが「すいませんすいませんすいません」と走ってきます。夜中の2時の犬のお散歩、お疲れさまです。

1996-08-14(3日目/水曜日)
松江で暴風警報がやってきて

米子城址
米子城址

米子。早朝目覚め、コインランドリーがあったので、ぼんやりゆっくり洗濯。

米子城はとりあえず頂上まで登っただけです。天守閣など建物はなくて、石垣だけが残ります。周辺の湊山公園で睡眠不足を解消すべく、もう少し寝ます。公園にいる猿など見ながら駅へ。

松江城
松江城

松江に出る。雨になりそうな気配です。台風12号が接近中でこのあと大荒れが予想されたりもしてました。すばやく見て回ろう。松江にはレイクラインという市内循環観光バスがありまして、車種も含めて以前鹿児島で乗ったものとよく似てる。それに乗って、松江城へ。そして小泉八雲記念館。八雲(ラフカディオ・ハーン)にはなんの思い入れもなくて、その遺品など「ほーん」って見る。続いて月照寺。大きな石彫りの亀が有名です。首をぐっと伸ばした姿は完全に男性性の象徴ですね。亀の頭を撫でると長生きできるんですって。同じバスで来た女の子たちは撫でたのかなぁ、亀頭を。

一畑電鉄の松江しんじ湖温泉駅に来たところで雨になりました。まだ2時なのに、早すぎる。ゆっくり温泉につかるかと、事前にチェックしてあった社会保険センターへゆくとお盆休業。がーん。JR駅に戻って、流れてたテレビニュースを見ると台風は夜にかけて直撃するようです。大雨洪水暴風波浪の四拍子そろった警報も出てます。死亡者も出てます。うーん、どうしよう。ホテルに泊まるか? 悩んでいると、「祈らせてください」の男がいつの間にか目の前にいる。確かに今、悩んでます。不幸でもあるでしょう、けど、こっちは野宿のこだわりをどこまでこだわるか考えてるところなんです。邪魔しないでください。

とりあえず夕食をとってから、最初は出雲大社へ向かおうと思っていたところ、逆に気分で米子へ戻ります。列車も飛行機もどんどん運休になってるみたい。よし、ホテルに入ろう。残念だがしようがない。駅前のビジネスホテルへ飛び込ます。まぁ、銭湯に入れなかった汗も流せることだし、安い出費だと思うことにしようかな。しかし、これで野宿の旅ではなくなってしまいました。残念。

1996-08-15(4日目/木曜日)
三朝、そして修験の寺へ

三朝温泉・河原風呂
三朝温泉・河原風呂

やはりベッドは心地よく、ぐっすり眠ってしまいました。朝早くから因美線に乗ろうかと思っていた予定を変更し、なんとなく倉吉へ向かうことにします。そこからバスで三朝温泉へ。台風は過ぎ、雨は上がっています。よかった。河原に湧いている露天風呂が名物、ここは橋の上から覗き見自由なんですが、男しか入っていませんでした。残念。南苑寺をちらりと見て、再びバスに乗り三徳山へ。

三徳山三仏寺の投入堂
三徳山三仏寺の投入堂

三徳山三仏寺。本堂から奥院まで往復1時間とのことで、のんびりピクニック気分で歩こうかな。入山手続きをすると「六根清浄」と書かれたたすきをくれました。「お守りですので肩にかけて登ってください」。そうかそうかおもしろいなと歩くとすぐに道がなくなりました。目の前には崖があるだけ。その崖を誰かが登った形跡があります。木の根につかまりながら登ってみると、果たしてそこから道は続いていまして、なんともすごい道だとすぐに身構えることになります。さらには鎖にすがって岩壁にアタックしたり、なるほど神の加護が必要な本格的な登山道です。重いバッグを持ってきてしまったことを後悔したり。雨上がりということもあって地面はゆるくすべりやすく危険な状態です。足を滑らせたら死んじゃうなこれは。さすがは修験道の寺。しかし、その苦労のかいあって、頂上は素晴らしい眺めでした。妖力で岩壁の穴に投げ込んだと言われる奥院・投入堂(国宝)を前にしばし感慨にふけります。

下山して、お茶の葉を売っていたおばあさんと少し話をする。聞くと、登山道ではやはり人が死んでるんだそうです。これまでに2人。生きて帰れてよかった。

再び三朝温泉へ戻ってきました。みささ美術館へ入ってみます。ガンダーラ美術がたくさん。歓喜仏などエロティックなモノがいっぱい。張型など「そのまま」なものもあり楽しめます。というかこれ温泉地にたまにある秘宝館的なやつ? これで20代後半の女性が艶っぽい声でガイドなどしてくれたら言うことないのですが。

東郷湖
東郷湖

倉吉駅に戻って今度は松崎駅で下車、東郷湖畔をぶらぶら歩きます。夕陽をバックに釣糸を垂れる男たちが絵になる湖です。そばには送り火をしている家がありました。門の前にろうそくをたくさん並べて、玄関脇で何か燃していた。日本的なお盆行事がまだ生きているんだねぇとしみじみ歩いていると、車を囲んで万歳している一団がいます。これから新婚旅行にでも行くんでしょうか。なにもかも古臭くていい味を出してますね。銭湯は表玄関が閉まっていて、ここもお盆休みか!とあせったのだが、横から入れました。

鳥取へ出ます。この日は明日の「しゃんしゃん祭り」の前夜祭で花火大会があったらしいです。浴衣の女性と、それ目当ての男が大勢いてわさわさしてる。若い煩悩の匂いが町を覆ってます。コインランドリーで洗濯でもしておくかと向かうも、見つからず。地図ではこのへんにあるはずだったのですが。あるいはシャッターが閉まっているこの建物がそうなのかもしれないと思ったけど、どうしようもなく。しようがない、すぐに寝てしまおうかと川沿いのベンチで横になろうとすると、ゴキブリが走り去る。さらにコンビニもない夜中、煙草を切らしてしまう。鳥取なんか嫌いだ。不貞腐れて睡眠不足。

1996-08-16(5日目/金曜日)
砂丘は砂丘でしかない

鳥取砂丘
鳥取砂丘

鳥取はバス路線が解りにくすぎます。路線図を色分けするのはいい、なぜそいつとバス乗り場の色分けが対応していないのですか。さらには料金表の色までバラバラです。統一させなきゃだめでしょ。まだあります。乗り場脇に、停車するバス停を列挙した路線図がなぜないんでしょうか。普通あるでしょ、料金を併記したやつ。まったくもう。と言っているうちに鳥取砂丘に着きました。要するに起伏のある広い砂浜、ですよね。そんなに異形でしょうかね? ラクダを歩かせて無理やり砂漠イメージにしているだけな気もします。

帰りのバスで、後ろに座ったじいさんが僕の肩を叩き「なんじゃー」と言う。「は?」「なんじゃー」。ああ、「何時や」と言ってるんだと気づいて、腕時計を示してあげました。

仁風閣
仁風閣

その後は仁風閣、鳥取城跡と見て歩きました。足が痛いと思ったら靴擦れになってます。なぜか両足の親指の上がざっくり切れてもいます。それ見たらこれ以上歩くのが嫌になっちゃって、駅へ戻ります。近くにあったブックオフへ。村上龍の『ヒュウガ・ウィルス』を買い求める。

今日はしゃんしゃん祭りが開催されるイベント日です。飾り傘をもって踊り歩くのだ。夜が本番なんですが、エキシビジョンのような形で昼間も駅前でやってます。しばらく眺めてましたがあんまり面白くなかったので(夜の部を見ないでそう言うのもなんですが)、本番イベントが始まる前に鳥取を離れることにして、列車に乗りました。

香住で下車。海辺の寂れた町。海岸はキャンプ場になってます。さらに進んで城崎温泉へ。文学館を見たあと、立ち寄り温泉に入ります。観光客が多すぎて温泉街の雰囲気を壊しているよう(もちろん自分も観光客です)。路上駐車の車にパトカーが大音量で警告してたり、なんだか落ち着かない。温泉街自体には味があるんですが、こんなに混んではだめ。この町で野宿しようかとも考えてやってきたのですがやめて、豊岡まで出ることにします。

手頃な公園がなくて道端のベンチで寝るも、珍走団が頻繁に通り落ち着かない。それでもうとうとしていたところへ「起きろコルァ!」という声がかかる。身体を起こすと自転車の少年たちが逃げてゆくのが見えます。時計を見ると早朝4時。急に寒さを感じてきて眠れなくなったので、駅へ行ってみるとなんだ、待合室が開いているじゃないですか。夜は閉まってしまうと思って、外で寝ていたのに。ここで寝ればよかったんだ。実際、寝ている旅人が何人かいました。ずるい。

1996-08-17(6日目/土曜日)
加古川線に乗ってぐるっと帰る

加古川線に初乗り。それが今日のメインイベントです、哀しい哉。綾部福知山谷川と途中下車してみましたが、特に記憶に残るものもありませんでした。それから大阪で下車。実は初めてです、大阪。書店で『全国駅前銭湯情報』の最新改訂版を入手。やった。これだけでもう大阪で降りたかいがある。実際それだけなんですが。

京都ではコインランドリーでたまった洗濯物を処理する。

あとはお決まりのように「福井で立ち食いソバ」をこなしつつ、実家のある石川へ帰りました。(了)