中津に宇佐、別府、大雨続きの晴読雨読

行程

[愛知・福岡・大分・宮崎/別府温泉、国東半島、臼杵] 大分から宮崎方面、地味めなエリアを回ってきました。中津とか国東半島とか。台風の影響で雨ばかりだったりして、そのぶん読書にはいそしめました。
「中津に宇佐、別府、大雨続きの晴読雨読」地図
2000-09-09
東京―博多
2000-09-10
博多―行橋―中津
2000-09-11
中津―宇佐―国東半島―宇佐―別府温泉
2000-09-12
別府温泉―明礬温泉―別府温泉―宮崎
2000-09-13
宮崎―延岡
2000-09-14
延岡―臼杵―小倉
2000-09-15
小倉―名古屋
2000-09-16
名古屋―東京

旅行記

2000-09-09(1日目/土曜日)
接近中の台風に向かって

午後になって家を出ました。急ぐ旅じゃない、ゆっくり寝てから出発です。新横浜で博多までの切符を買って、「ひかり」で向かいます。会社仕事が一段落したので9連休をもらったんですよね。そりゃもう心は弾んでます。だから新幹線がどんどん曇天の方角へ進んでいったとしても構いはしません。週間天気予報では土日が雨で、それ以降は晴れると言ってたしね。

車中では辻仁成『愛をください』を読んでいました。広島あたりで読み終わって、感想を手帳に書き終わったような頃に博多へ到着しました。半日の車中。

ホテルに入って、天気予報など見ながら明日の旅程を練ります。台風が接近しつつあるらしくて。壱岐・対馬へ渡ってみようかな?と事前調査で思ってて、博多までひとまず来たのは連絡船が博多から発着しているからなんですが、船は危なそうなので(帰れなくなる恐れがあるので)やめることにしました。とりあえず別府方面へ向かってみようかな? どこへ行こうが自由だ、ということが嬉しい。予定は未定にしておいたほうが旅は楽しいんで。

2000-09-10(2日目/日曜日)
行橋から中津へと南下

行橋、中山公園
行橋、中山公園

駅で宮崎行きの乗車券を買いました。「予定は未定に」と言ったばかりでナンですが、途中下車しながら宮崎くらいまでは行くかなという切符です。

小倉まで戻り(この区間無駄足だけれども)、日豊本線で南下、行橋(ゆくはし)で下車しました。何かありそうな気がしたので。駅で観光パンフレットを入手して見ると、「リバーサイドな風景が、行橋の魅力ってうわさ、ホントです。」とあります。そんなうわさは聞いたことありませんが、ホントですか。とりあえずリバーサイドとやらをめざすことにします。

途中、やはりパンフレットに乗っていた中山公園(写真)で、スーパーで買ったパンの昼食。パンフレットには「市民の憩の場」と書いてありましたが、人っ子一人いやしません。日曜なのに。

行橋リバーサイド
行橋リバーサイド

うわさのリバーサイドに出ました。今川河畔。花の季節はそれはそれは魅力的なんでしょうね。天気もいいので川べりで横になって小1時間昼寝します。寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』を読みます。「自殺学入門」が、晴れた川縁に実によく似合いますね。

パンフレットによれば郊外にいろいろと面白そうな見所があるんですが、そこまで歩く元気もないしバスに乗るほどでもなさげだったので、とりあえずだらだらとしてます。それから正八幡神社へ寄って(狛犬の成形過程は面白い)、駅へ戻りました。

赤壁合元寺
赤壁合元寺

列車で大分県へ入り、中津で下車。福沢諭吉の町ですね。歴史をたどるモデルコースが整備されていて、案内板も立ち分かりやすくなってます。

駅からしばらく歩くと、寺の立ち並ぶ界隈になります。写真の合元寺はこの赤い壁が特異な印象。なんでも、血で染まった壁を隠すために赤く塗られたといういわれがあります。

門の前に犬が座っていて、カメラを構えたら恐ろしい勢いで飛びさっていきました。向いの原っぱで猫を追いかけてます。

赤壁の番犬
赤壁の番犬

参拝しているうちに戻ってきた犬。どうやらここが定位置のようです。

しばらく犬とじゃれて座ってたんですが、女性がカメラを構えているので邪魔にならないように立ちあがります。

実はこの女性とは追いつ追われつ、この先中津城まで同行状態となります。駅で入手した「町歩きマップ」を彼女も所持しているのが見えまして、モデルコースに従って同じルートを歩いているので必然的にそうなってしまうんですね。よくあることです。途中、僕はルートを一部「はしょった」んですが、その「はしょり方」さえも同じでびっくりしたりします。こういう場合、非常に困ります。声を掛けて一緒に歩くのもまた旅の風情かとも思ったんですが、お互いに明確に意識しあってる風なのに声は掛けず、歩いていきました。

円応寺にある河童の墓
円応寺にある河童の墓

合元寺の先の円応寺には河童の墓がありました。昔、ここの住職のもとで修行をした河童だそうです。東北には時々ある話ですが(本当か)、九州でも河童伝説があるんですね。

並ぶ寺はどれもこういった特徴があり、なかなか飽きさせません。

福沢諭吉旧宅
福沢諭吉旧宅

福沢諭吉旧宅。中津で一番の見所でしょうか。諭吉が少年時代、ここで過ごしたということです。たとえ福沢諭吉という人物になどまったく興味がなくとも、「この土蔵の二階で勉学に励んだ」といった説明板を前にして「なるほど、ふーむ」などと言ってしまうのが旅というものですね。

前には人力車が止まっています。退屈そうに旧宅受付のおじさんと話してます。

中津城
中津城

さらに(先の女性の背中を見ながら)歩いて中津城へ。彼女は天守閣へと登っていったので、僕は入らずに素通りすることにして。

広場を抜け、少し歩くと自性寺というところへ着きました。池大雅の書が日本一多く収蔵されているという大雅堂を併設しています。2階に大雅の書が並び、1階は墨蹟。美術館然としたガラスケースに収められているんですが、お香が焚かれているなど寺のものであることをそこはかとなく主張しています。

雨が降り出してきました。夕食は寿司屋の刺身でビールを飲む。駅前のビジネスホテルで宿泊。崎山克彦『何もなくて豊かな島』を読みます。南の小島での生活を描いた本ですが、恐らくは雨の日、ホテルに閉じこもって読む本ではないですね。

2000-09-11(3日目/月曜日)
国東仏教美術のありか

富貴寺。雨で閉まってる
富貴寺。雨で閉まってる

霧雨の中、宇佐駅へ出ました。5年前に来たときとは駅舎が変わってました。アメリカンな気分になれて妙に嬉しかった「USA Station」の表記がなくなってしまってました。一抹の淋しさを憶えつつバスに乗って国東半島を目指すことにします。奈良時代から一大仏教文化が栄えた地ですね。ここのバス路線は観光周遊バス風に途中の見所で20分ばかり停車します。その間に見どころを見学して戻ってくれば、同じバスに乗って次の観光スポットまで進めるようになってます。

まずは富貴寺へ。写真の大堂は九州最古の木造建築とされる国宝です。堂内にやはり国宝の阿弥陀如来像と壁画があるんですが、雨の日には扉を開かず、内部見学できないようになってます。山門横の土産物屋で聞くと、湿気から守るためにそうしているみたいですね。残念。それでも負け惜しみで言うなら、大堂左手の苔むした石仏群は雨に濡れきれいでした。

真木大堂
真木大堂

次のポイントは真木大堂。鉄筋の建物は無粋なんですが、ここの不動明王像は素晴らしいものでした。炎を背負ってきりりと立つ姿は惚れますね。左手にある牛にまたがった大威徳明王像が国東のひとつのシンボルになっているようですが、それよりもここは不動明王です。中央はなんとか如来(失念)と四天王。

写真はその横に立つお堂ですが、菊の紋がありました。神社ではなく寺に菊があるのは珍しいんではないでしょうか。

門前に地の物を売る露店があるのはいいとして、石仏を模した公衆電話を置いておくのはちょっと安っぽい感じがしました。それでも周辺は静かな山村ムード。

熊野磨崖仏
熊野磨崖仏

最終ポイント。ここは見学に1時間ばかりかかるので、帰りは次のバスとなります。鬼が一晩で積み上げたという険しい石段を汗だくになりながら登ると見えてくる熊野磨崖仏。崖に直接彫られた石仏で、写真は不動明王。よく見ると不動にあるまじき笑顔をしています。隣には大日如来もあり、逆にこちらのほうが険しい表情をしていました。霧雨のせいで、幽玄な感じに煙っている姿はなかなか美しい。荒い息を整えながらしばし見惚れます。

麓にある胎蔵寺には、なんていうのか、巨大な数珠のようなものが飾ってありました。珠のひとつひとつがソフトボール大のもので、それを首から掛けて笑う住職の写真が額に掛かっています。「掛けてみるかね」といつのまにか背後に立っていたその住職に声を掛けられました。「昔はこれを掛けて不動さんとこまで登ったもんだ」「重いんですか?」「だから掛けてみろと言うとんじゃ」「いや、いいです……」。怪しい訪問セールスを受けた人みたいに戸惑いつつ。境内にある金ぴかの七福神や巨大な天狗面なども怪しげなイメージを増強しています。「そこのお堂に懸け仏があるから見ていけ。学生じゃろう? 学割でタダにしとくわ」などとも言う。そんな住職のすすめにしたがって懸け仏とやらを見ると、意外に立派なものだったりする。よく分からない。

宇佐神宮
宇佐神宮

宇佐の駅へ戻ると、次の列車まで2時間ほどあります。特急ならあるんですが、普通列車がない。学生時代に一度来ているし今回はいいかなと思ってたんですが、宇佐神宮へ向かうことにして、再びバスに乗り込みました。

宇佐神宮。森の中の参道を抜け、こうして本殿前に立つと、朱塗りであることに妙な違和感を感じました。記憶の中では素木だったんですよ。どこで記憶がすりかわってしまったんでしょうか。神宮前のバス停ベンチで寝転がって本を読んでいた記憶ははっきりしているのに(山川健一『真夏のニール』だ)、なんでこんな本殿のことが曖昧なんだろう?

ともかく宇佐神宮。祭神は三柱からなり、応神天皇・神功皇后を両脇に侍らせて比売大神が真中にいる。この比売大神というのは卑弥呼のことであるという説があって、僕はその説が気に入ってるんですが、それはまぁよいとして、この横に社が三つつながった社殿は変わったもので、興味深いです。出雲大社とここにしかない四拍手の作法で参ります。

宝物館などゆっくり見て回って、でも列車の時間まではまだだいぶあるので、バス停ベンチに座ってやっぱり読書をして過ごします。大江健三郎『芽むしり仔撃ち』。重い。

その後、列車に乗って別府温泉へ出ました。ホテルアーサーというところに宿を取ります。ここにはインターネットが無料で使用できるPCが置いてあって、ちょっと嬉しいものでした。ニュースでは愛知が大雨で大変なことになっているらしい。心配です。

2000-09-12(4日目/火曜日)
別府で二湯をはしご

鉄輪温泉・ひょうたん温泉
鉄輪温泉・ひょうたん温泉

かなりひどい大雨。出発前に見てきた週間天気予報ではこのあたりから晴れるはずだったんですが……。台風14号と秋雨前線の影響から全国的に雨模様、どこへ移動したとしても雨から逃れる術はなさそう。

駅の書店で別府の情報誌を購入し、それを見ながら温泉施設へ行くことにします。温泉なら雨でも関係ないしね。バスでまずは別府温泉のなかの鉄輪温泉へ。

共同浴場が立ち並ぶ温泉街は風情があります。地元密着型の共同湯に入ってもよかったんですが、休憩所などが完備されている大きめの施設「ひょうたん温泉」へ。一見、新興スパのようにも見えますが、大正時代からある古い湯です。当時はひょうたんの形をした建物だったものが、「空襲の目標物となる」ということで戦時中に取り壊されたんですって。

写真の豪快な打たせ湯が名物のようです。うつぶせて腰に湯を当てたりして、のんびりと過ごします。露天風呂もありますが、少々ぬるめ。利用しませんでしたが砂湯などもあって、バラエティ豊かです。

休憩所でビールを飲みながら重松清『舞姫通信』を読む。雨はますます激しさを増してきますが、酔いもあってどうでもよくて、しばらく横になって眠ります。

バスで今度は明礬温泉のほうへ向かい、手前にある「別府温泉保養ランド」に入りました。ここは非常によかったですよ。混浴ということもあるためか、「写真撮影禁止」の張り紙があちこちに貼ってあって撮れなかったんですが、泥の湯です。広い露天風呂で、白く濁った湯の底には泥がたまっていて足首まで埋まります。歩くと急激に深くなっていたり、驚くほど熱い場所だったりで自然の源泉そのままというところです。泥をすくっては体にすりつけたりして入ります。効能高そう。

内湯はさらに濃度が高くて、湯が重い感じ、浸かっていると圧迫感さえ感じます。建物も湯治場の風情にあふれてて、誰もいなくなったところを見計らってこっそり撮ろうかとも思ったんですが無理でした。

休憩所でやっぱりビールを飲み、ぼんやりと。テレビでは東海道新幹線が止まったなどの大雨ニュースをやっています。

駅へ戻り、宮崎まで出ることにしました。せっかく宮崎までの切符を買ったんだし。時刻表を見ると、宮崎って意外に遠いんですね、結構な時間がかかります。それで特急に乗ることにして、雨のために列車はいくらか遅れたものの、夜に宮崎着。

2000-09-13(5日目/水曜日)
大雨に行動制限されながら

延岡で行過ぎる電車を眺めて
延岡で行過ぎる電車を眺めて

気づけば延岡で川縁に座ってました。遠くの鉄橋を積み木のような色合いの列車が走って行きます。

宮崎の朝は、空襲のような大雨と晴れ間が10分おきに交代するどうしようもない天候でした。駅前のゲームセンターでしばらく脱衣麻雀などやってたんですが、回復する見込みはなさそうです。さらに駅のコーヒースタンドで藤沢周『さだめ』など読んでいたんですが、回復する見込みはなさそうです。屋内で遊べる場所などないか、書店で立読みして探したんですが、あまり面白そうなものは周辺になくて、そうこうするうちに昼になってしまったので、とりあえず列車に乗ってみることにしました。

そして延岡。雨は上がりました。川辺で座って曇天を見上げます。午後になって到着した延岡で、晴れたところで何をしたらいいかわからないなと思っているうち、結局はまた雨が当たりだして。土砂降りになったので電話ボックスへ避難して、ついでにタウンページで今日の宿を決めて(歩いてきた道沿いにあったホテルへ電話)、早めに宿に入ることにしました。ベッドに寝転がって近所の本屋で買った井沢元彦・小林よしのり『朝日新聞の正義』を読みます。

結局今日は何もやってないんですが、延岡で宿をとったことには理由があります。高千穂へ行ってみたかったんです。学生時代に九州一周した時には行けなかったので、ぜひとも天孫降臨の地を見たかったんですよね。晴れるならばという希望のもとに、高千穂に向かう路線があるこの町で明日を待ちます。

2000-09-14(6日目/木曜日)
臼杵の町並み、雨に濡れて

臼杵の坂道
臼杵の坂道

雨は降り続いています。雨のなかを傘さして歩き回る元気はないので、高千穂は諦め北上することにしました。朝のニュースを見た限りでは、宮崎県内よりも大分県内の方がまだ天候は良さそうだったので。

駅に着くと、大雨で列車のダイヤも乱れていました。なかなか到着しない列車を待ちながら、帚木蓬生『閉鎖病棟』を読みます。哀しい気分を倍増させるような物語。

大分に入って臼杵で下車。ここは宇佐と同じように磨崖仏で知られるところですが、とりあえず晴れていたので近辺を歩いて、ニ王座歴史の道と呼ばれるエリアへ。かつての城下町で、お寺が並ぶ石畳の通りは雨上りの輝きもあり絵になります。九州最古の真宗寺などもありますが、この道の美しさだけで充分です。ときおりパラつく雨に山門の軒で雨宿りしながら歩くってのもオツなもの。

旧真光寺で休憩
旧真光寺で休憩

お寺の建物を利用した無料休憩所「旧真光寺」。観光案内所的な受付に担当の方はいらっしゃいましたが、観光客は誰もいなくて、二階へ上がって畳に寝転がると非常に安らかな気分になれました。この町、気に入りましたね。

ぐるりと一周して、アーケード街に座っていた犬をなでたりして過ごします。アーケード街は上から巨大なピカチュウやドラえもんの張りぼて人形が下がっているようなハイカラぶりで、ところどころ破れた穴から雨が落ち、あまりアーケードの意味をなしていません。

夜は小倉まで出ました。中華料理屋でビールに餃子とチャーハンという夕食。テレビでサッカーを中継していて、客も厨房の親父もその妻も、僕を除く全員が中継に見入っています。ゴール!ゴール!ゴール!ゴール!とアナウンサーが続けざまに12回ほど絶叫し、客も厨房の親父もその妻も、僕を除く全員が拍手をしました。「幸先のいいスタート」だとアナウンサーが言っています。オリンピックなのか?オリンピックは明日からじゃなかったのか?と思いながら、いたたまれなくなったので小林恭二『電話男』を読みとめ店を出ました。

宿は「ニューオープン」とるるぶに載っていたビジネスホテルへ。コインランドリーがあったので洗濯したりします。

2000-09-15(7日目/金曜日・祝日)
雨のなか新幹線は進む

小倉駅前でしばらくぼんやりしたあと、駅ビルの書店で帰りの車中読むべき本を購入し、まずは橋本治『宗教なんか怖くない!』を読みながら新幹線に乗ります。なんだかもう雨疲れしてしまいました。大雨の名古屋で降りて、宿泊。

2000-09-16(8日目/土曜日)
特に何をするでもなく帰宅

翌日もやっぱり何もなくて、名古屋をたち、宮本輝『道頓堀川』を読みながら、帰路に着きます。尻すぼみですみませんね。(了)