函館の幻。煉瓦色をした函館の記憶

行程

[北海道/函館、湯の川温泉] 函館一泊二日。途中でカメラを紛失したので写真はありません。帰ってから心象だけで絵を描いてみましたが、全体的に雨がちな旅路と相まって、ちょっと暗め。
「函館の幻。煉瓦色をした函館の記憶」地図
2001-05-26
東京―函館
2001-05-27
函館―湯の川温泉―東京

旅行記

2001-05-26(1日目/土曜日)
「北海道には梅雨がない」?

函館に降り立つと―もちろん機内で気づかされていたことだが―雨だった。とりあえず連絡バスでJR駅前まで出ることにしたが、窓から覗ける函館の海はセメントのように重くうねり、雨が穿つ穴が増えたり減ったりしながら沖まで広がり、灰白色の空と不純に手を結んだように水平線は朧に煙っていた。そう簡単に晴れ間をみせるとは思えなかった。

ビニール傘を買い駅前の喫茶店に入る。コーヒーを飲みながら、デビット・ゾペティ『いちげんさん』を読んで午前中をやりごすことにした。最終章を残すのみだった物語は哀しくも美しく収束する。日本の排他性に苛立つ「外人」主人公に感情移入できることに驚きながら、本を閉じ、煙草1本分の時間を物語の反芻にあて、黙って二三度頷いてから店を出た。もちろん雨は降り続いている。

路面電車に乗って五稜郭へ向かうことにする。電停そばの蕎麦屋で天ざるとビールで昼食、沢木耕太郎『人の砂漠』を読む。老婆の奇怪な死に様に幻惑されているうちに蕎麦は伸び、慌ててすすりこみ、あらゆる決定を先延ばしにするように、今度は国道沿いにあったブックオフに入る。

五稜郭
五稜郭

五稜郭はだだっ広い公園だ。戊辰の歴史を幻視しようと瞬きを繰り返しながら立つ。幕末に過剰は思い入れはないけれど、失われた記憶を埋めるように不恰好な城郭を建築しているうちに音の塊になった声が聞こえてきそうな、不穏な広場をしばし立つ。濁った堀に沿って並ぶタンポポの綿毛を辿り、星型を描くために律儀に仰角で曲がり続ける細道を歩き、土塁に登ってまた歩き、一周して外へ出た。

函館美術館で「さよなら20世紀」と、写真でこの国の100年を振り返る特別展をやっていたので入ってみる。予想通りに戦争、公害、地震といった映像を大量に見せられて、そろそろ「何のために函館に来たのか」と思い始める。

美術館でたっぷりと時間をとっていたら雨は上がっていた。玄関の銅像前で膝をつき、乳房を見上げる角度で何枚か撮る。いい人に拾われますようにと街路樹に立てかけて傘を捨て、電停に戻る。函館どっく前行きと谷地頭行きの2系統が走っているはずなので、次の行き先を占い師にゆだねるように電車を待つ。谷地頭行きがやってきたのでそのまま終点まで乗る。

ここからは立待岬という一つの景勝地へ向かって道が延びているのだが、途中に温泉の看板があったので脇道へそれた。谷地頭温泉、老人保養所のようなうらぶれた風で、それなりに賑わってはいるようだった。泥色の湯の温度も、五稜郭を模したと思われる形の露天風呂にしても、どれも中途半端だったが、体が柔らかく解けてゆく感覚は悪くなかった。休憩所で缶ビールを1本飲み、『人の砂漠』を読み次ぐ。

谷地頭漁村
谷地頭漁村

再び岬への道をほてった体で歩く。岬へ着く前に左手に見え始めた海の誘惑に耐え切れず、民家の路地を抜けて波打ち際へ出てみる。静かな漁村の風景だった。民家の裏庭はなだらかに海面と交わり、引き上げられた船が斜面に並んでいた。高波を避けるためか、石塀が建物をガードしている。船のそばに座って、消波ブロックに砕ける波を眺めた。ブロック上ではウミネコがくうくう鳴いていて、彼らの眺める方角につられて僕もあちこちに視線を投げる。陽はもう傾き始めているはずだったが、相変わらず濁ったままの空のどのあたりにあるのかは分からない。この薄暗さが心地よかった。

しばらくすると地元の小学生三人組が降りてきて、こちらを横目で意識しながら遊ぶ。しゃがんで何かを拾っている。不審な動きにならないように気をつけながら近づき、何かいるの?と声を掛けると「ほら」といって手を差し出してくれた。手のひらに乗っているのは小さなヤドカリだったが、まるで「函館」が乗っているようにも見えた。

石川啄木一族の墓を過ぎ、岬へ出た。南東に突き出た断崖の上から津軽海峡が望める。タンカーが悠々と過ぎる。断崖の下へと降りられる道があったので降りてみる。道は途中で消えてしまったが、岩を乗り越え、波を飛び越えながらもう少し先へと進む。荒くひび割れた岩に座り、岸壁を見上げる。自然の造形美というやつだ。誰もいない。静かだ。

木々の間を伸びる道へ進路を取り、函館八幡宮へ参る。お百度参りのように石段を昇り降りする親父の横を通ってたどり着いた社殿にはカラスがびっしりと集っていた。鳩ではなくカラスの集まる神社は夕闇の中で黒く茂っていたけれど、悪い印象でもなかった。

電停へ向かう途中にあった寿司屋へ入り、ビールを飲み、握ってもらう。岬は寂しいところだったと言うと、こんな夕暮れに行く奴はいないさと返された。

駅前へ戻り、ホテルに入る。ベッドに寝そべってしばらく本を読んでいたが、力強くやってきた眠気に連れ去られて眠った。

2001-05-27(2日目/日曜日)
煉瓦色をした函館の町並み

晴れていた。ホテルを出て函館中心部を北へ歩く。朝市は人だかりだった。呼び込みの声があちこちから掛かり、ウニ食べてってお兄さん、と腕に触れてくる。焼きウニをつつきながら飲み、朝から赤ら顔になっている親父たち。確かにウニもカニも美味そうだったが、「呼び込まれる」のが嫌いな性分なので残念ながら何も食べられなかった。

通りはそのままいわゆるベイエリアに繋がる。異国情緒あふれる赤煉瓦の倉庫が並び、修学旅行生がアイスを食っていたりした。観光臭で満ちてはいたが、犬の散歩をさせる親父や、船の上で休むねじり鉢巻の男なども自然に溶け込み、独特のムードを作っていた。

土産屋の前で、不意に、僕もここを高校時代に歩いたことに気づいた。修学旅行で札幌小樽を回り、函館はバスで駅に直行して列車に乗り換えただけの町だと思い込んでいたのだが、確かにこの煉瓦造りの店の前を通ったことがある。女たちがガラス製品などを求めているのを斜に眺めることで心の鋭角を保とうとしていたあの頃を思い出しながら、長くため息づいた。随分遠くまできたと思っていたが、あの頃と何も変わってはいないのだ。この街も、僕も。

函館湾
函館湾

そのまま海沿いに北上すると、観光客はあっという間に見えなくなり、生活港としての函館が見えてきた。くすんだ色の倉庫の前に水揚げされたばかりのタウンページが積みあがったりしていた。釣り糸をたらしたまま車のシートで眠る男、船の修繕をする男、振り返ると函館山が蒼くそびえていた。

重工業地帯のようなドックに向かって歩く。狭い路地に誰にも見られることのない煉瓦倉庫が並び、人気はなく、掘り尽くしてそのまま捨て去られた炭鉱の町のようにも見えた。ドックの巨大なゲートが海の上に突き出しているのが見える。立体駐車場風の裸の建物が並ぶ。錆びた鉄柵越しにそれらを眺め、また、錆びた鉄柵を眺めた。

西へ折れ、坂を登り、高龍寺へ。市内で最も古い寺で、山門の彫刻は見事なものだ。伝来の過程で日本では北へゆくほど寺社の「張り」は失われてゆくのだが、この土地にあってはなかなかのものだと思う。

運動会をやっている小学校のグラウンドそばには称名寺。境内に寝ていた猫に声を掛けてじゃれあった。運動会の歓声がずっと聞こえていた。さらに坂を歩き旧ロシア領事館へと。ただの廃屋にしか見えずがっかりもしたけれど、函館名物の「坂」の上から見下ろすと、坂はそのまま海へと突入しているようで、風を受けて滑り降りるスピードの感覚が頬のあたりを通り過ぎ、それは快い幻だった。

電停の走る通りへ戻り、コンビニに入って時計を見ると11時半近く。そろそろホテルへ戻らねばならない。ペリー会見所跡の説明ボードなどを見ながらその先の電停で市電に乗ろうと歩いていると、車が止まり、乗っていいよと言う。会社の同僚が運転するレンタカーだ。あえて今回はそれを伏せて書いてきたのだが、これは社員旅行なのだ。

12時からホテルの会場に社員が揃い、小さなパーティーがある。2時間ばかりのそのパーティーさえ我慢すれば、それ以外は自由行動、飛行機代ホテル代が会社もちの気ままな一人旅ができるというわけだ。

パーティーで料理を食い、酒を飲み、新入社員が司会進行するゲームをやり、三本締めまで終わるとするりと外へ出た。駅前のデパートで古本市をやっているという情報を得たので立ち寄り、特に買うものもなく市電に乗る。

ロープウェイで函館山へ登ろうかとも思ったのだが、低い雲に包まれた山頂からは何の眺望もきかなそうだったので、麓の教会などを見て歩く。ハイカラでモダンでロマンティックな函館観光のメインエリア元町。団体旅行者が大勢いて、彼らの隙間を縫って歩く。

なんだかあっという間に見終わってしまい、元町公園のベンチに座って地図を見ながら、これからどこへ行こうか考える。

湯の川温泉という温泉地へ行って、一風呂浴びて行こうと思う。空港へは7時集合だから、その周辺で夕食を取って向かえばちょうどいい時刻にもなるだろうと。

市電に乗り、温泉へ。いくつか共同浴場はあるのだが、電停から一番近い永寿湯という温泉銭湯へと向かい、外観を撮ってから入ろうとバッグをあさると、デジカメを紛失していることが判明。めまいがする。元町公園を撮ったのが最後だから、1時間ばかり前まではあったのだ。どうしていいのか分からずにとりあえず銭湯に入ることにする。ふらついて玄関に肩をぶつけたりしながら。

湯船は3つに仕切られていて、低温・中温・高温となっている。中温のプレートの下には「45度以下にしないでください」との注意書きがあり、それぞれ44度、46度、48度くらいと思われた。客は全員低温のところに窮屈そうに入っていて、それでも熱さで肌を緊張させている。単に湯船を3分の1に縮小して営業しているようなもので、ちょっとどうかと思うのだが、どうやら「源泉そのまま、いっさい水を混ぜたりしていない」というのがウリらしく、しようがなく僕も低温に難儀して浸かる。

ロビーでビールを1缶飲みながら、バッグの中身を全部空けて再度「ない」ことを確認する。パーティーで土産に配られたホテルメイドカレーなんかはしっかり入っていたりして、どうしてこんないらないものばかりが入っているのかとバッグごと投げ捨てたい衝動に駆られる。

川に沿って下るとすぐに浜辺に出た。ギターを弾いて歌っている男がいて、波のように寄せては返すカップルがいて、風はひょうひょうと行きすぎ、波は少しばかり高く、僕は波打ち際をぼんやりと歩いた。海水浴シーズンには随分早い砂浜は流木や海藻で汚れていて、気分を重くさせた。

しばらく歩くと湯気あがる流れが砂浜を横断しているところにぶつかった。無理矢理笑って「温泉なんですかね?」と近くにいた女性に聞くと、「排水でしょ」との答え。それはそうだ。収めどころのない中途半端な笑いを浮かべたまま川を飛び越える。

浜を離れ、国道に戻り、寿司屋に入る。二晩続けて寿司というのも間違っているが、そんなことはどうでもいいのだ。世を儚んで高いネタをビールで流し込み、板前と記憶に残らないような会話をし、会計は5000円を超えた。

地図をみると空港までそれほど距離はないようだったが、板前の話によると歩けば30分はかかるとのことだったのでバスに乗る。

飛行機からは函館の夜景。カメラに収めた函館と、網膜に焼き付けた函館、あるいは想像の中の函館。僕にとってどれが幻で、どれが現実なのだろうか。そして、幻と現実、どちらが「上位」に来るべきものなのか? それが課題だ。

追伸。函館でデジカメ拾った方、ご連絡ください。(了)