陸中海岸を北上、海辺の町々から花巻へ

行程

[青森・岩手・宮城/釜石、宮古、花巻] 気仙沼から八戸のほうへ、陸中海岸沿いの鉄道を駆け上がる旅。あまり途中下車できなかったので、駆け上がっただけか。一方帰路では花巻、鉛温泉へも寄ってます。
「陸中海岸を北上、海辺の町々から花巻へ」地図
2002-03-21
東京―気仙沼
2002-03-22
気仙沼―陸前高田―釜石―宮古
2002-03-23
宮古―久慈―八戸―盛岡
2002-03-24
盛岡―花巻―花巻温泉郷
2002-03-25
花巻温泉郷―花巻―一関―東京

旅行記

2002-03-21(1日目/木曜日・祝日)
夜の気仙沼に光は跳ねて

時間の止まった夜の気仙沼港
時間の止まった夜の気仙沼港

気仙沼の繁華街はJR気仙沼駅から1キロ近く離れたあたり、つまり港のそばになる。格式ある料亭や古めかしい薬屋など、江戸期の海運で賑わった頃を偲ばせる通りには、もうぜんぶ終わってしまったような宿命的なうらぶれ感があって、まだ夜7時をまわったばかりだというのにほとんどの店のシャッターが下ろされている。誰ともすれ違わない。新市街を造り忘れたまま放置された旧市街のようだった。

ラーメン屋に入ったが誰もいなくて、二度ほど声をあげても店員が出てこず、横にあった天ぷら屋へ移る。どう見ても寿司屋にしか見えないカウンターに座って、天ぷらを注文、近隣在住の常連客らしき数名の訛りを聞きながら、北村薫『スキップ』を読む。山盛りで出てきた天ぷらを生ビールで流しこみ、柔らかく酔ったまま港をぶらぶらと歩いた。

ベンチに浅く腰掛けて、強い風に揺すられて軋んで鳴く漁船越しに、黒い海面に目を落とす。ふいに、以前ここに来たことがあることを思い出した。

港に車を停めて船に乗ったのだった。仕事でだ。数人で小さな無人島の浜に乗り上げ、会社の金で、烏賊を焼いて食ったのだ。いま海から引き上げたばかりの生牡蠣と、渋柿みたいな味のするホヤと、ぼくたちだけのためにさわさわ音を立てる波と、光。

あれから3年程が経ったが未だどこにも辿りついていない自分を確認するために、遠い漁火をトンネルの出口のように見つめ、ここが旅の起点なのだなと思った。

2002-03-22(2日目/金曜日)
釜石、宮古、海辺の町々

高田松原の浜辺を歩く
高田松原の浜辺を歩く

陸前高田で駅を降りる。次の列車が3時間後であることを確認して、海へ向かった。

防風林としての松林が連なっていて、高田松原という、この町のひとつの景勝地になっている。白砂に沿って延々続く緑の松林。東北の春はまだまだだなと思わせる冷たい風が波打ち際を這うように行過ぎる。空は灰色に霞んでいる。犬の散歩をさせる老人。公衆トイレは「凍結防止のため」冬季閉鎖中。

浜を端まで歩いて、焚火の跡の前に腰をおろして本を読む。近くの高校の野球部と見える一団が横のグラウンドで練習している。ボールを捕らえるぱしりぱしりという音と波の音が、バイオリズムみたいな波長を描く様を想像する。

しばらく本を読んでいると寒さが身に染みはじめたが、焚火に火を入れることは憚られる。『スキップ』という書名と内容がこの旅とは合っていない気もしはじめた。時間はゆるやかに連続していて、スキップなんてどこにも起こりようがないから。つまり3時間おきにしか列車は来ないのだ。

周囲に時計がないので正確には分からないのだが、2時間くらいは経ったかもしれない。ペットボトルを本と一緒にデイバッグに投げ込んで立ち上がる。

途中コンビニに立ち寄って掛けてある時計を見ると、列車の時刻まであと1時間。旅行ガイドブックを立読みして、タクシーで行ける範囲のお寺にそそられたりもしたが、雨が降り始めたので足早に駅へ戻る。

駅舎でコンビニのパンを食べて昼食とする。待合室で本を読んだり、眠っているのか半生を振り返っているかしているおばあさんを見つめたりしているうちにやってきた列車に乗り込んだ。

釜石港
釜石港

釜石。「鉄の町」として栄えた時代はすでに歴史の彼方になるわけだが、駅前には新日本製鉄の工場が威圧的にそびえている。雨はやんだようなので商店街を散策。古本屋を見つけて入ると、CD・ゲームソフトはいいとして古着まで売っている。

丘の上に登ると平和祈念の像が立っていて、そこから港を中心に小さく息づく市街が見渡せる。遠く、山の上に白い巨像が見える。この町のランドマークたる観音像らしかった。目算で3キロといったところで、彼女を目指して歩いてみることにした。

港沿いを行く。トラックが行き交い、重工業的な風貌の港だ。平日だからなのか、平日なのにと言っていいのか、むやみに静かだ。遊覧船も出ているのだが客はいないようだった。

長い橋を渡り、トンネルを抜け(歩いてトンネルに入るときは緊張する)、予想よりも遠いと感じながら進むと、観音像の後姿、なで肩が見えてくる。

釜石大観音に見下ろされ
釜石大観音に見下ろされ

釜石大観音は石応禅寺という寺域になる。大きな駐車場にまばらな車。山門へは仲見世として両脇に店が並ぶのだが、営業していたのは3軒、残りの10軒ほどはシャッターを下ろしていた。「シーズンオフ」という言葉では間に合わないような寂しさだ。

山門をくぐるとエスカレーターがあり(受け付けでは「動くエスカレーターを使ってください」と言われ変な言葉だと思ったのだが、人がいないときには止まるタイプのエスカレーターであることが判明)、その上に観音像が立っている。

この釜石大観音の高さは48m。魚を抱く魚藍観音だ。きっぱりと海に向かって微笑む姿は、港町らしく海上の安全を祈っているのだろうが、こういう観音像に見下ろされて育つ子供達のやるせなさはいかばかりかと想像する。過疎が進むのもしかたあるまいと思わせる。

内部は螺旋階段で登れるようになっていて、2階部分が拝殿になっている。つまりこの観音像全体がお寺の本殿として造られているようだった。その上層には七福神と三十三観音を見て回れる展示スペースがあり、最上層(魚のあたり)が展望台になっている。

寺としての風格はあえて問わないこととして、三十三観音の彫刻の出来はなかなか悪くない。昭和の彫刻家によってノミの跡を活かした、繊細にも現代芸術といえるものだろう。

隣にはスリランカ風の仏舎利殿。こういうところにもデート中のカップルの姿があり、驚かされる。

再び列車に乗って宮古へ出る。陽はもう暮れていて、海鮮料理屋で夕食。おすすめは何かと聞いて出てきたカツオはひたすら旨かった。

2002-03-23(3日目/土曜日)
宮古から一気に北上

宮古港の朝
宮古港の朝

ホテルのフロントに置いてあった観光マップを片手に外へ出る。きれいに晴れた朝だ。ホテルのすぐ前のバス停を見ると、ちょうどバスが出たばかりの時刻のようだ。前日夜のうちに時刻を調べておくなどという方法を思いつかない自分を褒め称えながら、1時間後の次便を待つのも面倒なのでやはり歩くことにする。旅に出ると歩きすぎるきらいがあるのだが、歩いてなんぼの人生だ。

港沿いに行くとコンクリートの床が魚色に濡れている市場があり、小魚を選り分ける姿がある。土曜の宮古港。陸中海岸はどこまで行っても漁港だらけだ。

セリはとっくに終わってしまい、ルーチンワークとして残務処理している人々。穏やかな波に照り返す光を、ぼくは喜ばしいものとして眩しく眺めるのだが、彼らにとってはただの職場なのだろうと思う。

平和で平凡な、三陸の小さな町になぜ宮古(=都?)という地名があるのだろうなどと考えながら、案内板に従って浄土ヶ浜を目指す。

景勝地、浄土ヶ浜
景勝地、浄土ヶ浜

浄土ヶ浜は陸中海岸の代表的景勝地のひとつで、澄んだ海面から鋭く立ち上がる岩々と、大きめの砂利からなる浜が奇景を造り出す。夏は海水浴場となるところだが、やはり初春では人影もまばらだ。

周辺は遊歩道が整備されていて、木々のなか高台に出ると全景が見下ろせたり、岩に穿った洞窟を抜けたり、変化に富んだ景色が眺められる。

ここでは遊覧船が名物で、船上から餌を投げ与えると空中でキャッチするウミネコとの交感が観光客を楽しませる。もちろんぼくは遊覧船には乗らず、バスツアーの一団が乗り込んでいった出航の様子をぼんやりと眺めていたのだが、船とともに移動する黒雲のごとく、あるいは蝿のようにたかるウミネコの群は、悪い夢のようだった。

かろうじて営業していた土産物屋の店先で烏賊を焼いてもらい、本を読みながらビールを飲む。ウミネコの不吉な影か、雲行きが怪しくなってきた。

バスに乗って駅へ戻るとちょうどやってきた列車に乗った。三陸鉄道。海に沿って走る車窓風景にはいくらか期待してきたのだが、8割がトンネルのなかを進むため景色は晴れない。トンネルを出てカメラを構えようとするともう次のトンネルに入っているという車窓には、徐々に雨があたりだした。

八戸は新幹線工事中
八戸は新幹線工事中

三陸鉄道の終点、久慈で駅前を歩いてすぐにすることもなくなったので、そのまま八戸まで出た。陸中海岸を北上するという、今回の旅の目的は5連休中3日目にして終わってしまった。雨に降られるなどして途中下車がほとんどできなかったため、進みすぎてしまったのだ。

郷土料理せんべい汁定食を食べながら、このまま青森へ北を選ぶか、盛岡方向か迷う。ふと、『スキップ』のなかで宮沢賢治の名が出てきたことを考え、花巻という手があると思い至る。新幹線が延びるともっと発展するだろう八戸を後にし、今晩は盛岡まで出て宿を取ることにした。

盛岡のホテルで落ち着いてから、深夜の街を徘徊し、冷麺屋で夜食。土曜の夜だからそれなりに賑わっていて、陸中海岸を登ってきた目で見ると盛岡は大都会に見える。長く若者に会っていなかったような気もして、あるいは人恋しさもあり、行き交う人たちを眺めた。

2002-03-24(4日目/日曜日)
宮沢賢治ゆかりの花巻

宮沢賢治童話村でその世界を体感
宮沢賢治童話村でその世界を体感

盛岡は朝にすぐ発って花巻へ入る。駅前の観光案内所に地図をもらいに入ると、記念館行きのバスがもうすぐ出るので乗れ、といわれる。反抗的な気分でそのバスを逃し、地図を見ながら行き先を検討してみると、やはり見るべきものは宮沢賢治記念館とその周辺のようだった。

列車で新花巻まで出て歩き、宮沢賢治童話村へやって来た。賢治のもつ世界観・宇宙観を再現した「賢治の学校」という建物を中心に広がる公園で、さらに広げるための工事を片隅で行っている。

宮沢賢治の著書は読んだことがない。だからここで初めて彼のメンタリティーにふれることになる。ところどころ朴訥で、時にメルヘンで、唐突に深遠なる世界。来訪者のほとんどは彼の本を読んでないのではないかと思われるが、みな楽しそうだ。

賢治の学校はいろいろな趣向が凝らされていて、ファミリーできてもカップルでも、特にニヒリスティックになることなく楽しめるのではないかと思われる。無精ひげをぶら下げた30手前の男が一人で歩いて気恥ずかしさを感じないといえば嘘になるのだが、それでも見入ってしまうものはあった。

宮沢賢治記念館にはいろいろな展示品が
宮沢賢治記念館にはいろいろな展示品が

童話村のすぐ横に宮沢賢治記念館がある。遺品や遺稿を展示する。中央のミニプラネタリウムががなかなかに洒落ている。展示もしっかりしていて「宮沢賢治を読んだことがない」という言い訳をしてはいけないのではないかと思う。やはり読まねばならない。

「注文の多い料理店」たる山猫亭を再現したレストランを併設していて、おそらくそれっぽいメニューを供しているのだろう、ひどく混んでいる。腹が減ったのでそろそろ昼時かと思われるが、ここには入れず、近くのそば屋で飯にする。

花巻駅へバスで戻り、門だけがさりげなく再現してある花巻城跡へ。ただの草地である本丸跡に佇んでいると粉雪が降りてくる。向かいにあるイトーヨーカドーで書店で新潮文庫『新編 銀河鉄道の夜』を買った。この町で読みきってやろうと思う。彼に敬意を表しながら。

雪が止むのを待ってからイギリス海岸を目指して歩き始めた。

どのへんがイギリス海岸?
どのへんがイギリス海岸?

賢治が「イギリスの白亜紀の風景に似ている」と言ったことから名づけられたイギリス海岸。海岸とはいうものの実際には河岸になる。どこのアングルがイギリスに見えるのか皆目わからずうろうろしてしまう。その由来を記述した案内板が立つのだが、そこに添付されている写真の場面が、どう考えても周辺にないのだ。

まぁいいかと適当なところに座り、買ったばかりの『銀河鉄道の夜』をめくった。寓意豊かな短編群で、説法的用例が気にはなるものの、それなりには読める。

駅へ戻ろうと歩いているとブックオフを発見し、小1時間滞在。東北では古着は古本屋で買うのだろうか? 古着のほかにスロットマシンなんかも売っている。3万円ほどの値札がついていた。

鉛温泉藤三旅館に投宿
鉛温泉藤三旅館に投宿

花巻は温泉の町としても知られる。いくつもの温泉が点在し、花巻温泉郷をなしている。今日は温泉に泊まりたいなと思い、駅から電話をして宿を確保、バスに乗る。

まだ雪の残る山間へとバスは進む。そのどんづまりに鉛温泉の1軒宿、藤三旅館がある。湯治場の風情いっぱいで、ひなびたところだ。旅館部と自炊部に分かれ、ぼくは旅館部へ入ったのだが、自炊部では長逗留の人がいるらしい。

ぎしぎし軋む木造三階建てで、二階の客室へ案内された。このフロアでは客はぼくだけのようだった。

狭い客室。真ん中に置かれた炬燵はもう温まっていて、住み込みで働いているという仲居さんが、買い物にも1時間かけて町に出なければならないことの不便さを延々と嘆きながらお茶を入れてくれる。窓の下には川が流れている。がたついた木枠の窓を滑らせると、さわさわと水の匂いが聞こえてくる。

鉛温泉白猿の湯はいい風呂だった
鉛温泉白猿の湯はいい風呂だった

ここの名物は白猿の湯という、深さ125センチの風呂だ。岩盤の隙間から湧いてくる源泉を足裏に感じながら、立ったまま浸かる。サイドに腰掛ける部分はあるのだが、この深さで知られるところ。

この湯は混浴になっているのだが、もちろん若い女性は入ってこない。とにかく誰もやってこない。ほかに客はいないのだろうか?

湯の中に立ち、吹き抜けの高い天井を見上げると立ちくらみしそうだ。階段を降りて、地下にあたる部分が浴場になっている、その3階分の高さが広々とした印象を与えているわけだ。階段というのも変わった造りになっていて、廊下を歩いてきて扉を引くと、もうこの湯が見下ろせる位置に出るのだ。そこから階段を降り、湯のすぐ横にヨシズで仕切られただけの脱衣場で浴衣を脱ぐ。だから、女性には厳しいものはあるかもしれない。

湯上りにビールを2本ほど。炬燵の上に料理を並べてもらい、しみじみ静かな温泉を体中で喜びながら夜は更ける。宮沢賢治を5篇ほどたいらげるごとに、また、湯を求めて廊下を歩く。

この白猿の湯のほか、河鹿の湯、龍宮の湯、アトミック風呂とそれぞれ源泉の異なる4種の風呂があり、それぞれを堪能。このなかでは白猿の湯がぬるめということもあり、何度か入った。しかしアトミックってなんだろう?

2002-03-25(5日目/月曜日)
温泉もうひとつ

大沢温泉露天風呂
大沢温泉露天風呂

鉛温泉を出て、バスで少し下るところにある大沢温泉へ立ち寄った。やはり花巻温泉郷のひとつ。宮沢賢治が何度も訪れたという宿。ここもやはり自炊部を備えた湯治対応の宿だが、旅館部はこちらのほうが近代的で、それを風情なしと取るか清潔と取るかで評価は変わるのかもしれない。

風呂はいくつかあるのだが、ここの名物湯、混浴の露天風呂は自炊部を抜けた先にあり、迷路のような廊下を何度も曲がり間違えながら向かう。「大露天風呂」というには通常サイズだけれど、川を眺めてのロケーションは悪くない。向こうの橋から丸見えだが。湯はアルカリが多めで、肌への即効性はありそう。

川の向こう側の建物もこの旅館の別館であり、大きな宿であることが実感できる。鉛の小ぢんまりさとはかなり違う。

大沢温泉の長逗留向け売店
大沢温泉の長逗留向け売店

鉛にもあるのだが、自炊客用に売店が充実している。飲み物や土産品はもちろん、野菜や肉なんかも売っていて、ここで食材を求めては自炊するわけだな。

ビールを買って飲む。

バスで花巻駅まで出ると、ちょっとバスが遅れたからか、目当ての列車に乗れず、遠野へ出てみようかと思っていたプランを断念して東京に向かう。

鈍行で行こうととりあえず一関までで下車し、昼食と散策。湯疲れしていたこともあり、ここからは新幹線に乗って眠って帰った。(了)