鶴岡・酒田、豪商たちの豪邸めぐり

行程

[山形・新潟/鶴岡、酒田、新発田] 日本海沿いに山形を北上。新発田、村上、鶴岡、酒田。地味なエリアだからか、ゴールデンウィークなのにあまり人はいませんでした。
「鶴岡・酒田、豪商たちの豪邸めぐり」地図
2005-05-03
東京―新発田
2005-05-04
新発田―村上―鼠ヶ関―鶴岡
2005-05-05
鶴岡―酒田
2005-05-06
酒田―余目―東京

旅行記

2005-05-03(1日目/火曜日・祝日)
新発田の城下町散歩

堀くらいしかないけど新発田城
堀くらいしかないけど新発田城

学生時代にもなんとなく立ち寄ったことがあるのだけれど、今回もなんとなくやってきた新発田(しばた)。私(芝田)とは何の縁もないんですが親近感を感じる町です。「しばた観光親善大使になりませんか」なんてポスター見てもちょっとどきりとします。しかし駅前はひどい寂れようで、正面のミスタードーナツが潰れたまま店舗放置されてたりして。

「北朝鮮事情に詳しい作家」ということでテレビに呼ばれたりしてる村上龍の監督映画「限りなく透明に近いブルー」でデビューした三田村邦彦が新発田の出身だそうで。ってもう遠すぎて何を言ってるのか分かりませんが。

とりあえず市内観光に。駅で入手した観光マップはやたらデフォルメされてて道がよく分からず、飲み屋街に迷い込んでうろうろ。前方から歩いてきた家族連れに「新発田城ってどこにあるんでしょう?」と聞かれる。あらら、僕も新発田城へ向かってるんですよ……。

「一緒に探しましょう」というのも面倒なので、「健闘を祈る」とかなんとか言いながら家族連れとは別れ、しばらく歩いたら発見しました。新発田城。写真のような堀と、門、櫓が立ってます。城であった敷地のほとんどが陸上自衛隊駐屯地となっていて、櫓から並ぶジープや施設が見下ろせる。そのなかにもしかしたら現在もお侍さんがいるのでしょうか。

東屋から眺める清水園
東屋から眺める清水園

さらに歩いて清水園へ。新発田藩の下屋敷であったところで、美しい庭園があります。メダカがピチピチ跳ねるのを眺めながら東屋で休む。紅葉の頃が一番美しいかもしれない、と思います。学生時代に立ち寄ったときにもこの清水園だけ見たはずなんですが、記憶に残っていません。10年も前のこと。冬だったような気もします。

もう陽が傾いてきました。ノートPCを開き、今後の予定を思案。今回の旅ではとりあえず山形県の酒田までゆるゆる北上しようと、新潟経由で酒田までの切符を買ってあります。今日中に鶴岡まで出てしまうかどうか迷っていたのですが、鶴岡までの道中でも立ち寄りたいものがあったので今日は新発田で宿泊することに決めました。

清水園の向かい側には足軽長屋があります。とはいうものの長屋がでんと置いてあるだけで「ふーん」という程度でしょうかね。

宝光寺の山門にくっついてる狛犬
宝光寺の山門にくっついてる狛犬

そばにある宝光寺は新発田藩主の菩提寺。山門の梁には狛犬がくっついています。どことなく微笑んでる愛嬌のある表情。

駅に戻ってホテルへ電話し、空き部屋見つけてチェックイン。荷物を置いて夕食を食べに出ます。寂れきった駅前商店街へ。この後向かう鶴岡も酒田もそうですが、繁華街が駅から離れているというか繁華街が駅まで届いてないというか、駅前はしょんぼりしてるところが地方の都市では多いですね。駅前の交通至便なビジネスホテルに泊まるとこういうところで困ります。

新幹線で読み始めた白石一文『僕のなかの壊れていない部分』をホテルで読了。結構気に入ったので満点つけるかもしれません。

2005-05-04(2日目/水曜日・祝日)
お祭りの鼠ヶ関ウォーク

イヨボヤ会館。鮭まみれ
イヨボヤ会館。鮭まみれ

朝の電車に乗って北上、1時間の接続待ちのある村上で下車。

鮭専門の博物館、イヨボヤ会館へ立ち寄りました。実際の河川の中をガラス越しに覗ける半地下の展示部屋が鮭遡上の時期(秋か)にはすごいことになるんでしょうが、この時期は小さな川魚が見られる程度でした。それよりも稚魚がみっちり高密度で詰まった水槽が圧巻。

鮭漁や鮭料理についても紹介されてる。「かわいいね」って言うだけじゃなくって「喰うもんなんだよ、鮭は」という思い切りのよい展示です。

念珠関址の碑
念珠関址の碑

会館裏のサーモンパーク(鮭公園)で日向ぼっこしてるうちに時間になったので駅へ戻り、さらにしばらく北上した鼠ヶ関(ねずがせき)で下車。古い関所の跡で、現在でも新潟と山形の県境です。

民宿の庭先にある関所の跡は石碑が立つのみ。関所は17世紀に移転してて、ここは近世の関所跡。勧進帳の舞台とも言われる古代の念珠関は違う場所らしい。

次の列車まで3時間近くあるので、付近をちょっと歩いてみる。港町です。昼食とれるところも見つけなきゃ。なんだか太鼓の音がするな、お祭りの練習なんだろうか。

大漁旗フェスティバルどんどこどん
大漁旗フェスティバルどんどこどん

と思っていたら練習ではなく本番でした。大漁旗フェスティバル。誰もいない港を寂しく歩く絵を想像して来たのですが、結構な賑わい。牡蠣焼いてたりイカの一夜干しが叩き売られてたり。

漁港の横は人工の岩場と砂浜が整備されたマリンパークとなっていて、そちらも人がいっぱいです。しばらくベンチで戸梶圭太『闇の楽園』を読んでたんですが、騒々しくて落ち着かなかったのとお腹もすいてきたので去る。

近くの寿司屋に入るといっぱいで座れません。祭りだと知らずに来てしまったのですべて予定外です。静かな駅(無人駅です)に戻って休もうか。よぼよぼのおばあさんがやってる酒屋でメロンパンと缶ビールを買って、駅のホームに座り込んでの昼食。

まだ列車時刻まで1時間あるというところで読書に飽き、隣駅まで歩いてみることにします。東京の一駅とはわけが違うけれども、多分5~6キロ、1時間あればたどり着けるはず、と。

海岸に沿って国道をわしわし歩く。左手に変化のある海岸線、右手に山と畑を眺めながらで楽しい。小岩川の町に入って右手奥に駅舎のようなものがちらりと見えたのですが「→小岩川駅」というような道路標識がなく、あまり道に迷ったりしてる時間はないのでちょっと不安に。まぁ行ってみようと国道を折れしばらく歩くと小岩川駅に到着。ほどなく滑りこんできた列車に乗れました。よかった。

どうせやるなら鼠ヶ関のひとつ手前の駅から、歩いて関所を越えるなんてことをしてもよかったんですが、突発的試みということで。

鶴岡到着。駅周辺を散策し、さきほど1時間歩いた疲労も出てきたのでホテルへ。全室にLANが来ているα-1で、フロントに借りたLANケーブルでノートをつなぐと快適なネット環境。嬉しいね。『闇の楽園』が厚くてなかなか読み終わらず難儀しながら眠る。

2005-05-05(3日目/木曜日・祝日)
鶴岡・酒田、商人たちの夢の跡

致道博物館にある旧西田川郡役所
致道博物館にある旧西田川郡役所

バスで鶴岡中心部へ出、致道博物館に。洋風建築の旧西田川郡役所、茅葺の民家建築、庭園を抱く大名屋敷、ゴッホ風タッチの絵画も収める美術館なんかが集まった、バラバラな印象の敷地。その分、ここだけで鶴岡のいろんな名所を見終えたような気がしてきてしまいます。

史料としても価値のあるものが並んでいるので総じて行って損はないです。特に民家建築はぐっときます。水場になみなみと水が溢れていたり、藁で作った馬の人形(精霊馬。お盆には先祖霊がこの馬に乗って帰ってくるらしいです)が煤けてたり、生活感が残っているようで。

鶴岡公園にはまだ桜が
鶴岡公園にはまだ桜が

鶴ヶ岡城址である鶴岡公園は桜の名所ですが、もう葉が出ているもののまだ花が残ってます。吹奏楽部員が練習してたりする平和な公園です。

園内片隅に立つ大宝館では郷土の作家や偉人が紹介されてます。「藤沢周」って検索しようとしてよく間違って引っかかる藤沢周平や、高山樗牛、田沢稲舟なんかが。

藤沢周平に関しては作品に登場する市内の各ポイントに案内板が立ってたり、書店でもひとコーナー設けられてたり、鶴岡の作家といえばまず藤沢周平というムードです。でもあまり惹かれてない作家なので訪ねたりしません。

庄内藩校致道館
庄内藩校致道館

鶴岡公園のはす向かいにあるのは庄内藩校致道館。藩校の跡で、講堂などが残っています。当時の世界地図や教科書(論語)など教育資料も展示されていて目を引きます。

建物は復元されていないものの、裏手にもいろんな施設の跡地として広いスペースが公開されています。

ここもそうだしさきほどの大宝館もそうなんですが、入館料が無料で、その代わりに住所・氏名・ミニアンケートの記入が必須になっています。金取っていいからそんな面倒なもの書かせるなよと。藩校入り口では他の人が書いてた隙に強行突破したのですが、見終わって出るときに捕まりました。「お客さん、まだ書いてませんよね」って。よう見てるなぁ。

とんがり帽子の鶴岡カトリック教会天主堂
とんがり帽子の鶴岡カトリック教会天主堂

ひとつひとつ形状の違う凝った橋のかかる内川沿いに歩くと鶴岡カトリック教会天主堂があります。庄内藩家老の屋敷があった場所だそうで、立派な武家風の門構えをくぐった先、右手に幼稚園、左手にロマネスク様式の流麗な教会が立つ、不思議な空間です。

内部には世界的にも珍しい黒いマリア像があって、日本ではここだけのものだとか。黒いというか、褐色の肌ですね。推量で物を言ってたら怒られるかもしれませんが、これってアフリカ系の多い地域や中東で「自分たちと同じ肌のマリア」という信仰のされ方をしたものじゃないんでしょうか。なぜ日本で黒いマリアなのか、その経緯はよく分かりませんでした。

真っ黒な肌だった頃のことを悔いてる女の子はとりあえずお祈りに行っとけ、って感じですかね。

ベネディクト16世に拍手する天使
ベネディクト16世に拍手する天使

聖堂入り口のホワイトボードに新教皇ベネディクト16世誕生をお祝いする天使が書いてありました。タイムリー。可愛くて思わず撮ってしまいました。

いま「ベネディクト16世」でぐぐってみたらもう7万件もヒットする。すごい世の中になったものですね、しみじみ。そのうち8割近くが「法王」って言ってるけども、カトリックでは「教皇」と呼ぶんだということを改めてここで確認。

旧風間家住宅丙申堂
旧風間家住宅丙申堂

教会の一本北の通りには旧風間家住宅、丙申堂があります。豪商の邸宅ですね。非常に細やかな手入れをされているらしく、まだこのまま人が住めるような環境です。台所の板の間のきしみ方も好ましく。各部屋の襖を放ってるせいなんでしょうが、すごく明るくて、日本家屋の湿った暗さがない。

写真、逆光になっちゃったけど屋根の感じも素敵なんですよ。こんな家ほしいなぁ。

奥にはダイヤルが数字じゃなくて「イロハニホヘト……」になっている古い金庫もあります。

猫がいると撮りたくなる
猫がいると撮りたくなる

鶴岡は致道博物館から丙申堂まで、歩いてすぐの非常に近いエリアに固まっているので観光には便利。もうちょっと時間がかかるかなとも思ったんですが、午前中半日で見終わってしまいました。

ちょっと離れたところに「アマゾン民族館」なんて毛色の変わったものもあるんですが、まぁそれはいいかな、と酒田まで出てしまうことにします。

ちなみに旅行ガイドブックは使っていません。駅の観光案内所でもらえる観光マップ片手に歩いてます。プラス、ネットの情報。出版不況うんぬんで嘆いている暇があるならガイドブックの1冊や2冊率先して買ってもいいわけなんですが、なくても問題ないんですよねぇ。

猫の昼寝を邪魔したりしながら駅に向かって歩き、10年前の本が10年分の埃を積もらせたまま棚にささってる本屋を覗き、途中の小汚い食堂で親戚の家に呼ばれたような昼食を取り、食堂のおばあさんに持ってけとせんべいを持たされ、列車に乗ります。

本間美術館
本間美術館

ほどなくやってきた酒田。駅の近くから徐々に遠くへ見ていくことにして、まずは本間美術館へ。

正面には美術品を展示する新館があり、庭園(鶴舞園)を見ながら歩いた先に写真の本館があります。酒田の豪商、本間家の別荘です。庭とセットで美しい絵になります。

建物も、ちゃんとデコボコした古ガラスを入れてたりして、当時の様子を守っています。つるんとしたガラスじゃなくって、向こう側の風景が歪んで見えるような古ガラスがはまっているだけで、なんともいえぬ味が出ますね。

文人との交流を示す展示品のなかに谷川俊太郎による詩の色紙もありました。……という「旅と現代文学。」な話題があったら余さず取り上げないと。

酒田市立資料館の「昭和の家」
酒田市立資料館の「昭和の家」

いったん駅へ戻って反対側へ行くと清亀園があります。こちらは酒田では本間家に次ぐ豪商、伊藤家の別邸です。なんだか豪邸ばかり見てるような旅ですけれど。建物には入れないのかな、とりあえず庭だけ歩いてきました。

さらに歩いて酒田市立資料館(写真)。民俗資料が充実。特に酒田大火の記録展示が興味深いです。強風に煽られて市街が一晩で焼け落ちたさまが地図や写真で詳しく紹介されています。今だったらここまで延焼はしないんでしょうけれど、火の用心はしっかりと。

この日は「竹とくらし展」でしたけれど、企画展示も力が入ってます。

本間家旧本邸
本間家旧本邸

本間家旧本邸。このあたり一番の財閥だった家なわけですね。

室内で刀を振り回せないように鴨居が低く造ってあるんですよとか、欄間が抜けてるのも密談防止のためなんですねとか、団体客に説明してる案内係の話を横で聞く。士分ももらった商家として抜かりないですね。鶴岡の丙申堂では「ここに住んでみたいな」と思わせる落ち着きがあったのですが、本間家のほうはもう少し硬質な、ピリピリした空気がある感じです。

通りを挟んで向かいには「店(当時の店舗)」があります。

この辺で夕暮れ、時間切れとなったため、そばのホテルに入りました。荷物を置いて夕食に出るかなと思っていると、廊下でおばさま方の声がする。「バスタオル持った?」「あら嫌だ、忘れちゃったわ、ガチャガチャ(閉めたドアをまた開ける音)」なんて言ってます。ホテルに大浴場なんてなかったよな、付近に温泉でもあったんだっけ?と思って調べると、ほど近いところに日帰り入浴施設があるらしく。僕もタオルを持って出、食事の後に温泉に向かうことにします。

そば・うどん・ラーメンの店に入ると椎名誠のサイン色紙が(なぜか2枚も)飾ってある。へぇ、椎名誠お気に入りの店なのか、と思いながら「天ざるとビール」と頼むと、「蕎麦もうどんも終わっちゃったんです」と言う。要するにラーメンしかないらしい。じゃチャーシューメンを……。と頼んで待つと、全然ビールが出てこない。そばと一緒にキャンセル扱いにされちゃったんでしょうか。しょんぼりしつつ椎名誠サインをよく見ると「ワンタンメン」という文字が添えられてる。ワンタンメンにすればよかった!と後悔しながら、ビールも飲まず出てきたチャーシューメンを食べました。

スパ・ガーデンで温泉
スパ・ガーデンで温泉

立ち寄り温泉はここ、スパ・ガーデン(※2015年3月閉館)。単純温泉。露天風呂(子供たちが泳いでたけど)やサウナ(混んでたので入れなかったけど)もあり悪くない。

風呂上り、ホテルへ戻ってビール。夕食時に飲めませんでしたからね、ここで挽回しないと。

しかし、初日からどのホテルも予約なしの当日飛び込みなのですが、ゴールデンウィークだから数件電話してようやく空き部屋が見つかるという状態を想像してたのにみな1軒目で入れました。観光客全然来てないんでしょうか。

2005-05-06(4日目/金曜日)
山居倉庫を訪ねて酒田後半戦

ホテルから眺める山居倉庫
ホテルから眺める山居倉庫

翌朝。ホテルの窓から、これから訪ねるつもりの山居倉庫が見えます。

ちなみにこのホテル、全館無線LANに対応とのことだったのですが、設定がうまくないのか電波が弱いのか、ほとんどつながりませんでした。一番端の部屋だったからでしょうか。なかなかモバイルに適した社会になってくれませんね。

ともかくチェックアウトして改めて酒田観光へ向かいましょう。ホテル正面にある、当時を模した橋を使って川を渡ると山居倉庫です。

山居倉庫のよく知られた風景
山居倉庫のよく知られた風景

山居倉庫。このアングルの写真は酒田観光の代表風景としてよく見かけます。確かに絵になりますが、ようは米倉の裏側なんですよね。表より裏のほうが有名ってのはいかがなものかとも思います。

この写真の手前側は塗りなおされたようなキレイな黒壁なんですが、この奥の倉庫はもうちょっと汚いです。それはそれで味があるので、どちらの写真を使うか迷ったんですがこちらに。

米倉としてもまだ実際に使われているようで、業者のトラックが米袋を積み込んだりしていました。それにはちょっと驚きです。

庄内米歴史資料館には怖い人形
庄内米歴史資料館には怖い人形

倉庫を使った米の博物館、庄内米歴史資料館。山居倉庫の一角は「酒田夢の倶楽」としてギャラリーやレストラン、ショップなどが整備されているんですが、そこには混ぜてもらえないのか離れてオープン中です。

庄内での米作りの歴史が資料として展示されているほか、人形を使って農作業の風景が再現されています。リアルすぎで怖いです。この人たち、客がいないときには姿勢崩して休んでますよね、絶対。あー腰痛い言うて。

旧鐙屋にも怖い人形……
旧鐙屋にも怖い人形……

こちらもまた商人の邸宅です、旧鐙屋。廻船問屋ですね。昨日寄った本間家と同じ通りにあります。この通りが昔からのメインストリートだったんでしょうか。

帳場や台所で人形での再現があります。やっぱり怖いけど。なんだか豪邸見るのもお腹いっぱいになってきました。

屋号としては鐙屋、苗字は後年鐙谷を名乗ったそうですけれど、当然というかご子孫はいらっしゃって、やっぱり地元の名士だったりします。自分の数代前の先祖が暮らしてた建物が観光用に展示されているのってどんな感じがするものなんでしょうね?

酒田の猫。あまり歓迎されてない
酒田の猫。あまり歓迎されてない

疲れたのでしばらく猫を観察して和む。ちょっと警戒されてるようですけれども。

猫と分かれて海向寺に向かう。ここには即身仏が安置されているんですが、インターフォン押して係りを呼ぶように書いてある。収蔵庫開けてもらって見に行くだけの信仰もなかったので本堂に参拝しただけで戻ることにしました。住職にいろんな解説していただくのもつらいものがあると思って。

日和山公園に浮かぶ千石船
日和山公園に浮かぶ千石船

酒田港が見下ろせる広い公園、日和山公園へ。文学碑が点在してます。

千石船の1/2模型が池に浮かんでいて、その向こうには白亜の灯台。その横にはポニーが飼われてたり。いろいろある公園です。

さて。そんなこんなでお昼。今日帰宅するのであればそろそろ帰り支度をすべき時間です。ゴールデンウィークはまだ残ってるのでもう1~2泊はできると迷い気味だったんですが、天気予報で明日雨らしいというのでやっぱり帰ることに。ルートとしては余目から陸羽西線に乗って新庄へ、それから新幹線で東京へという切符を買って、なんとなく庄内、余目で途中下車。

余目絵画展示館
余目絵画展示館

地元作家の水彩画を収蔵する余目町絵画収蔵館。図書館に併設されていて、図書館職員に頼むと開けてくれます。また民家の一部を改修して造ったような耐雪書道美術館は閉まってました。その辺ぶらぶら歩いて駅へ戻る。

駅の横にある中途半端な広さの公園で本を読んでたのですが、本が吹っ飛びそうなくらいのすごい風になってきました。駅待合室へ移動。

新庄行きの列車は強風のため遅れていて、徐行運転でゆるゆる進んだんですが、途中の狩川で完全に止まってしまいました。某線の事故からまもないので安全を取ってるんでしょうね。運転手(ワンマンだから運転手=車掌ですね)が乗客ひとりひとりに行き先を聞いて歩いてる。

『闇の楽園』を読み終わり、宮本輝『天の夜曲』に入ってもまだ動かない。もしやここで夜明かしか?とも思ったんですが、なんとか運転再開し、1時間遅れで新庄到着。なんとかその日中に東京へ帰ることができました。

今回の旅では5冊の本を持って出たんですが、2冊半しか読めませんでした。すみません。(了)