肥薩線で霧島へ。鉄道も温泉も山登りも。

行程

[福岡・熊本・宮崎・鹿児島/高千穂峰、人吉、八代] 熊本は八代から鹿児島方面へ縦断する肥薩線。風光明媚な路線として知られる肥薩線に乗ってみました。霧島は高千穂峰へ登ったりもします。
「肥薩線で霧島へ。鉄道も温泉も山登りも。」地図
2005-10-23
東京―博多
2005-10-24
博多―八代
2005-10-25
八代―一勝地―人吉
2005-10-26
人吉―吉松―国分―都城
2005-10-27
都城―高千穂峰―丸尾温泉
2005-10-28
丸尾温泉―霧島神宮―鹿児島
2005-10-29
鹿児島―東京

旅行記

2005-10-23(1日目/日曜日)
博多まで半日の移動日

昼に東京を出、新幹線に延々乗って博多まで。着く頃にはもう夜です。

ホテルに荷物を置いて、駅前にあったブックオフへ。文芸単行本棚は、もうこの新刊並んでるのかよ、早っ!と四度ほど叫んだ充実ぶり。文庫を1冊購入しました。それから近くにあったラーメン屋へ入って夕食。ホテルへ戻って明日の旅程を考えながら眠ります。

2005-10-24(2日目/月曜日)
とりあえず八代に向かう

前川の川べりでだらだら
前川の川べりでだらだら

セイタカアワダチソウの黄色が一面に広がる車窓にきれいねーって言いながら、鈍行で南下します。大牟田で乗り換えついでに立ち食いうどん。熊本で途中下車しようかどうか迷ったけどそのまま終点八代まで乗っていきます。

書店に入ってるるぶとまっぷるを見比べて、でもどちらにも八代の地図が載ってなかったので買わず、ノートPCでGoogleマップを開いて周辺地理を頭に入れてからぶらぶら歩きます。川べりへ出たので光る川面を見ながら腰を下ろし、しばらく読書時間にします。

球磨川から分かれたばかりの支流、前川。河口に近いぬるい川で、清涼感はないのだけれど、のんびりするのは好適です。堰の前には釣り人が。サギがときおり波紋を立てて魚を狙っています。

こぢんまりした八代城跡
こぢんまりした八代城跡

学生の頃に八代へは来たことがあります。夜に着いて、野宿して、駅のトイレで顔を洗っていたら職務質問されて、そのまま列車に乗って離れた……ので、何も観光などはしていませんでした。陽も傾いてきたけど、今回は観光もしておくことにしよう、と立ち上がります。

みどころの集中する市街中心部は駅から20分以上歩いたところにあります。八代城跡は本丸が神社になっているほか、石垣と堀が残るのみ。そばのみどころ、松浜軒は定休日。向かいの博物館も定休日。それではちょっと心残りなので、今日は八代に泊まり、明日の朝また来てみることにします。

「水辺のプロムナード」にあった変なベンチ
「水辺のプロムナード」にあった変なベンチ

周辺をぶらぶら、城のお堀へ球磨川から水を引いているという用水沿いに造られたプロムナードを歩きます。アステカ文明風というのか、正体のよく分からないベンチが置かれていまして、下校途中の中学生とすれ違う日常風景のなか、ベンチだけ異質な感じです。

夕食に庶民的な定食屋に入り、メニューを見ながらカツ丼とそばのセットを、と頼むと驚かれました。奥の厨房で「そばどこにあったっけ?」と捜索している声が聞こえます。うどんがメインの店なんでしょうか。あるいはうどんがメインの土地柄なんでしょうか。昼がうどんだったので、夜はそばに、というだけだったのですが。

2005-10-25(3日目/火曜日)
球磨川を遡って進む

無料公開中になっちゃってた松浜軒の庭園
無料公開中になっちゃってた松浜軒の庭園

八代の朝。昨日は休みだった、松浜軒の庭を散策しにいきます。現在は埋め立てが進んで内陸になっていますが、当時は海辺にあったという城主松井家の別邸庭園です。現在も松井家ご子孫が住んでいる住居でもあるらしいですね、すごい。

入園料が必要なはずなんですけど、受付に誰もいらっしゃらなくて、何度呼んでも応答がないため、結局そのまま入ってしまいました。花の季節ではないのでやや彩りに欠けるという点、掃除の方々が多すぎる点を差し引いても、趣ある庭園です。園内の稲荷社へ供え物を運んでいるらしき方(松井氏?)にすれ違っても呼び止めもされず、なんだか恐縮しながらそのまま出てきてしまいました(帰り際も、受付に人はいなかった)。ごめんなさい。

「外観凝りました」風の未来の森ミュージアム
「外観凝りました」風の未来の森ミュージアム

道を挟んで向かいには八代市立博物館、未来の森ミュージアムがあります。「大名細川家」展をやっていて、文武史料が並んでいました。なかでも織田信長が細川忠興に送った感状は、信長の自筆が確認できる史料としては日本で唯一のものなんですって。強烈なオーラがありましたね。

古代から現在に至るまでの八代の歴史を見せる常設展示部分はやや散漫かなと思いましたが。

20分ほど歩いて(バス便もあるけど本数が少ない)八代駅へ戻ると、乗ろうと思っていた列車は出たばかり、次は1時間後だとか。がっかりして待合室で昼食にします。

球磨川に沿った肥薩線へ
球磨川に沿った肥薩線へ

肥薩線は球磨川沿いを走る気持ちのいい路線です。しかしトンネルも多く、車窓を楽しもうとするとすぐ暗転になってしまいます。鹿児島本線(現・肥薩おれんじ鉄道)ができるまではこの肥薩線が熊本と鹿児島を結ぶ大動脈だったらしいんですが、今では存続の危ぶまれるローカル線となってしまっています。そのぶん、静かな山村を抜ける旅情が楽しめるラインではあります。

途中、球磨町の一勝地駅で下車しました。その駅名にあやかって、受験や勝負事にご利益があるお守り……風の入場券を駅で販売しています。「地に足つけてまず一勝」。昔の愛国駅→幸福駅みたいなやつですね。

立ち寄り温泉、一勝地温泉かわせみ
立ち寄り温泉、一勝地温泉かわせみ

一勝地で途中下車したのはそのお守りが目当てではなく、温泉があると、昨晩ネットで調べてきたんです。

空き家に、今にも崩れそうな家が並ぶなかを20分ほど歩くと、「一勝地温泉かわせみ」が見えてきます。宿泊施設でもあるけれど、立ち寄り入浴可能な施設です。

すいていたのでゆっくり浸かります。サウナ、露天風呂もあるので何往復かして。アルカリ泉特有の、表皮が溶け落ちるような感覚が気持ちいい。休憩室では何人かが湯上りに横になっていました。

青井阿蘇神社の楼門
青井阿蘇神社の楼門

さらに肥薩線で山間を進み、盆地に出たところが人吉です。熊本県南部の中核都市、沿線では一番の観光地。駅で観光マップをもらい、市内観光に出ます。

駅前にはからくり時計があって、毎時になにやら動くらしいんですが、待ちきれずに離れます。車道をよたよた歩いている犬に声をかけたりしながら歩きます。

まずは青井阿蘇神社へ。806年創建という古社で、どっしりとした楼門が立派。軒下四隅には白い鬼面があり、珍しい様式になっています。カメラのズームで寄ってみるとかなり怖い。鬼瓦と同様に魔除けの役を果たしてるんでしょうか。

楼門もそうですが、本殿も茅葺で重量感があります。鳥居前に太鼓橋が架かる蓮池があるんですが、池が少々汚れていたのが残念です。

幽霊が出たという永国寺の池
幽霊が出たという永国寺の池

次は永国寺。ゆうれい寺として知られます。幽霊の絵が描かれた掛け軸が祀られてるんですよね。本堂で住職の「説法ビデオ」が流されていて、団体客が見ていたので後ろから覗きます。境内の池に現れた幽霊を描いて見せ、自身の恐ろしい容貌を知った幽霊が成仏させてくれるよう願った、といった由来を解説しています。「今はもう出ませんからね」って漫談師のような口調に団体がどっと笑う。さらには「幽霊など本当はいないのです。私たちの心が作り出して見せるものなのです」なんて言っていて、ゆうれい寺としてそんな言い方はないんじゃないかと思いました。幽霊絵は写真に撮っちゃいけないような気が出ていたので避け、「出た」という池の写真を貼っておきます。

生活の湯としての人吉温泉元湯
生活の湯としての人吉温泉元湯

人吉は温泉の町でもありまして。市内には数多くの温泉銭湯があり、スタンプラリーもやっていました。そのなかの人吉温泉元湯へ。水道(カラン)の設備もないような古いタイプの湯で、近所の爺さん方が床に座って小さな湯船の湯を頭からかぶったりしています。もちろん観光施設じゃなくって生活のなかの銭湯なわけで。鄙びたいいムード。

僕は本日2湯目でもあるので、湯船に浸かってうぃーとか言うのみ。やや熱めの湯ですが、掛け流しになっていて、肌触りもいい。湯の花なのか汚れなのか微妙なものがたくさん浮いている。もちろん湯の花だとは思いますけど、一緒に入っている煮干のような爺さんに囲まれて入っていると断定する自信はなくなってきます。

石垣が残る人吉城跡
石垣が残る人吉城跡

さらに歩き、元湯からほど近い人吉城跡へ。一部神社となっていて、境内に鴨が大勢たむろしていて驚きます。城域は案内板がしっかりしていて、読んではなるほどと思い、往時の姿を求めて辺りを見回すのを繰り返していました。本丸が居住スペースではなく祭祀中心の場だったという話も面白い。

本丸にある東屋は、まぁよくあることですが、落書きで埋まってました。そんで、天井に名前とともに「6さい」って書いてある。どう考えても6歳の子供が届く高さではないので、親が持ち上げて書かせたんですかね? どうなんですかね、それ?

人吉城跡から見るきれいな夕陽
人吉城跡から見るきれいな夕陽

そうこうするうちに日が暮れてきました。昨晩立てた予定ではもう少し先まで行く予定だったんですが、今日はここまでにしましょう。「温泉の付いたシティホテル」という惹句の朝陽館を訪ねてみると、ちょうどキャンセルが一つ入ったところなんですよ、といって和室に通されました。

和室も洋室もあり、温泉大浴場もあったり、フロントの方のおせっかいも含めて旅館的なシティホテルでした。悪い意味ではないです。フロントで「明日は山線ですか?」と尋ねられました。「え?」と「ええ」の中間くらいの曖昧な返事でその場は収めつつ、後で調べてみると、肥薩線の人吉から八代方面を川線、吉松・隼人方面を山線と呼ぶらしいですね。肥薩線に乗りたがるような鉄道マニアには常識なんでしょうか。

夕食は近所のうどん屋で天丼。近辺は飲み屋街で、「そんなに呑みたいわけじゃない、ビール1本くらいはつけるけど、普通に夕食を取りたいだけ」が主体の僕には困るシーンです。それも一人旅となるとなおさら。選択の幅はあまりなくってのうどん屋ということになりました。

2005-10-26(4日目/水曜日)
日本三大車窓に逢いに

SL展示館がある矢岳駅で停車
SL展示館がある矢岳駅で停車

「あれ、(山線の発車時刻まで)まだ時間ありますよ?」と怪訝な顔をされながらチェックアウトし、人吉駅裏にある洞穴群を見に行きました。岩盤に掘られた古墳で、矢筒や動物などの装飾が彫り込まれているのが特徴だとか。

そんなわけで満を持して山線。人吉を出てほどなくループとスイッチバックというマニア受けの仕掛けがあって、右を見たり左を見たり忙しい。山越えの観光列車となっていて、「景色を楽しめ」とでも言うようにところどころ停まる。SL展示館がある矢岳駅には15分ほど停車、暇な乗客がわらわらと降りて見に行く。僕も釣られて見に行きます。というか車内には誰も残っておらず、乗客全員が鉄道マニアである可能性が浮上します。

日本三大車窓は霧に煙る
日本三大車窓は霧に煙る

矢岳駅を過ぎた少し先に、篠ノ井線(長野)姨捨、根室本線(北海道)旧狩勝峠と並んで日本三大車窓と言われるポイントがあります。ここでも停車し、写真を撮らせてくれます。キャビンアテンダント(?)が「こちらが日本三大車窓でございま~す」ってプラカードをもって車内を練り歩く。あいにく天候が悪く、山並みが霞んでて残念。姨捨が素晴らしい眺望だったので、天気のせいではありますが、姥捨てに軍配か。

その先の真幸駅ホームには「幸せの鐘」がありまして。「少し幸せな人は1回、それなりに幸せな人は2回、すごく幸せな人はいっぱい鳴らしてください」みたいなことでした(うろ覚え)。鳴らしたい人は停車中に駆け下りてゆきます。みんな2回しか鳴らしてないようでした。僕は鳴らしには行きませんでしたが、それにしても、やっぱり観光路線。

国分駅ホームにいた猫
国分駅ホームにいた猫

吉松駅で乗り換えのため下車。鉄道基地として栄えた頃を偲ぶように、駅横には鉄道資料館が設置されていました。昼食をとろうと歩いてみるけど何も無かったので、再び列車に乗って、日豊本線に接続する肥薩線終着駅の隼人まで出ました。その後、宮崎方面に少し進んだ国分駅でも下車。そのどちらかで(忘れた)ラーメンの昼食。写真はそのどちらかの(たぶん国分)駅ホームにいた猫。

ぽつぽつと雨が降り出しました。何か面白いものあるかもと宮崎県側に入った都城駅まで進みましたが、雨になると途端に出歩く気分を失ってしまうもので、そのまま早めに宿を取ることにしました。ホテルの部屋で今後の予定をネットで検索するなどし、そばにあったブックオフに入ります。夕食は居酒屋に入って鳥刺。

結局この日は「鉄道」関係しかしてないな。

2005-10-27(5日目/木曜日)
高千穂峰トレッキング

霧島神宮の古社跡
霧島神宮の古社跡

翌朝は綺麗に晴れ上がりました。いったん都城まで来たんですが、あらためて鹿児島方面、霧島のほうに行こうかと。駅に行くと次の普通列車は隣駅西都城どまり。西都城で鹿児島方面の列車に連絡ってしてますかね?と駅員に尋ねると、ないという。「普通列車で鹿児島方面行くんやったら次は13時50分のになるわね」って。今10時ですよ? それはさすがに待てず、次の特急に乗って霧島神宮駅まで行きました。駅前の蕎麦屋で早めの昼食。

高千穂峰に行こうかと思ったんですが、そちらへ行くバスは土日にしか走っていない様子。しようがないのでバス便のある霧島神宮だけ参拝して帰るかと思って駅前の地図看板を見ていたところ、商売上手なタクシー運転手の爺さんに声を掛けられます。話しているうちにタクシーでもいいかなという気になってきて、高千穂峰の登山口、高千穂河原まで走ってもらうこととなりました。

高千穂河原にはビジターセンターがあったり、登山のベースになっています。かつての霧島神宮があった跡地で、鳥居と斎場が残っています。溶岩流で燃えたため、社はここから移されたということなのですね。「山」が御神体であることが、跡地に立ってみるとよりくっきり見えますね。

御鉢へのザレ場
御鉢へのザレ場

天孫降臨の地として伝わる高千穂。「高千穂」という地は実は2箇所ありまして、宮崎県北部の高千穂と、鹿児島県境に近いこの高千穂峰。もっぱら天孫降臨の舞台とされる地は前者のほうなのですが、今日来ている高千穂峰も人を惹きつける強力な磁力があります。一度訪れてみたいと常日頃思っていた山なんでした。

よし、では高千穂峰へ向かおうと。石畳の道をしばらく歩くとひどいザレ場が現れてきました。溶岩性の砂利、小石が、歩くたびにざらざら崩れるところを登る、疲労の激しい急斜面です。道なんてないので適当なルートを選んで取り付く。途中で、これは観光気分で来るところじゃないな、と後悔しましたがすでに遅い。しかもこの斜面を登った先はまだ目指す高千穂峰じゃないみたい。

硫黄臭たちこめる御鉢
硫黄臭たちこめる御鉢

登ったところは御鉢。蒸気の上がる、まだ活動中の火口跡です。荒い息を整えようと深呼吸すると硫黄の匂いを思い切り吸い込むことになります。気持ちが悪くなりそう。あまり長く立ち止まっていてはいけない場所ですね。

さらに遠くに、目的の高千穂峰が見えています。ここでやめて帰ろうかと思いました。「惨敗です。へへ」って旅行記に書けばそれでも成立すると思いました。そのときふと、子供が笑い騒ぐ声が聞こえてきまして、幻聴かと思って辺りを見回すと、高千穂峰のほうから降りてくる一群が見えます。小学生に見える子どもたち。御鉢が集音効果を果たしてるのか、遠くの笑い声がよく響きます。

ここで帰ったら小学生に負けたことになるので、気を取り直して再び歩きます。鉢の縁に沿って半周し、一度少し下ってから高千穂峰へのザレ場、またしても厳しいザレ場がありまして。

天の逆鉾に見とれて
天の逆鉾に見とれて

登山道入口から2時間、ようやく頂上へ到着しました。疲労困憊。頂上には「天の逆鉾」が突き刺さっています。奈良時代にはもうあったと言われ、いつ誰が何の目的で置いたのか謎の遺物。こういう古代ミステリー関係のものが大好物の僕としては、今回はこれが見たくてここまで来たようなものです。何か呪術的な要ではないかと思っているんですが……実物を前にして気配に耳を澄ませてもよく分かりませんでした。

頂上にあった山小屋に入ってみると誰もいない。喉が渇いていたので売り物風に並んでいるなかから缶ジュースを勝手に飲んで一服。1000円札をテーブルに置いて帰り際、山の神かと見まごうような胸までの髭をたらした爺さんが現れ、700円のお釣りをくれました。

下りのほうが危険
下りのほうが危険

何度か滑り転び掌をすりむきながら下山して、先ほどのタクシー運転手から渡されていた名刺を見て電話しました。周辺は霧島温泉郷。やや早めではありますが、運転手推薦の温泉宿に連れて行ってくれるというので、乗せて行ってもらうことにしました。

紅葉時にはここから見る風景がすごいのだとか、積雪時にはこのガードレールにみんなぶつかるんだとか、話し好きの運転手でずっと話してきます。途中、「宿の酒は高いからの」と酒屋の前で勝手に車を止め、何か買えという。運転手お勧めの焼酎を買います。ここまでの料金で確定しとくわ、と勝手にメーターを下ろしてしまったり(実際それからかなり走ったけど、メーター停止時の料金だけを請求してきました)、謎の行動の多い運転手でした。

宿に着くと、「ちょっと待っとれ」といって運転手一人で中へ入っていきます。戻ってきて、通常1万5000円のところ1万3000円にまけさせたと言う。ホントは通常1万円で3000円が運転手の懐に入るのかもしれないなと思ったりもしたけれど、私は元気です。宿は丸尾温泉にある牧水荘。小ぢんまりしたいい宿でした。温泉もぬるめで長湯ができます。

途中で買ってきた焼酎、黒伊佐錦は、鹿児島の夜に合いますね。実はそれまで焼酎は苦手だったんですが、以来、いも焼酎は飲めるようになったし、銘柄として置いてあったら黒伊佐錦を頼むようになりました。旅の思い出補正ですかね。

2005-10-28(6日目/金曜日)
また雨模様の鹿児島地方

霧島神宮
霧島神宮

朝。そういえば霧島神宮をまだ参拝していませんでした。バスで霧島神宮へ出て、参拝。古くは昨日行った高千穂峰のほうにあり、それを麓へ移し(高千穂河原の古社跡)、さらに今から500年ほど前に現地へ移しているという経緯です。

立派な社殿は、鬱蒼と茂る森を背面に、朱が映えます。艶やかな印象を受ける社です。弾力のある開け方というような空気があって、高千穂峰とは違った様子。

団体客が大勢来ていてその賑やかさ自体も峰とはもちろん全く違うんですが。ちなみに高千穂峰は宮崎県、霧島神宮は鹿児島県に位置しています。

霧島神宮境内の岩くれ
霧島神宮境内の岩くれ

境内は岩がたくさん。何か由来がないとおかしい、人の手が入った石組みが何の解説もなく置いてあったりします。君が代で言う「さざれ石」なども祀られていました。

駅へ戻り、鹿児島市へ向かいます。鹿児島中央駅で降りて、昼食を取りながらどこへ行こうか思案。学生時代に市内いくつかのスポットはすでに見て歩いているんですよね。

では、桜島へ渡ることにしようかなとフェリーターミナルを目指しているうちに雨が降り始めました。7日間の旅程中、雨が降ったのは2日だけだから、そんなに不運だとは思わないけれど、やはり雨だと憂鬱ですね。

かごしま水族館のくらげ
かごしま水族館のくらげ

フェリーターミナルにほど近いかごしま水族館へ入って雨宿り。入ってエスカレーターを上ったすぐ正面にある大水槽でのジンベエザメが見ものでしょうか。水槽で泳げないほど大きくなったら海に放し、また小さなジンベエザメを飼育する……という方式みたいですね。シートに腰掛けずっと見ている人も多くいました。僕も時間はいくらでもあるので、ゆっくり観察していきます。

時間つぶしということじゃなくても、水族館は好きですね。ひやりとした雰囲気が。写真は、水流で洗濯槽のようになっているなかをぐるぐる回っているくらげ。くらげも大変ですね。

揃いのジャンプ
揃いのジャンプ

平日だからか、観客がまばらななかでのイルカショー。もちろんそんなことに関係なく元気にやってます。揃いのジャンプも美しい。

水族館を出る頃には雨脚はますます強くなってきたので桜島は断念し、天文館でホテルを取ります。

ホテルで荷物を置いて、ブックオフへ立ち寄ります。普通の人は旅の途中で3店ものブックオフにはなかなか寄らないんじゃないですかね。いやブックオフでなく普通の古本屋でいいんですが、なかなか普通の古本屋に出会わないんですよねぇ。

その後、鹿児島名物、黒豚のとんかつを食べる。絶品。

2005-10-29(7日目/土曜日)
半日がかりの鉄路での帰京

かごしま近代文学館
かごしま近代文学館

翌朝も鹿児島市街をぶらぶら。近代文学館・メルヘン館へ。近くの私立美術館や県立博物館、照国神社は学生時代に行ったんですが、文学館は見ていなかった気がしたので。近代文学はもちろん守備範囲じゃないわけですが、でもブースに入るたびにセンサー感知で音声や映像が流れ出してその作家の人となりを伝える仕掛けは新鮮。

併設のメルヘン館は一寸法師、孫悟空、ムーミン、トトロ、古今東西の童話・絵本ネタで溢れ、こちらのほうが気に入ったかも。体験型の施設となっていて、32歳男性が一人で入るのは勇気がいりましたが、子供連れで入ると楽しそうです。

その後は8時間以上かけて、新幹線と特急を乗り継いで東京まで帰る。飛行機のほうが安くて安全で快適でも、列車のほうが好きなのだからしようがない。お尻はすごく痛くなってしまったけれども。(了)