鳥取~岡山縦断、花咲く頃にはまだ早くても

行程

[京都・兵庫・鳥取・岡山/城崎温泉、津山、備中高梁] 京都から城崎温泉へ、鳥取は智頭を経由しながら津山、勝山、備中高梁など岡山を巡って山陰から山陽へ抜ける旅です。その後には広島方面に足を伸ばすんですけど、それはまた別の旅行記にしときます。
「鳥取~岡山縦断、花咲く頃にはまだ早くても」地図
2007-03-04
東京―京都
2007-03-05
京都―紫野―京都―城崎温泉
2007-03-06
城崎温泉―智頭―津山
2007-03-07
津山―中国勝山―新見
2007-03-08
新見―備中高梁―倉敷

旅行記

2007-03-04(1日目/日曜日)
風まかせ旅、まず京都まで

月曜から金曜まで5日間べったり会社休んでの9連休です。どこか行きたいなと。初日の土曜はゆっくり静養にあてることにして、日曜の午後になってから東京を発ちました。とりあえず京都から城崎、ここまでは出る前に決めました。宿取って出ました。それ以降は風まかせです。いや、風まかせって言いたいだけですけど。

新幹線でしゅっと京都まで。もうすっかり夜の京都で、おばんざい居酒屋かなんかで軽く飲むだけでこの日は終了です。

2007-03-05(2日目/月曜日)
京都観光から城崎温泉へ

苔のなかを伸びる高桐院参道
苔のなかを伸びる高桐院参道

京都は久しぶりです。何年ぶりかな。って言いながらすぐ城崎へ向かうんで、あまり時間取れないんですけどね。小雨まじりの朝になっちゃって、やだねぇって駅前で傘買って、紫野、大徳寺方面へのバスに乗り込みました。月曜の朝だからなのかどうなのか、バスの外も車中もしーんとしてる。

大徳寺はいくつものお寺、塔頭が集まってひとつの寺町みたいになってる広い境内で、観光謝絶ってところが多いんですけどね、拝観できる塔頭もいくつかあります。陰鬱な黒ずくめの僧列とすれ違いつつ、そのなかの高桐院に寄ってみることにしました。

雨に濡れた苔がきらきらと美しい。実は「そうだ 京都、行こう。」って紅葉シーンで知られる参道だったりもするんですけど、春先の苔もまた違った趣がありますね。なかの庭園はもうちょっと侘びさびに振れた苔庭です。

細川忠興が創建した細川家の菩提寺で、明智光秀の娘で細川家に嫁いだガラシャの墓もあります。……帰ってから調べてハハ~ンって言ってるだけで、もちろんそんな知識もないままの立ち寄りだったんですけどね。

茶室。ほらほら
茶室。ほらほら

みどころは千利休邸の広間を移築した書院、意北軒。ぱっと見、こきたない部屋なんですけど、そのシミの浮き出た空間にね、老人の鋭い眼光って感じのパワーがあるんです。お寺全体は落ち着いてるんです。ここだけ。ここだけ雰囲気が違うんですよね。何の情念? 何か胸騒ぎするような、肌に痛い圧迫感があったんです。カメラを向けることもできなくって、よろよろと退散します。

その奥には茶室、松向軒って茶室があるんですけど、薄暗いなかを覗き込んだら、わ、誰?って。誰かが座ってるみたいな気配が濃厚にあって、ぴーんて緊張してるんですよ。襟を正して正座したまま、一日哲学してるような人。誰。茶室ってもとよりそういう場なんでしたっけ。ここもあまり長居はできない感じでした。

今宮神社。本殿は普通
今宮神社。本殿は普通

そこから大徳寺を北に抜けると今宮神社があります。疫神を祀る由緒ある神社です。和歌が書かれたしゃれたおみくじがあります。ひいてないですけど。気分によってその重さを変える石もあります。機嫌が悪いと重くなったり、優しく撫でると軽くなったりするんですって。持ち上げてみてないですけど。

そこにいた人懐っこい猫としばらく遊びました。「遊んでくれよぅ、なぁなぁ」「遊ぼう遊ぼう」。

それはいいとして、今回の目当ては「名物あぶり餅」だったりしたんですよ。大徳寺もついでに寄っただけ。さぁいよいよ、って餅方面へ移動。

叩くと怒る石。猫配備
叩くと怒る石。猫配備

あぶり餅って知ってます? こう、一口サイズの餅さした串を束にしてきな粉付けて焼いて、甘い白味噌ダレをかけていただくんです。すんませんね、写真も撮ってなくて。今宮神社参道に「かざりや」「いち和」って歴史あるお店が向かい合うように餅を焼いてて。炭火でうちわパタパタさせながら、そりゃもうすごいいいにおい。ついつい両方食べ較べてしまいました。「かざりや」のほうがしっかりした味で好みだったかなぁ。

神社の猫は、観光客からこのあぶり餅もらって生きてるのかもしれない。「あぶり餅くれよぅ、なぁなぁ」「あげるよぅ」。

そんなところで京都はあとにすることにして、京都駅で駅弁とビールを買って特急に飛び乗りました。山陰本線を北上、山村のなかを2時間ほど走って城崎温泉に到着。城崎へは2~3回来たことがあるんですけど、ってどっちだ、2回か。今回3回目? これまでの2回は外湯に浸かって去るだけで実は泊まってないんですよ。今回は泊まってみようかなと。

城崎。浴衣娘は小心者なんで撮れません
城崎。浴衣娘は小心者なんで撮れません

宿は城崎最古とかいう山本屋。ネットで評判みながらね。城崎は、浴衣に下駄カラカラ鳴らしながらの外湯めぐりが名物じゃないですか。3月あたま、まだ肌寒い季節ですけど、部屋に荷物置いてしゅっと浴衣着て、さっそく外湯へ。夕食前にまずひとっ風呂は基本ですよね。

この山本屋は筆頭外湯の「一の湯」隣にあるんです。まず一の湯覗きにいったら日帰り客で混み混みだったのでやめて、逆側、柳湯に入りました。小ぢんまりしたいい湯です。

足湯が併設されてる外湯も多いんですけど、柳湯前には通りに面して足湯があります。人通りに向かって腰掛ける、ような形になるわけです。そこにうら若い女の子たちが太もももあらわに浴衣がーってめくりあげててどきどきしました。

なんだか、以前に来たときよりも客の年齢層が下がってるような気がします。それも女性グループが多い。卒業旅行なんですかね? 浴衣の隙間からぴちぴちな若さが漏れ出しててもう大変危険です。ってこの表現が危険ですね。

川沿いに柳……の町並み自体というよりも、「浴衣で歩く客」が温泉街の風情を作り出してきたのが城崎じゃないですか、客層によって街の印象はダイレクトに変わりますよね。若い浴衣ギャルたちだと、それがイイ!のかイクナイ!のかも分かんなくなるくらい幻惑されて。いやいやいや、僕も若いんですけどね。

宿で夕食、夕食というかカニ?をいただいた後に、あらためて一の湯へ。洞窟風呂があります。ひなびた射的場をひやかして自分もひえちゃったりしながら続いて御所の湯へ。なんでしょうね、みんな清潔で整った湯ばかりですね。あったまって深い眠りに落ちます。

2007-03-06(3日目/火曜日)
智頭、粉雪の宿場町歩き

城崎で雪になっちゃった
城崎で雪になっちゃった

朝。雪が降ってました。わー寒い。内風呂にも入ってみることにして、露天の樽風呂(女性は枡風呂)で降り止まない雪を見上げつつ、ゆっくりと出発支度をします。

ここからは鈍行の旅人になります。駅へ行って、とりあえず行き先決まってないけど鳥取まで買っとく?って切符買ったあとで青春18きっぷの期間だと気づいて、切符は払い戻して青春18きっぷを購入。山陰本線を列車で西へ、鳥取方向。どんどん雪は強くなっていって。

架け替え工事が始まるらしい餘部鉄橋ででも途中下車しようかと思ってたんですけど、いや鉄とかそういうんじゃなくて。でもそのあたりではもう吹雪になってたんで降りるのはやめました。30人くらいの中高年グループは一団で降りていきましたけど。「この寒いのに、次の列車までどうやって過ごすんだろうねぇ?」「観光名所だから、お店もいっぱいあるんじゃないの」。

結局途中下車することもなくそのまま鳥取駅まで。地吹雪が走るホームでさっと蕎麦をすすってから、この後どうしようかなって、休憩所でノートPC開けて情報探したり。まぁ有用な情報が得られたわけじゃないんですけど、因美線に入ることにしてみます。あまりひと気のない地域を列車は南下して。そして智頭へ着きます。

杉玉さがる智頭宿の町
杉玉さがる智頭宿の町

終点で下車するとそこは鳥取県南東部に位置する智頭。智頭往来の宿場町です。何があるのかもよく知らないんで、駅前の案内所で観光マップをもらいました。マップ見るからに地味。でも次の列車まだまだ来ないからね、することもないし、粉雪の舞うなか興雲寺、諏訪神社、石谷家住宅と街道沿いの保存地区を見て歩きました。

造り酒屋ですかね、軒に杉玉が揺れてます。なぜか杉で作ったフクロウを下げてる軒もあります。人も車も通らない静かな町並みで心細くなってきます。「誰かいますかー?」。

石谷家のきしむ階段
石谷家のきしむ階段

石谷家住宅は古くからの地主の邸宅だったところ。立派な門構えをくぐり、内部見学ができます。林業で栄えた町の邸宅らしく、木の存在感が強い家でした。

よく調べてないんですけど、最近まで人、石谷さん?が住んでたんですかね? 暮らしの匂いがありすぎるんですよ。家って人が住まなくなったとたんにほころび始めるじゃないですか、でもまだ整ってる。お金持ちの親戚の家を探検しているような気分でした。……お金持ちの親戚なんていませんけど。そんなに古い造りじゃないし、まだ住める家ですね。

寒い寒いと言いながら駅に戻って、また列車に乗って岡山県入り。津山で宿泊します。

2007-03-07(4日目/水曜日)
津山に勝山、春の城下町を散策

作州城東屋敷。「寅さんロケ地」って
作州城東屋敷。「寅さんロケ地」って

岡山北部の城下町津山。湯原・奥津・湯郷の「美作三湯」といわれる温泉たちへの基点ですけど、温泉へは今回行ってません。いつか行きたい。美作三湯は美人の湯だし、津山も美人が多いとされる町です。ということで美人美人とつぶやきながら町を歩いてみます。どうでしょうかね、それほど高いヒット率かどうかは分からないですけど、まぁ、んー。

町の東側は町並み保存地区になってて、格子戸にナマコ壁の家並みがあります。「寅さん」ロケ地でもあるらしくって、観光マップにはどの通りでどのシーンを撮ったんだよって事細かにガイドされてるんですけど、ひとつひとつ確認して歩くほどの思い入れはなかったりして。ってか、「ここで寅さんやったんだって。きゃーきゃー」って飛び跳ねる世代をターゲットに商売してるようじゃだめなんじゃないの?

桜にはまだ早い津山城跡
桜にはまだ早い津山城跡

「元遊郭であった地区」とかふうんって言いながらとりあえず町の端まで歩いて、戻って。

町の中心は桜の名所として知られる津山城跡です。さすがに花の時期にはまだ遠いんで、寒々しい枝振りが見えるだけ。天守閣がそびえる城でもないんで花がないとすごく寂しいただの公園だったりはします。観光客もいなくってがらんとしてる。

とは言うものの、そびえる石垣は立派なもんだし往時を偲ばせますね。復元展示されてる備中櫓では、江戸期の城下町をCGで再現した映像が流されてる。いや、僕が入ってきたから僕のために流してくれたみたい。畳に寝転がって鑑賞。「もう1巻ありますけど見ます?」「うん?」。

つやま自然のふしぎ館。標本みっちり
つやま自然のふしぎ館。標本みっちり

城跡の麓にある「つやま自然のふしぎ館」は外観からしてB級の匂いを放ってて、「入らない入らない」と一度通り過ぎたんですけど、まぁ急ぐ旅でもねぇなって戻って入館。希少な動物の剥製やら昆虫標本、化石、人体標本まで、ものすごい展示内容。上野の国立科学博物館にも負けてないボリュームでした。「蒐集」ってこういう執念を感じさせてこその言葉だよなと。参りました。

入る前の印象どおり、展示品にはかなりキツいものも多いです。初代館長が自分の臓器提供しちゃうくらいですから。標本のバリエーションはかなりのもんなんで、ネタとしても入って損はないですね。いろいろ覚悟のうえでね。

津山総鎮守、徳守神社
津山総鎮守、徳守神社

昼食のあとは町の西側、お寺が集中するエリアをひとまわりして。津山総鎮守、徳守神社など。津山観光には「B'z稲葉の故郷」というもう一つのモードがありまして……僕もB'z好きではあるんですが、そんなところは見に行きません。生家「イナバ化粧品店」だとか、通ってた津山高校だとか、そんなとこ訪ねるのって何かストーキングちっくじゃないですか?

駅前の喫茶店で列車待ちしながら、撮った写真をノートPCに転送したりSNSにアップしたりなんだこのデジタルライフはって珈琲飲んでたら、店の方が津山城の桜を心配してました。気象庁の開花予想が出たらしくって、今年は早そうなのよねぇって。ご主人が桜のお祭りを手伝ってるかなんかで、鉄砲隊手配してるのにねぇって。イベント日程がずれたりするといろいろと大変ですよね。

勝山雛まつり最終日
勝山雛まつり最終日

姫新線を列車で西に、って路線名で言って伝わってる? 中国勝山で途中下車しました。こちらも城下町で、武家屋敷などがあるんだよな、と歩くと妙に人が多いんです。知らずに来たんですが、町をあげての雛まつりイベントの最終日らしいんですよ。「ひなまつり?」。

町並みの商店や民家がみなそれぞれに趣向を凝らした雛飾りを出してて色鮮やかです。酒屋だったらビールの空き缶で飾ってあったりする創作系から、古めかしい雛人形まで、ひとつひとつ見て歩いて飽きません。バスツアーで来ているような客がたくさん。

これはこれでいいんですが、年に一度の特別な日に来ちゃったな、普段はもっと静かな味があるんだろうけどな、いう残念な想いもちょっとだけ。たぶん、一年で一番人の多いときですよね。

さらに列車に乗って伯備線との交点、新見に出ました。陽が暮れちゃったからビジネスホテルに投宿します。

2007-03-08(5日目/木曜日)
城下町続きで備中高梁

紺屋川美観地区を歩く
紺屋川美観地区を歩く

新見まわりにも見るべきところがないわけじゃないんですが、すぐに発つことにして。伯備線を山陽方面へ30分、備中高梁に来ました。小京都とも言われる美しさのある町ですね。

町の中央にある紺屋川美観地区は桜の開花時にはよりいっそう雅に華やぐ……はずなんですけど、やはり来る時期を間違えてしまったかもですね。まぁ、桜のピークだったとしたら人が多くてイラっとしたりするかもしれんのでどっちもどっちですけど。

紺屋川筋には明治期の建物がそのまま残るキリスト教会や藩校跡があります。静かな流れと、遊ぶ水鳥と、硬いつぼみと。

頼久寺庭園。手前が鶴
頼久寺庭園。手前が鶴

周辺には小京都のゆえんたる寺院が並んでまして、城郭みたいな石垣の上にあるのは頼久寺。小堀遠州による枯山水の庭園がみもの。庭を見ようと縁に立つと案内テープが流れて驚かされます。要約すると「小堀遠州だよ。すごいよね」としか言ってなくてまた驚かされます。鶴亀の座を置いた借景の庭です。

紺屋川の西、「石火矢町ふるさと村」というエリアは往時には武士の居住区なんかであったところです。一般公開されている武家屋敷がいくつかあります。

武家屋敷館。人形が怖い
武家屋敷館。人形が怖い

武家屋敷館に入ると玄関で正座して深々と頭を下げる主人がいました。人形です。ただの人形かと思ったら電動で動いたりします。なかに入ると親子の講義風景?がこれまた人形で再現されてる。この手の展示は妙にリアルでいつも怖いです。なぜか、世の観光施設のなかでも「武家屋敷」の人形配置率は高いような気がするんですよね。なぜなんでしょ。

武士の邸としては平均的というところでしょうか、書院造りの母屋や簡素な庭などが見学できます。

コンビニも見当たらず雑貨屋で昼食にとパンを買って、備中松山城まで歩くことにします。山の上に城があるんですよ。「麓から歩いて登ると大変よぅ。1時間半はかかるわよ。タクシーで行きなさい」と観光案内所の方に言われてたんですが、まぁ、大丈夫かなと思って。

備中松山城へ。追手門
備中松山城へ。追手門

山道。あっという間に息があがってヘバヘバです。やっぱりだめなのか? 猿が出るので注意!って看板を見ながら倒木に腰掛けてパンを食べてひと休みして。天守閣のある山城としては最も標高の高いところにある松山城。休日にはバスもあるようなんですが、平日は車以外の選択肢はありえないんでしょうか。車でも駐車場から20分ほどは山を登ることになるみたいです。

ぜいぜい言いながら本当に1時間以上かけて登頂。だんだん城郭らしい風景が見えてきます。ところどころにある説明板の前に立つと山に響き渡る大音量でガイダンスが始まって、思わず周りを見回してしまいます。また道中「もうすこしじゃ」「よう来られた」と城主からのメッセージが立札になって立ってて、これ面白いつもりなの?って疲れてるからやや癇に障ったりもして。

備中松山城本丸。撮るならこの角度
備中松山城本丸。撮るならこの角度

何度かの改修を経て現代を生きる天守閣。基礎から積みなおすほどの大改修をしてても「近代天守が今に残る」と言っていいのかどうかはよく分かりませんが、しっかり往時を伝える建築で、籠城戦のために天守閣内部に囲炉裏があったり、へぇと思う仕掛けはいくつかありました。

明治の廃城令、城を壊せという政府の命を無視して、壊すのにもお金掛かるからなぁってごまかして放置した結果が「貴重な遺構」なわけです。何か示唆的ではありますねぇ。法律違反してくれてありがとう!って後世に言われるわけでしょ。やらないかんよねぇ。

少なくとも、苦労してやってきたぶんだけのありがたみが感じられるような感慨をどこかで見出そうとしながら。

なにこのがらくた(隠)
なにこのがらくた(隠)

山を降りて、「郷土資料館」に入ってみました。江戸から昭和にかけての生活用具などを展示してます。あまりにも雑多すぎて散漫になっちゃってるような内容でした。

建物は旧尋常小学校の校舎を利用したもので、木造二階建て。「天井みてください」「わ。びっくりした」「染みがいくつか付いてるの分かりますか?」「ああ、はい」「子供達が雑巾を天井にぶつけて遊んだ跡なんです」「はぁ」

退屈しのぎなのかなんなのか、館長がずっと後ろについてくるんです。「いわゆる赤紙、召集令状ですよ。実物見たことありましたか? 写真撮ってもいいんですよ。……もういいんですか?」。客の少ない資料館、史料館系ではたまにこういうメにあいます。最後にはお茶まで出そうとしてて、もったいのうございます、って辞退しました。

倉敷チボリ公園の灯りが見える
倉敷チボリ公園の灯りが見える

戦国ファンなら立ち寄りたい山中鹿之助の墓所も高梁にはあるんですが、遠かったんで行けませんでした。知ってますか山中鹿之助。尼子家再興のために尽くした武将で「我に七難八苦を与えたまえ」と祈ったら本当に七難八苦にあっちゃったという。

そういう行けなかったところもありつつ、まぁだいたいのポイントは押さえたんで駅へ戻り列車に乗って、倉敷に出ました。

駅ビルのホテルに部屋を取ります。窓越しに輝く一帯があって何かと思ったら倉敷チボリ公園でした。チボリ公園ってまだやってたんだっけ?とか思いながら(※2008年12月営業終了)。

そんなところで、今日の話は終了です。続編を待て。(了)