坂は台地の側面に切られており、坂上を見て右手が道玄寺、左手が谷である。谷といってもどれほどの深さもないが、谷底には宇田川という小川が流れており、道玄坂から降りてゆく小道がついている。
宇田川は記述の逆、右手じゃない? 井ノ頭通りあたりが当時の川で(現在は地下に流してる)、地名としてもその周辺が宇田川町。だから、道玄坂下から坂上を見て右手が谷のはず。これは歴史を掘り下げながらもフィクションである、ということを宣言したものなのでしょうか、単なる思い違いでしょうか。考えすぎ?
そうすると道玄寺は左手のマークシティあたり?
かつてこの地を支配していた渋谷氏が滅ぼされたのち、その支族である大和田道玄が住み着いた・・・というのが道玄坂の由来のひとつですが、大和田道玄も作中の登場人物として出てきます。鎌倉時代。峻険な山道であった頃のシーン。
その時代と密接に重ねて語られる、江戸・安政の頃がこの物語の中心。この頃にはそこそこの町。宮益坂にある小間物問屋の娘と、道玄寺の僧侶の道ならぬ恋が描かれます。
掲載日:2007-03-25