四ツ谷 - 穂村弘『もしもし、運命の人ですか。』

物語の舞台 - 四ツ谷(東京都 新宿区)

「最寄り」の駐車場は四谷の路上パーキングなのだ。四谷から新宿は歩くには遠い。だから、その部分は電車で移動することになる。

ここだけ引用しても意味が分からないだろうと思いますが、新宿には(自分が「とめられる」と認知する)駐車場がないために、新宿へ車で行くときには四谷のパーキングを使う、そういう意味で都内には数箇所しか駐車場が「ない」・・・という話。

私は車の運転をしないのでどこのパーキングがどうだというのは全然分かりませんし、四谷の路上パーキングがどこあたりにあるのかも分からずですが、行動としておかしいのは分かる。

車の運転が得意でないというエピソードですが、車だけの話でもないですよね。その「馴染みじゃないところへの入りにくさ」みたいなところは理解できるところです。

掲載日:2007-04-01
※写真はイメージです。地図もイメージであり、写真撮影地点や物語の舞台の特定を意図したものではありません。

図書情報

四ツ谷について

四谷(よつや)は、江戸時代には江戸城郭外堀西側の広大なエリアを指す地名で、1878年(明治11年)から1947年(昭和22年)までは四谷区という区名であり、現在は旧四谷区に相当する範囲を指す地区名・地域名、および東京都新宿区の行政町名(旧四谷区内に存在)である。

江戸時代後期の1829年編纂の『御府内備考』(地誌大系)の記載によると、江戸城外堀以西の郊外をも含む広大なエリア(内藤新宿・大久保・柏木・中野)の総称として四谷が使われていたこともあった。1878年(明治11年)から1947年(昭和22年)までは四谷区という区名であり、このほか、麹町区紀尾井町(現在の千代田区麹町五丁目、上智大学の南)に存在した税務署の名前は「四谷税務署」で、少なくとも1910年から1940年までの30年間はこの地にこの名称で存在していた。1947年(昭和22年)3月、旧四谷区・牛込区

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