さて、『月の教室』という舞台が成立するために、袋井市の高校生や市民らの「身体」が必要だった、ということは、先ほど、お話したとおりです。そこではまた、静岡県西部の遠州地方で育まれてきた「言葉」が、大きなカギを握っていたわけです。
遠州弁全開の戯曲です。またこの地方に伝わる伝承が、ストーリーに組み込まれてもいます。それを袋井市の高校生が演じる。だから遠州の人と、それ以外の人で、読んだときの感覚がだいぶ違うのかもしれません。
引用部分は、すみません、戯曲部分じゃなくて巻末の手引き部分ですけど。
特に遠州弁。本にCDが付いてまして、その微妙なイントネーションを確認することができます。少なくとも僕にとってはなじみのない言語なので読んでてかなりひっかかります。だから「滑らかでない戯曲」と見えるんだけれども、袋井市の高校生が演じる分にはひっかかりはないんでしょうね。不思議な感じがします。
掲載日:2005-11-27