ボアズカレ - 定金伸治/乙一/松原真琴『とるこ日記』

物語の舞台 - ボアズカレ(トルコ チョルム)

 翌日、朝の七時半から車でボアズカレのハットゥシャ遺跡へ。

 片道200キロの道のりですよ! うっかり血の繋がらない妹ができてもおかしくない過酷な距離ですよ! お兄ちゃん、やめて! みたいなカンジですよ!

紀元前17世紀~13世紀に栄えたヒッタイト帝国の首都が、ハットゥシャ(ボアズキョイ遺跡)。世界遺産ですが、知名度としてはカッパドキアなどに及ばない感じ?

どうしてもハットゥシャに行きたいと言った定金ひとり興奮で、乙一と松原は特にすることもなくってぶらぶらと。遺跡って興味ないと「何もないじゃないか」で終わったりしますからね。

世界史のときに習ったなー、ヒッタイト。エジプトと戦争したんだよね。というくらいの知識しかないのですが、時間があれば私も行ってみたいところです。遺跡好きですので。

掲載日:2007-09-16
※写真はイメージです。地図もイメージであり、写真撮影地点や物語の舞台の特定を意図したものではありません。

図書情報

ボアズカレについて

ボアズカレ(Boğazkale)は、トルコの小村。クズル・ウルマック川に抱かれた村。旧名はボアズキョイ(Boğazköy)といった。現在はチョルム県ボアズカレ郡に属する。トルコの首都アンカラの東150キロメートルにありアナトリア高原のほぼ中央部である。

ボアズカレが紀元前16 - 14世紀の古代ヒッタイト帝国の首都、ハットゥシャと確認されたのは、1906年のことであり、以来100年余り発掘はゆっくり続けられている。1905年、ヒッタイト帝国の都を探していたドイツのH・ヴィンクラー(アッシリア学者)が、イスタンブールから中央アナトリアのある村で粘土板文書が発見された情報に接し、発掘調査のために、この村にやって来た。翌年から発掘調査に取りかかった。1906-1907年、1911-12年にわたって発掘を行った。そして、村の遺跡から多くの粘土板を採取した

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