2004年4~6月

近況報告

Google検索。

予想通り、デザイン一度上げちゃったら考えるの疲れちゃって、とりあえずデザインいじり倒すのは捨て置いて、別のコンテンツを考え出してます。

言っちゃうと自分で縛られちゃうので何をやってるのかは内緒なんですが、進化し続ける旅と現代文学。ということでよろしく。

あ、メニュー下にGoogleのサイト内検索付けたんですが、リニューアルでディレクトリやファイル名を変えたり削除しちゃったりしたページがあって、検索結果で出てきたもののNotFoundになるものがあるかもしれません。というか一番設置しちゃいけない時期に検索窓付けてます。以上承知の上で、必要に応じてお使いください。

XHTMLになりました。

リニューアルということで、ひとまず上げました。まだデザイン変えるかもしれません。どうしてもパシッと決まらなくって自分のセンスのなさを嘆くばかりなんですが、そんなことしてるうちにどんどん月日が経っていくのでとりあえず出してしまいます。別に毎日ちょっとずつデザインが変わっていっても誰も困らないでしょ。試行途中のデザインを人に見られても僕も困らないし。もったいぶるほど見目麗しくなるわけじゃない。

変わったところで言うと、フレーム使わなくした分、ナビゲーション周り見直しました。より使いにくくなってる可能性もあります。それは我慢してください。

それからいくつかのコンテンツで一旦下げたものがあります。それも近々に整理しなおして入れる予定ではあるのですが、お待ちいただきたい。

ま、でも、見てのとおりコンテンツとしては総じて変わってないです。

通常の閲覧者にはほとんど関係ないことですし、鼻息荒く語っても理解してくれる人も少なそうでアレなんですが、やっぱり今回はエセHTML4.01からXHTML1.0に移行したというところがポイントです。そろそろいいかなと思って。まぁ舞台裏掃除したんだなとでも思ってくださいな。XHTML1.1ではないところがユルいですけどね。

XHTMLのメリットを100字で説明せよと言われたら答えられません。でも今後きっと、メリットが徐々に出てくるんじゃないかな。いやきっと出てくるはず。ソースがシンプルで見やすいということだけでも、製作者サイドでは大きな利です。

その分スタイルシートはぐちゃぐちゃですが。

なんとかなってるでしょうかね。古いブラウザではレイアウトが崩れる可能性もありますけど。あるいは「崩れてる」と思ってもそれも正しいレイアウトなのかもしれません。文字が読めなくなるようなことがあれば問題ですのでご連絡いただければ。

ふぅー。

ソース嬲り

新刊情報しか更新してませんが、リニューアルに向けてのごりごりした作業で手一杯です。

ああでもないこうでもないとデザインやレイアウト、ソース嬲りしてるのが至福の時間だったりもするので始末に終えません。

新刊の話で言うと、来週はようやく高橋源一郎『日本文学盛衰史』が文庫になりますよ。読んでない人は要チェックです。

6歳になります。

明日はこのサイトの6歳の誕生日です。個人のブックレビューサイトでこんだけ続いてるのはたいしたもんでしょう。拍手はいらないからお金ください。

昨年の5周年は「信長の野望Online」でそれどころじゃなかったんですが、6周年記念でなんかしたいなぁと思って。

3年ぶりにオフ会やるぜといっても参加者いなかろうし、それで、大き目のサイトリニューアルをしようかなと思ってます。

思いついたのが2週間ほど前なのでお誕生日には間に合いませんでしたけれど、今月中にはなんとか。具体的にはXHTML1.0、限りなくStrictなTransitionalになって、フレームもはずすつもりです。見た目としてはすっきりシンプルに。

リニューアルで新コーナーオープンとか普通はあるもんですが、むしろ減る(笑)くらいの勢いでがんばっております。過小に期待しておいてください。

ブログ。

やっぱりね、何も書くことがない日があるわけです。週に一度しか更新してないサイトで「今週は何も言うことありません」っていうのも、まるで一週間を無駄に過ごしたようで哀しいものはありますけれど。

更新するたびにここに何か文章を書く、というスタイルを取ってしまったことが敗因なのですけれど。

Blogやってる人たちって言いたいことがいっぱいあるんでしょうか。それとも無理をして話題を探してきているんでしょうか。

Blogがインターネットの新しい可能性みたいに喧伝されている昨今ですが、ようするに掲示板+日記で、これまで別機能だったものを統合しただけ、ですか? 実際、それを超える可能性を感じさせるBlogって見たことがないんですよね。

だって「日記と掲示板しかない」ってのはダメサイトの代名詞だったわけじゃないですか。あとは単純にその日記の面白さと有用性か。「素人の日記なんて誰も読みません。コンテンツを充実させましょう」ってって結局日記しかインターネットで発信できる情報はなかったということでしょうかね?

世界の中心で

『世界の中心で、愛をさけぶ』がついに300万部突破ですか。

で、このタイトルはいかがなものかとずっと思ってたんですが、ちょっと検索してみたら他にも書いてる人がいっぱいいたので安心して言いますと、エリスンの名作『世界の中心で愛を叫んだけもの』が元ネタですよね。

エヴァンゲリオンの最終話タイトル「世界の中心でアイを叫んだけもの」はエリスンへのオマージュになってますよね(暴力に満ちた世界、物語の破壊)。そのときには凄いとこからタイトル持ってきたもんだなと感心したんですが、片山恭一は、だから三回目ですよ、このタイトル目にするの。しかもオマージュですらない単なるイタダキちゃうの。って。

私が編集者なら止めますよ。さすがにもうあかんやろって。もしエヴァンゲリオンがやってなかったらオーケーかもしれんけど。だって純愛小説でしょ? SFやアニメのイメージが被って得なことってないじゃないですか。

もちろんイメージを喚起させるタイトルなので、ここから引っ張られて恋愛小説を書いちゃった、というのはあっておかしくないんですが、やっぱりタイトルは変えるべきでしょうね。

なおかつ、なぜこれが売れたかというと「タイトルがよかったから」という要素は無視できない。世の中なにが起こるか分かりませんね。

読みもしないでこんなことばかり言ってると、人はそれを嫉妬と呼ぶので、読んでみないことにはなぁ。このサイトの読者なら分かってくれると信じますが「ベストセラーは読まずにバカにする」タイプの人でないですからね、私。誤解しないでね。

読書の所要時間

読書所要時間のデータなんていうものがあったら誰か参考にしてくれたりします?

つまり、この本は1時間で読めますよーとか、5時間じっくり楽しめますよとか。そういうのがね、例えばレビューに添えて載ってたら。

もちろん読むスピードには個人差があるんで目安ですけれど。いや目安というかひとつのサンプルスコアということですけど。

なんか新しい機能入れてはどんどん忘れたふりしていくというのがこのサイトの特性でもありますからね。また変わったことやれないかなとつらつら考えてたりするんです。まだ頭のなかにあるだけで何も取り掛かってないんですけど。

人によって読むスピードが違う、あるいは自分の好きな作家は速く読めるでしょうし、その日のコンディションや読む環境によっても違ってくるでしょう。

それらをいったん置いて、「僕は2時間かかりました」というあくまで個人的なタイムを記載する。

普通のオンライン書店なんかだとやれないことで、「僕は2時間かかりました」と言っていいのが個人サイトの特権だったりしますし。ちょっと物珍しい感じになりませんか。

で、所要時間の計り方なんですが、「夜なべして最初から終わりまで一気読み」というような読み方を最近しておらず、もっぱら何日か持ち歩いて電車で読むんです。最寄り駅から乗り換え駅まで11分かかるんですが、その間に何ページ読めたかを任意の日に記録して、それを総ページ分に倍すればどうよ。って考え方。

端数切り上げで10分刻みにして、田口ランディ『昨晩お会いしましょう』は1時間50分、まだ読み終わってないけど小林恭二『父』が4時間、椎名誠『活字の海に寝ころんで』が2時間40分。

どうだろう?

部分から全体を推測するやり方なので、例えば前半が詩で後半が散文という本だったら計り方調整必要。池澤夏樹『未来圏からの風』でも章の途中で20ページほど写真が挟まってたりして、こういうのも上記やりかたでは計算に不備がでますね。

もう処分してしまった本も多いので、現在載ってるレビューにすべてタイムをつけるって話ではないんですが、ぜひやってくれってご賛同の方いましたら励ましのお便りを。

そうそう、『未来圏からの風』で写真が挟まるって言いましたけど、この編集のやり方、ちょっと考えたほうがええで。ある程度まとまったページ数、写真を連ねるなら、章の始めや終わりに入れるべきで、途中にいれちゃだめでしょ。「バリというのは考えれば考えるほど不思議な土地で、この感じは世界中のどことも違う。言ってみれば、すべてのものの密度が濃く、一つの島の中に七つ」で切れて写真が32ページ分続いてその後に「ぐらいの土地が重なりあっているかのごとくだ。」って。もう写真見てるうちに何の話か分からんようになる言うねん。

高尾山へ行ってきました。

ゴールデンウィークをだらけて過ごした分を取り戻すべく、週末に高尾山へ行ってきました。週末小旅(C)JTBですな。

といっても山登って下りただけ(?)ですけれど、山登りというにはお手軽。それでもお腹のでっぱりを抑えるためにもわしわし歩いてきました。おみくじで凶も引いてきましたし、それなりに楽しい週末でした。

旅のコーナーをぜんぜん更新してないのでこの小旅レポでもアップしようかなと思ってるんですが、スラムダンクを再読してたりなかなか時間が取れず。いつになるか分かりませんが気が向いたときに上げます。

去年のゴールデンウィークに行った「讃岐うどんの旅」も書こう書こうと思いながらまだですので、そっちもできれば遠くないうちに。

ゴールデンウィークですね。

ゴールデンウィーク、旅にも出ずにお送りしております。こう、だらだらしてるとここに物書く気力もなくなりますね。

寝転がって本を読んでて、部屋で本を読むのも久しぶりだと思ったり。ウチではゲームとか何とか他にやりたいことがあったりして、いつも通勤電車のなかでしか読んでないんですよね。それをこう、部屋でゆっくりと本を読む時間を過ごしてると、改めて、読書って面白いなと思ったり。

そんな堕落した連休です。

最近のこのコーナーでは「ちゃんと中身のある話をしよう」とか考えたりして、無理やりblogでやるような話題をもってきてたりもしたんですが、今日はそれもなしにだらだらです。

本の全文検索

前回書いたように、本の中身を検索できるならそれは電子書籍の最大の強みになると思っています。一方でAmazonやGoogleがそういったことをやろうとしてるのは以前からニュース等で報じられてるとおり。これうまくいくと思いますかね?

米Amazonではもうスタートしてて、日本でも動き始めてるようですけれど、難しそうな気はします。これによって本の売り上げが伸びましたという調査結果をいくら公表してても、「本が売れなくなるんじゃないか」という懸念は消えなくって、出版社や著作者の理解は得にくいでしょうね。

もちろん僕は歓迎です。ぜひやってもらいたい。本が物質ではなく情報になっていく、というのはわくわくする事態です。

自分が平均例でないことを承知で言うと、このサービスが始まったらめいいっぱい使います。なおかつ買う本の量は変わらないと思います。あるいは、本を検索できるサービスが有料でもいいです。その利益が出版社に還元されるという仕組みで実現はできないですかね?

しかし、こうやって対決姿勢をあらわにしながらも、Amazonの新検索サービスA9(←日本語でも検索できますよ)でGoogleのエンジンを使用してたりしてよく分からない構図です。

新しいことが始まろうとしてる気配があちこちにあって、楽しい時代になってきたのは間違いなさそうな。

電子書籍という問題

電子書籍ってどうですかね?

松下のシグマブックとソニーのリブリエがそれぞれ端末出して、認知度も上がってきてますけど、買った人いますか?

僕も微妙に興味はあるんですけれど、なかなか購入には踏み切れません。

端末の価格が高すぎるので気軽に手を出せない、あるいは二社のどちらがスタンダードになるのか見極めないとヒドイ目に会いそう、とかいろいろありますが、何よりも電子書籍ならではの魅力がまだ見えてこないのが原因です。

開発に携わってる方いらっしゃったら聞いてください。下記2点のうちどちらかが満たされれば僕は買います。

1.紙では読めないコンテンツの増強。絶版本の在庫、あるいは書き下ろしコンテンツが大量になけりゃ電子書籍でわざわざ読む必要はありません。

2.資料性の強化。本文のテキスト検索ができるようになれば、それは電子書籍の最大のメリットです。もちろんダウンロードした本は永久使用可能じゃなきゃだめです。

このどちらかが実現するなら端末の価格や重さ、表示速度なんかは瑣末な問題で、すぐ手を出しますよ。

もちろんどちらの案もハードルが高いことは知ってます。版権・著作権の問題や、紙媒体への仁義等々ありますからね。

1.は徐々に力入れていくようなムードはありますんで待ちますがまだまだ不足です。2.は「そんなことはさせない」という勢力を暗殺してでも実現してください。電子書籍に乗り出すならそのくらいの覚悟はしないと普及は難しいでしょ。

それらの問題を根深いものにしてるのは不法コピーってやつですが、コピーさせないようにガチガチに保身してるうちにユーザは離れていきます。

CCCDがいい例ですよ。僕は音楽はパソコンで聴くんですが、CDを買ったらまずハードディスクに入れます。ドライブに毎回CDを出し入れする面倒さから解放されますから。外付けHDDもそのために買ってあります。MP3プレイヤへ入れるのにも便利でしょ。

だから全員を犯人扱いしてそういった楽しみ方をさせないCCCDには価格だけの価値がないと判断します。

佐野元春が新譜でCCCD化を拒否したというニュースを僕は「さすが佐野元春だ!」と手放しで讃えるんですけどね。

通常盤CDとして制作を進めていた新譜に対し、ソニーミュージックエンタテインメントからCCCDとして出すよう強い要請があり、これを拒否、自主レーベルから通常盤CDとして出すことに決定した。さらには業界のしがらみを笑うような2310円という破格の価格設定。

残念ながらCCCDになっちゃった作品も最近はあったのですが、ちゃんと闘ってたということが分かって佐野元春のメディアとの立ち回り方に改めて信頼を置くものであります。

って話ずれてっちゃったけど、このくらいの覚悟がないと、電子書籍ってしがらみに潰れちゃうような気がしています。強引な結ですまぬ。

ちゃんとやれよ。全五章

第一章。リンク集をちょっとだけリニューアルしてみました。「リンク集」という範疇で何か奇妙なことやれないかなと考えつつ、その日に(僕が)見たサイトを日記みたいに登録していくコンテンツとなりました。「微妙に時事」みたいなヘンテコな匂いが生まれると面白いかもと思ったんですがどうなることやら。とりあえず、飽きるまでやります。ってちゃんとやれよ。

第二章。前々回言ってた「トリビュート!村上春樹」の第二弾が出ましたね。今回は『ノルウェイの森』と『海辺のカフカ』のトリビュート(それぞれ内藤みか『あなたを、ほんとに、好きだった。』・竹内真『図書館の水脈』)。見ると、表紙のどこにも村上春樹って文字がないんです。裏表紙側の、帯にこっそりトリビュートって書いてる。ひっそりと出したかったんでしょうか。もっとちゃんと宣伝しないと売れないよ?

第三章。イラク邦人人質事件。これ書いてる時点では24時間以内に解放するってニュースが出てるとこだけど、とにかく無事に解放されるならなにより。結局日本政府の無能を改めて知らしめただけですね。こういう事態をまったく想定できてない、何の対策も打ち出せない、ってアホですな。日本の言う「人道的支援」を歓迎してないのは行動を起こした犯人グループだけだとでもお思いですか? 撤退する理由はない、って軍隊を駐屯させる理由をあいまいにしたままでよく言いますよね。「アメリカに追従することの経済的・国防的利益のほうが、人命より大事です。だから退くわけにはいきません」って正直に言って国民の理解を求めるのはどうですか? 政府に愛想つかしてちゃんとやりますから。

第四章。ついでに首相靖国問題。「政教分離に反する」という裁判所の談話は間違っています。靖国神社に参拝するのは親類の法事に出るのと同程度に宗教的行為ですが、同程度に政治とは無関係です。マスコミが関連付けたがってるだけじゃないの? 国が靖国への参拝を国民に強制してるわけじゃないし「靖国教」に偏った利益を与えてるわけでもないのでどこが「政教分離に反する」のか分からない。そうではなく、「靖国の参拝は国益に反する」という点でのみ、首相の参拝が問題となるはずです。「中国を怒らせるのは国の損失なので、参拝は自粛してください」と(信教の自由を侵さない程度に)お願いするしかないでしょ。ちゃんとやりましょうよ。

第五章。書いてみたら4つしかなかったんで、以上。ちゃんと。

ウェブサイトをデザインする。

技術評論社のウェブサイトデザインって本知ってますか?

3~4ヶ月に一度出るシリーズムックで、もちろんタイトルどおり、ウェブサイト制作に携わる人への情報マガジンです。先日10冊目が出たのですが、どうやらこれで休刊となるようです。

このシリーズにはわたし全面的信頼を寄せてまして、創刊号から全部もってるんで休刊は非常に残念です。

「アクセシビリティ・ユーザビリティを考えることが、すなわちウェブサイトをデザインするってことだろう?」という明快な編集方針で、競合誌を圧倒してました(競合誌ってないのかもしれんけど)。見た目をキレイにするだけのTipsなんかは見向きもしないで、「考え方」の部分に比重を置いていました。

今号の第一特集「ウェブサイトデザイン―情報のデザイン、対話のデザイン、経験のデザイン」でも文章がずっと続いて、12ページ目にようやくブラウザのキャプチャ画像が1つあり、次にまたキャプチャが出てくるのは26ページ目です。そんなメイン特集をやるサイトデザインの雑誌なんてほかにはありません。5号目の第一特集も「そんな言葉では伝わらない―伝わるテキストのつくり方」ですよ。これ読んでると、Flashでサイトを着飾りましょう~なんてやってる雑誌がゴミみたいに見えてきます。

もちろんそんな硬派な特集ばかりやってるから休刊になるわけですけれども。。。

今号のなかで面白い話がありました。「ユーザーインターフェイスの課題としてよく取り上げられるものに、エレベーターの開閉ボタンがあります」という話。よく取り上げられると言ってますが私としては初めて聞く話で、目からウロコでした。

どういうのかというとね、エレベーターの開閉ボタン押し間違うことってあるじゃないですか。走ってきた人がいるので閉まりかけのドア開けようと思ったら閉めちゃった、みたいな。左右に向いた三角や矢印の記号、あるいは「開」「閉」という文字が見分けにくい、両者の位置が近すぎる、それもエレベーターによって配置位置がバラバラ。そんな原因があって。

でも上記は表層的なことで、根本的な問題は「開」「閉」が並列な関係であるからなんだと。実際の使い方を考えると、「閉」のほうは急ぎたい人が押す半ばオプションのものであるのに対し、「開」は危険防止や乗り遅れ防止など、より重要な役割を担ってる。これを並列の関係にしてしまうからだめなんだと。

極端に言えば「開」ボタンだけにしてしまってもいい。で「閉」の役割は階数ボタンを2回押す操作へと割り当ててしまう。

その場合、当然「閉じる」機能はわかりにくくなりますが、より重要な「開く」機能のわかりやすさが大幅に増すので、トレードオフの解決方法としては正しいといえます。

技術評論社『ウェブサイトデザイン Vol.10』

そうやって、機能とその目的をきちんと理解してデザインをする必要がある。ウェブサイトをデザインするためにこういう話をしてくれる雑誌って、やっぱり僕は貴重だと思うんですけれどね。休刊が残念でなりません。

いや、僕がそれを生かしたサイト作りをできてるかって言えばそうでもないんですけれども。