瀬戸内の巨石を訪ねて。倉敷~宮島

行程

[岡山・広島/吉備路、尾道、宮島] 巨石文化という言葉をご存知だろうか。ドルメン、メンヒル、ストーン・サークル……。世界中に先史時代の痕跡として存在する巨石たち。そしてそれは、もちろん日本にもある。今回は瀬戸内にある巨石を訪ねる。断じてトンデモではない。
「瀬戸内の巨石を訪ねて。倉敷~宮島」地図
2007-03-09
倉敷―岡山―吉備路―総社―福山
2007-03-10
福山―尾道―広島
2007-03-11
広島―宮島―東京

旅行記

2007-03-09(1日目/金曜日)
倉敷の庭園石、吉備路伝承の岩

倉敷美観地区
倉敷美観地区

「瀬戸内の巨石を訪ねて」などと教養番組のようなタイトルを誂えてはみたものの、巨石巨石とまっしぐらに歩いてきたわけではないというか、正直に申し上げればそんなテーマはこの文章をどのように執筆編集すべきか呻吟しながらいま思いついたばかりであるので、すぐそばにある重要な巨石に足を向けずに素通りしていたりする。その点ご容赦願いたい。さらに言えば語り手であるこの私も架空の人物かもしれず、頭からお尻まで全部フィクションかもしれないことをお含みいただきたい。

私はまず倉敷へやってきていた。倉敷といえば美観地区、大原美術館などの美術館や白壁の古い町並みが唐突に出現するいささか気恥ずかしい観光地だ。撮影セットのような一角では熟年観光客の写真撮影大会が朝から繰り広げられていた。「カメラお願いできますか?」「いいっすよ」と気さくに応じたりもしながら(自慢ではないが私のカメラお願いされ率は非常に高い)美観地区を歩くも、しかし私がこの町へやってきた目的はここではない。

阿智神社
阿智神社

美観地区をやや外れた場所に阿智神社がある。社伝では応神朝期、当時倉敷一帯が海の底だった頃にこの神社のある山が島として存在しており、朝鮮から渡ってきた阿智一族が島の頂上に日本で最初の蓬莱庭園を造ったとされる。その庭を構成したと思われる磐境、磐座、鶴亀の石組が今に残る。

それほど興を生む景勝ではない。しかし重要なことは、そんな曖昧な伝説で語られるくらい古くから信仰の対象としての大岩がここにあって、今もそれが祀られているということだ。あるいは磐を祀るために社が建てられたということだ。古来より人々がこの磐にどのような力を見出してきたか、想像してみるとよい。まぁ序の口ではある。

吉備津彦神社
吉備津彦神社

岡山駅前で昼食をとった後、私は吉備路へ向かった。桃太郎伝説に見られるような古い伝承の多い土地だ。写真は吉備津彦神社である。境内脇から背後の吉備中山を登ってゆくと特異な巨石群に出会うことができる。山全体が神域と言ってよく、麓にある社はこの山を奉じるためにある。また参道のそばには環状列石まであるのだ。今回はどちらも見に行っていないのだが。

中山の麓をぐるり歩いて吉備津神社まで向かうこととし、途中、牛の鼻輪を祀る鼻ぐり塚へ立ち寄った。山と積まれた鼻輪には、敬虔さを突き抜けた先の哀しみが漂っている。同じ道中にある、営業しているのか廃業したのか分からない寂れたラブホテルと同じくらいの哀しさがあった。

吉備津神社の回廊
吉備津神社の回廊

吉備津神社は備中国一宮である。先の吉備津彦神社は備前国一宮にしてこの吉備津神社の分祀ともいう。屋根葺き替えの工事中ということで、特徴的な比翼入母屋造りの社殿は全体をシートで覆われている状態であった。残念がりながら回廊を歩いた。釜を焚いて吉凶を占う鳴釜神事も金曜日は休みということで立ち会えず終いであった。知らずに来たの?と問われれば、もちろん知らずに来たのだと胸を張る私である。

ここには桃太郎のモデルとされる吉備津彦命が温羅(鬼)を退治した際に矢を置いた岩という巨石、矢置岩が残る。しかしそれを眺めて「へぇ、ここにこうやって矢を置いたのね」と瞬解される方は少ないことと思われる。その用途にはややそぐわない大きさ、形状なのである。これは古代、別の由来をもつ岩であったものが、何らかの理由により伝承を歪められてしまったものと考えるのが自然である。当時の為政者にとって不都合があったのであろうか……そのようなことを考えながら茶屋できびだんごを頬張った。あの、お茶もらえます?

備中国分寺の五重塔
備中国分寺の五重塔

さらに吉備路を総社へ出、備中国分寺へとバスに乗りこんだ。現在五重塔が見られる国分寺は江戸期に再興されたものであり、天平の国分寺は土の下に埋もれている。林のなかに礎石だけが残る備中国分尼寺跡のほうがまだしも昔日の面影に思いを馳せることができるのではないだろうか。

吉備路の夕暮れ
吉備路の夕暮れ

全国で四番目の大きさを誇る前方後円墳、造山古墳をはじめ、周辺には古墳が点在する。私は桃太郎伝説とは古来この地にあった勢力を制圧した侵略者たちの物語と読む者であるが、自分たちがかつて「侵略者」であったことの記憶が、必要以上に大きな古墳を作って力を示してみせる方向に作用したのではないだろうか。

日が暮れてきたので吉備路を離れることにした。野良猫を撫でながら帰りのバスを待つ間、私は、この夕陽が果たして数千年前の夕陽と同じものなのかどうかと考えていた。

2007-03-10(2日目/土曜日)
尾道は巨石と猫の町だ

福山城
福山城

福山で宿をとった私は翌朝、福山城を訪ねた。江戸期になってから築城された新しい城で、このくらい浅い歴史の遺物には関心の薄い私ではあるが、駅至近にして立ち寄りやすいがため朝の散歩にと出かけてみたのである。

天守閣からは福山の市街が見渡せた。駅周辺の再開発に伴って発掘された遺構が次々と破壊されているのだとも聞く。悲しいことである。

尾道の坂を上る
尾道の坂を上る

そして、私は尾道へやってきた。石畳と坂の町、林芙美子に志賀直哉らの文学の町、大林宣彦氏の映画の町と様々な顔で知られる町であるが、私に言わせれば尾道は巨石の町なのである。

巨石の話は後段へ譲るとして、まずは観光客として町を案内してみたい。山の斜面に張り付くように横に広がるのが尾道だ。それゆえ始終坂を上り下りすることになる。私もまだまだ若いつもりであるが少々息が切れる。潮風に背を押されるようにして歩いた。細い路地をくねるように石畳が続く。

天寧寺の五百羅漢
天寧寺の五百羅漢

そして、そこかしこに建つ寺院。尾道を歩くとは、寺院を訪ね歩くということに他ならない。駅前で頂戴した観光地図を開くまでもなく、分かれ道には案内板が整備されており迷うようなことはない。案内どおりに寺院を順に見て歩くのが最善である。

寺院の名前も分からなくなり、それぞれの印象が侵食しあって、もはやどこを訪ねているのかも分からなくなってくる。

しかしなかでも天寧寺にある羅漢堂に並ぶ五百羅漢像は印象深いものであった。五百羅漢というとき、一般には質素な石仏を想像される方が多いのではないか。こちらは彩色鮮やかな木造仏(塑像もある)である。

尾道の猫
尾道の猫

ああ、尾道とはなんと表情の多いものであるか。ここは猫の町でもあったのである。角を折れると猫、山門をくぐると猫、地図を見ていると足元に猫と、そこかしこに猫が我が物顔で闊歩していた。巨石の次に猫が好きな私である。近年習得した猫語を駆使して彼らと交感しあった。

文学の町? この文章は「旅と現代文学。」というサイトに載るのだと? そんなものはどうでもよいではないか。「招き猫美術館」なるものもここにはあるというではないか。ヴーニャ ミャーニャ ニャミャーミャ?

(中略)

千光寺
千光寺

筆が走りすぎたようで申し訳ない。巨石の話だ。尾道の巨石を見たい方は、ロープウェイに乗って千光寺へと行ってみるとよい。観光客の多い寺院でもあるが、そんなところに堂々と巨石は鎮座しているのである。より正確に言えば、巨石のパワーを頂くために巨石に寄り添う堂宇を建てたのが千光寺の由来なのである。

千光寺の玉の岩
千光寺の玉の岩

本堂の背面に、というより全体に岩肌の山なのであるが、気になる巨石は山とある。目を引くのは写真にあるとおり突端に小さな玉を頂く巨石「玉の岩」である。現在は普通の「玉を乗せた岩」であるが、その昔は光る玉が乗っていたと伝わる。「灯りを入れ灯台の役目を果たしていた」ではない。目的も素材も原理も分からない「光る玉」なのである。これがいかにミステリアスな伝承かご理解いただけるであろうか。

ほかにも夫婦岩や鼓岩、鏡岩など不可思議な謂れをもつ巨石が集中している。まぎれもなく尾道観光のハイライトである。

再びロープウェイを使って山を下り、すぐそばにある艮神社へも立ち寄ってきた。ロープウェイの真下に見える社だ。境内で空を見上げるとロープウェイからの落下防止用ネットが掛っているという神社は世にそう多くはない。

艮神社の巨石
艮神社の巨石

艮神社本堂のすぐ左手に、注連縄を冠する御神体としての巨石がある。写真でお分かりになるだろうか、下部が石垣にめり込んでいるように見える。もちろん岩がまずありそこに石垣を作りつけたものであろうが、この転げ出さんばかりのエネルギーはいかばかりか。すぐ左に見える鳥居と比べるとその巨きさが分かろうかと思う。

艮は丑寅、北東の鬼門を守護する社ということであるが、では何を守護した社かと南西に目を向ければ向島がある。向島も多数の巨石があると知られるところである。艮の意については定説のないところではあるが。

西國寺
西國寺

さて、少しく腹が減ってきた。尾道の食といえば尾道ラーメンである。巨石と猫の次にラーメンが好きな私である。全国区の知名度を誇る朱華園がすぐそばであったので訪ねてみると果たして長蛇の列であった。泣き濡れてほかの店で昼食とした。

千光寺からさらに東へ歩いていくのが観光コースである。草履の仁王門があるのは西國寺だ。国宝の多宝塔の立つ浄土寺まで行けば、尾道のみどころのほとんどを網羅したことになる。市内を周遊しているレトロバスに乗って駅へと戻ることにした。観光案内もしてくれ、なかなかにファンシーなものだ。

その後は広島市へ向かい、「お好み焼き旨ぇ~」の旅人となるため広島市街を歩いたわけだが、それは巨石を巡る旅とはまた別の話である。

2007-03-11(3日目/日曜日)
ハイライトは宮島弥山の巨石群

厳島神社の大鳥居
厳島神社の大鳥居

最終日には宮島を訪れた。宮島口から船に乗り宮島へ渡った。海中に立つ大鳥居は有名な風景であるが、神域への境界たる鳥居が海から這入るようにできているのは不思議なものだ。この「門」をくぐってやってくるのは果たして誰なのであろうか。厳島神社へ向けて開かれているようであるが、その実、背後の山を含めた宮島全体への入り口として機能しているのであろうと考える。

観光客慣れした鹿が餌を求めて近寄ってくるのを適当にあしらいながら、あるいは鹿せんべいをもった男がまるで魔術師のように鹿を操るのを眺めながら(猫はおらんのか)私は厳島神社の社へ向かった。

厳島神社
厳島神社

厳島神社は背後の山から滑り降りてくるエネルギーと海風が運ぶ気とが混ざり合う緩衝地帯となるべき社である。それゆえ、エネルギーに不均衡が生じた際には台風で社殿を倒壊させられ、高潮に押し流される身代なのである。

しかし何と風雅な社であることか。朱とはこのような色であったかと目が覚める想いで歩くこの廻廊は、どこか遠い世界に我々を誘う道であるかのようだ。しばし立ち止まって、時代が揺らす鈴の音を聞いていたいと思わせる。

弥山登山道の巨石
弥山登山道の巨石

厳島神社を抜けたあとは何処へ。私は「背後の山」とすでに二度言った。ではその背後の山に登ろうではないか。紅葉谷公園からロープウェイを乗り継いで背後の山たる弥山へ上った。「野生のサルがいるよ(ウキッ)、持ち物に気を付けて!」などというような看板があっても猿の王国ではない。ここがまさに巨石の宝庫、巨石王国なのである。

ロープウェイ終点から本堂へ向かい(ここは寺域なのである)、さらに展望台のほうへと登ってゆくと写真のような構造物がある。3メートルあまりの高さに岩を積み上げ、庇のように厚い岩、しっかり角を取られた巨石を乗せた洞窟様の物である。そのすぐ先には巨石が折り重なってトンネルとなったところを登山道が割っている。どちらも人の手によって築かれた構造物であるとしか私には見えないのであるが、いつ誰がこのようなものを造ったのか伝わっていないため、あろうことか「自然物」であると主張する向きもあるのだから呆れるほかない。

弥山頂上
弥山頂上

展望施設のある頂上はやや開けた広場となっている。海原に散る島影や眺望を楽しんだ後は今いるこの場所に目を向けてみてほしい。ここは巨石に囲まれた舞台だ。何か古代の儀式が行われたような舞台をぐるりと列石が取り巻いていることに気づくであろう。

超古代、弥山には宇宙文明との交流都市があったのである!ばばーん!という説は私のものではない。それは所謂トンデモである。しかしそうでなくとも「何かあったはずだ、いや何も言い伝わっていないこと自体がおかしい」と思わせるものがここにはある。それが宇宙文明との交流であったとしてあながち不思議ではないであろう。

こちらも弥山登山道の巨石
こちらも弥山登山道の巨石

さて、猿にも鹿にも襲われず済んだところで下山の道を行こう。もはや一つ一つ取り上げるのが億劫なほどの巨石の連続である。途中、弥山七不思議のひとつとされる干満岩がある。潮の満ち引きに合わせ、標高500メートルの地点にあるこの岩の窪みに溜まった水が上下するという。そんなものを不思議と言いながら、このサイズの岩が整然と積み上げられた様相を自然の造形美だと言いのける感覚が私には分からない。

ついでに言えば同じく弥山七不思議のひとつに霊火堂の「きえずの火」というものがある。弘法大師が修行のために焚いた火が今日まで1000年以上も消えずに燃え続けているのだという。しかしそれは「不思議」ではなく「努力」と呼ぶべき種類のものではないのか。少なくともその努力に対しては拍手を惜しまない私であるが、それらを七不思議と名付けることで、もっと不思議に思うべき事柄から目を背けようとする作為に似たものさえ感じてしまう。

宮島の猫
宮島の猫

折から風が強くなっており、停止寸前のロープウェイに乗って下山する。昼食を取るべき食事処を探している途中、店先に猫を発見した。少しくやさぐれた猫たちであるが自然に頬が緩む。宮島にも猫はいるのだ。

あなごめしなどを食した後に東京へ帰路を取るのでこの旅のスケッチはここで終わることになるのだが、いかがであったろうか。うさんくさいと思われたであろうか。私ももちろんそう思う。(了)