私は叡福寺奥にある太子廟の前に立っていた。この太子廟は明治以前は参拝者が中に入ることも許されていた。もちろん、太子の棺も骨も風化してしまって、とうの昔になくなっている。しかし、内部の様子は記録に残されている。
「第一章 聖徳太子編」より。
聖徳太子の墓所を訪ねています。大阪府南河内郡太子町にある叡福寺です。宮内庁によって天皇家の陵墓と指定されていますが、本当に聖徳太子がここに眠っているのかどうかは不明です。
聖徳太子の母・穴穂部間人皇后と、后・膳部夫人と3人が合葬されている珍しい形で、それはなんでだ?ということからいろいろ考察してゆくことになります。
掲載日:2012-07-27