叡福寺 - 井沢元彦『逆説の日本史 2 古代怨霊編』

物語の舞台 - 叡福寺(大阪府 南河内郡太子町)

私は叡福寺奥にある太子廟の前に立っていた。この太子廟は明治以前は参拝者が中に入ることも許されていた。もちろん、太子の棺も骨も風化してしまって、とうの昔になくなっている。しかし、内部の様子は記録に残されている。

「第一章 聖徳太子編」より。

聖徳太子の墓所を訪ねています。大阪府南河内郡太子町にある叡福寺です。宮内庁によって天皇家の陵墓と指定されていますが、本当に聖徳太子がここに眠っているのかどうかは不明です。

聖徳太子の母・穴穂部間人皇后と、后・膳部夫人と3人が合葬されている珍しい形で、それはなんでだ?ということからいろいろ考察してゆくことになります。

掲載日:2012-07-27
※写真はイメージです。地図もイメージであり、写真撮影地点や物語の舞台の特定を意図したものではありません。

図書情報

叡福寺について

叡福寺(えいふくじ)は、大阪府南河内郡太子町太子にある太子宗の本山の寺院。聖徳太子の墓所とされる叡福寺北古墳(磯長墓〈しながのはか〉)があることで知られる。山号は磯長山(しながさん)。本尊は如意輪観音。開基は聖徳太子または推古天皇とも、聖武天皇ともいわれる。聖徳太子建立三太子の一つで、野中寺(羽曳野市)の「中の太子」、大聖勝軍寺(八尾市)の「下の太子」に対して、「上の太子」と呼ばれている。また、大阪みどりの百選に選定されている。


[歴史]

この寺にある叡福寺北古墳(磯長墓)には、聖徳太子、太子の母・穴穂部間人皇女、太子の妃・膳部菩岐々美郎女が埋葬されているとされ、「三骨一廟」と呼ばれる。叡福寺の所在する磯長(しなが

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