「CGM」と言うときの違和感の源泉は?

近況報告

前回書いた話は「本が好き!」って面白そうなサービスだねというのが主体のつもりだったんだけれど、書いてみたら出所のよく分からない不快感みたいなところが前にきちゃったのでもう少し整理。

個人メディア(あえてブログと言わない)やクチコミ情報への親近感には既存のメディアへの不信感があったわけじゃない? 広告を気持ちよく出してもらうために、例えばゲーム雑誌とかだったら大手会社のゲームソフトの批判なんてできっこない。そういうのが信頼ならねぇって思ったときに、ユーザの生の声に触れられるものとして、個人メディアが注目されたわけじゃないですか。

そんな個人の発言が、企業側にすり寄ってしまったら元の木阿弥でしょ? 自分たちのパワーを自らスポイルしてしまうことになりはしないか。――というのが引っ掛かりの一点。たぶんみんな言ってることだけど。

一方で、「信頼できるor使える情報源」のシフトに危機感を抱く既存メディアとしては、個人メディアを上手く取り込んでしまうことに活路を見出そうとしてる。あるいは取り込めるはずだと信じるときに「CGM」という言葉が出てくるんですよね。なんだろう、ビジネスのなかで語られるその文脈自体にも違和感を感じてるんです。

これはもう少し根の深い、自分がそう感じ出したら拭えなくなっちゃったという意味で根が深い問題なんですけど、そうやってブログだCGMだってもてはやされはじめた頃から、自分のサイトが「俺のメディアだ」という感覚が逆にどんどん無くなってきたのね。

例えばどこかのブログ記事に辿り着いて「なかなかいいこと言ってる」と思ったときに、「どんな人が書いてるんだろう?」と制作者にまで興味が及ぶことが減ってきた気がする。それはSNSにおいてさえ変わらない。同じように、自分のサイトについても自分に集約されてくるものが減じてるような感覚。

あー、ちょっと違うな、感じてることが文章になりません。何か言えそうだったら別の機会に試みます。・・・年取って昔を懐かしんでるだけなのでしょうか。

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