安土城 - 井沢元彦『逆説の日本史10 戦国覇王編』

物語の舞台 - 安土城(滋賀県 近江八幡市)

安土城跡は、今も滋賀県安土町にある。最近は遺構がかなり綿密に復元されており、一度は訪ねる価値のある場所だが、問題は信長の「安土予定地」は当初から本当にここだったのか、という点だ。

安土城は信長が天下を望みながら建設、本能寺の変に続いて焼失した城。

上記引用文で提示されている疑問については、信長は大坂に城を作りたかった、秀吉はその遺志を受け継いだのだという話です。

天守閣(天主)が特徴的な城ではありますが、『安土日記』に基づいた考証を離れ、「信長の性格を考える安土城はこうだったはず」というような論考が展開されます。

安土城は継続的に発掘調査が行われていて新しい発見も相次いだりする遺構だから、それによって定説が覆ったりする可能性もあるところ。著者の逆説も、物的証拠として確認できたりすることもあるかもしれませんね。

掲載日:2007-12-30
※写真はイメージです。地図もイメージであり、写真撮影地点や物語の舞台の特定を意図したものではありません。

図書情報

安土城について

安土城(あづちじょう)は、琵琶湖東岸の、近江国蒲生郡安土山(現在の滋賀県近江八幡市安土町下豊浦)にあった日本の城(山城)。城址は国の特別史跡で、琵琶湖国定公園第1種特別地域になっている。


[概要]

安土城は織田信長によって現在の安土山に建造され、大型の天守(現地では「天主」と表記)を初めて持つなど威容を誇った。建造当時は郭が琵琶湖に接していた(大中湖)。地下1階地上6階建てで、天主の高さが約32メートル。それまでの城にはない独創的な意匠で絢爛豪華な城であったと推測されている。総奉行は丹羽長秀、普請奉行に木村高重、大工棟梁には岡部又右衛門、縄張奉行には羽柴秀吉、石奉行には西尾吉次、小沢六郎三郎、吉田平内、大西某、瓦奉行には小川祐忠

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