高瀬川

物語の舞台への旅

高瀬川 - 平野啓一郎『高瀬川』の舞台

高瀬川(京都府・京都市中京区)

写真

高瀬川に沿って暫く歩き、酔っ払った四五人の大学生が、皆で写真を撮り合っている脇を通った時、裕美子は、「あっ、」と声を発し、バッグの中を覗きながら、
「そうだ、忘れてた。この前のインタヴューの時の写真を預かってきてたんだった。」と立ち止まった。

森鴎外を明確に意識しながらの高瀬川、京都です。

京都三条から四条にかけての繁華街、高瀬川に沿って木屋町通を歩く男作家と女編集者。ラブホテルから出た後のシーンです。

高瀬川はその狭さと浅さから、運河として船運に使われてた様子はなかなか想像しづらかったりするのですが、その歴史もともなって、京都の繁華街に雅な印象を与えます。

高瀬川_(京都府)について

高瀬川(たかせがわ)は、江戸時代初期(1611年)に角倉了以・素庵父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河である。

開削から大正9年(1920年)までの約300年間京都・伏見間の水運に用いられた。名称はこの水運に用いる「高瀬舟」にちなんでいる。

現在は鴨川において京都側と伏見側で分断されており、上流側を高瀬川、下流側を東高瀬川、新高瀬川と呼ぶ。京都中心部三条から四条あたりにかけての高瀬川周辺は京都の歓楽街の一つとなっており、また桜の名所ともなっている。

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