叡福寺

物語の舞台への旅

叡福寺 - 井沢元彦『逆説の日本史 2 古代怨霊編』の舞台

叡福寺(大阪府・太子町)

写真

私は叡福寺奥にある太子廟の前に立っていた。この太子廟は明治以前は参拝者が中に入ることも許されていた。もちろん、太子の棺も骨も風化してしまって、とうの昔になくなっている。しかし、内部の様子は記録に残されている。

「第一章 聖徳太子編」より。

聖徳太子の墓所を訪ねています。大阪府南河内郡太子町にある叡福寺です。宮内庁によって天皇家の陵墓と指定されていますが、本当に聖徳太子がここに眠っているのかどうかは不明です。

聖徳太子の母・穴穂部間人皇后と、后・膳部夫人と3人が合葬されている珍しい形で、それはなんでだ?ということからいろいろ考察してゆくことになります。

叡福寺について

叡福寺(えいふくじ)は、大阪府南河内郡太子町にある仏教寺院。聖徳太子の墓所とされる叡福寺北古墳(磯長墓〈しながのはか〉)があることで知られる。山号は磯長山(しながさん)、本尊は如意輪観音である。開基(創立者)は、聖徳太子または推古天皇とも、聖武天皇ともいわれる。宗派は真言宗系の単立寺院で、太子宗を名乗る。また「上之太子」と呼ばれ、「中之太子」野中寺(羽曳野市)、「下之太子」大聖勝軍寺(八尾市)とともに三太子の一つに数えられている。

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