軍艦島

物語の舞台への旅

軍艦島 - 吉田修一『キャンセルされた街の案内』の舞台

軍艦島(長崎県・長崎市)

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軍艦島が恐ろしいのは、無人の高層アパートが林立しているからではない。そこに人が暮らしていた痕跡があるからだ。結局、あの島へ喜んで渡っていた奴らは、怪奇映画のスリルを味わいたかっただけなのだ。

表題作より。

長崎の沖にある端島(軍艦島)。炭鉱で栄えた頃の高層ビルが林立し、閉山以後の廃墟がそのまま観光資源となっている島。産業遺産という言い方もありますけども、「怪奇映画のスリル」のほうがより近い感じはしますね。

作中では、観光客を船に乗せて軍艦島へ連れて行き、島を案内する主人公、です。

端島_(長崎県)について

端島(はしま)は、長崎県長崎市(旧西彼杵郡高島町)にある島である。明治時代から昭和時代にかけて海底炭鉱によって栄え、1960年代には東京以上の人口密度を有していた。しかし、1974年(昭和49年)の閉山にともなって島民が島を離れてからは、無人島である。軍艦島(ぐんかんじま)の通称で知られている。「羽島」とも書いていた。日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅がある。

2015年、国際記念物遺跡会議(イコモス)により、軍艦島を構成遺産に含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に登録された

同じく炭鉱で栄えていた高島(の南端)からは南西に約2.5キロメートルの距離にあり、長崎半島(野母半島)からは約4.5キロメートル離れている。端島と高島の間には中ノ島という小さな無人島があり、ここにも炭鉱が建設されたが、わずか数年で閉山となり、島は端島の住民が公園や火葬場・墓地として使用していた。そのほか端島の南西には「三ツ瀬」という岩礁があり、端島炭鉱から坑道を延ばしてその区域の海底炭鉱でも採炭を行っていた。

端島は本来は、南北約320メートル、東西約120メートルの小さな瀬であった。その小さな瀬と周囲の岩礁・砂州を、1897年(明治30年)から1931年(昭和6年)にわたる6回の埋め立て工事によって、約3倍の面積に拡張した。その大きさは南北に約480メートル、東西に約160メートルで、南北に細長く、海岸線は直線的で、島全体が護岸堤防で覆われている。面積は約6.3ヘクタール、海岸線の全長は約1,200メートル。島の中央部には埋め立て前の岩山が南北に走っており、その西側と北側および山頂には住宅などの生活に関する施設が、東側と南側には炭鉱関連の施設がある。

年間平均気温は15 - 16℃。平均降水量は2,000ミリメートル、冬は比較的雨量が多い。夏は南東風・南風、冬は北西風・北風が多い(いずれも旧高島町についてのもの)。

端島を舞台とした1949年(昭和24年)の映画『緑なき島』のタイトルにも現れているが、この島には植物がとても少なく、住民は本土から土砂を運んで屋上庭園を作り、家庭でもサボテンをはじめ観葉植物をおくところが多かった。また、主婦には生け花が人気であったという。西山夘三も草木はほとんどないと述べているが、これについては誇張的という指摘がある。閉山後の調査では二十数項目の植物が確認されており、特にオニヤブマオ(イラクサ科)、ボタンボウフウ(セリ科)、ハマススキ(イネ科)の3種が端島の主な植物として挙げられている。

by Wikipedia

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